新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ユーレールパスはムッソリーニの発案か

2018年04月02日 | 日記

 ユーレールパスをフル活用してヨーロッパを歩きまわったのは、20代後半のことだった。怖いもの知らず、疲れ知らずのころだった。マドリッドから途中下車しながらリスボンへ行き、リスボン・エヴォラ間を往復したのち、パリ経由でローマまで、すべて列車で旅した。費用は日本で支払ったユーレールパス代のみ、1か月間有効で4万円程度だったか。トーマスクックの国際時刻表には西ヨーロッパを走るおもな列車が網羅されている。主要な駅でユーレールパスを見せれば、追加料金なしで乗車券と指定席券をもらえた。利用した車両にはいずれも寝台がついていなかったので1等車ではなかったはずだ。たぶん2等車か3等車、一番下のランクの車両だったに違いない。2等車、3等車のコンパートメントに乗り合わせた客のほうが、1等車の客よりずっと気さくでうち解けやすく、話がはずむことを知ったのはこのときだった。シベリア鉄道でヨーロッパへ来た大阪の若者に出会ったのも、ルクセンブルクへ帰るポルトガル人家族と仲良くなり、自家製らしいワインをごちそうになったのも、リスボンからパリへ向かうごった返した車中でのことだった。
 この価値あるユーレールパス制度ははたしていつごろから存在したのか。1959年にサービス開始、とネット上には出ているがほんとうだろうか。作家ミッチェナーの自伝を読んでいて、1931年ごろフリーパスを使ってイタリアの観光地をめぐり歩いた、という記述を発見した。なんとムッソリーニが、あるいは彼の政府がヨーロッパの若者にイタリアの観光地を見せようと仕組んだ策だったというのだ。ムッソリーニ、いうまでもなくイタリアを第二次世界大戦へと導いた悪名高いファシストだ。この独裁者がその根本的な意図がどうであれ、このようなすばらしい政策を打ち出していた。
 ヨーロッパの若者にイタリアのすばらしさをじかに見せ、イタリア国民の優位性をアピールしようとしたのだろう。そこでヨーロッパのどの都市からでも、学生なら格安の料金でレールパスを利用できる制度をつくった。ただし条件があった。イタリアの8つの観光都市すべてをめぐることだった。学生たちにはレールパスとともにスタンプカードをもたせ、8つの都市の公式スタンプをすべて集めなければならないようにした。そうしなければ帰路の運賃をふつうに払わなければならない。ムッソリーニの意図は明白だった。ヨーロッパの若者にイタリアの文化的、歴史的優位性を植えつけることだった。おそらくかなりの程度に奏功しただろう。
 日本でももっと若者を旅行させる工夫をすればどうか。新幹線にはけっこう空席がある。その空席を若者たちで埋めてはどうか。財源はどこに、などという野暮な質問は出ないはずだ。車両を空席があるままで走らせるより若者を乗せて走らせるほうが日本の未来のためになることは間違いないのだから。ムッソリーニに学ぶというより歴史に学ぶ。その意義は十分にある。






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