送電鉄塔の見える場所

稜線の向こうに消えてゆく鉄塔の列はどこへ続いているんだろう

九州送電と九州電力

2011-07-18 06:29:57 | 戦前の幹線
大淀を出発して人吉・八代・弓削を経由し三池に至る110kV送電線。これは一つの路線なんだろうか?それとも変電所間をつなぐ
複数の路線の集合体なんだろうか?「大淀幹線」という名前が判ったんだけど、この名前で呼んでいいのかなぁ・・・
だけど「南熊本人吉線」よりもずっと古いし、もっと広い範囲に使われてるようなので、差し当たってはこの名を使うことにしよう。
(三池から武雄に続くものは別の路線と考えます。理由は後述。)

       
         「1925.2」の年月表示がある南熊本人吉線64号。近所の人は「昭和4年(1929年)にできた」という。

今回の「九州電力」はいつも語っている現在の九州電力とは違う。1930年から1939年まで存在した送電専業の会社のことだ。
紛らわしいのでこのブログでは「旧九電」と呼ばせていただく。電気化学工業と熊本電気が半分づつ出資して大淀幹線を運営する
ために立ち上げた。発電所は持たない。

大正14年の電線路」を書いた時点では、その線路が熊本県内を通っていない九州送電のことにはあまり触れないつもりだった。
実物を見てない線路について書くのはここの主旨と違う。しかしその後、大淀幹線の誕生に九州送電も関わっていたことを知った。
頂いたコメントでこの会社に言及された方もいらっしゃった。スルーする訳にはいかないようだ。史料だけに頼った記事になるけど
ご勘弁を。まあ、妄想ばっかり書き連ねてあるよりはマシかなw
何にせよ「大正14年の電線路」未読の方がおられましたら、コメント欄も含めて先に目を通しておかれることをお勧めいたします。


               「供給区域並送電線路図」(出典:熊本電気株式会社「熊本電氣の現況」1933年)

むやみに巨大でスミマセン。(||| ̄▽ ̄;)熊本電気とその系列会社の1933年(昭和8年)春頃の設備図。表題と凡例は左読み、
図中の地名等は右読みなのでご注意ください。全体に赤っぽく変色してるのは時間のせい。でも微妙に傾いてて気持ち悪いのは
自分のせいです。重ねがさねゴメンナサイ m(__;)m
大淀幹線は二重の点線で描かれている。長い。亘長93kmの苓北火力線が真ん中の折り目の左端、「富岡」の「岡」あたりから
島伝いに「甲佐」の「佐」あたりまでなので、それをモノサシにすると三池までで250kmくらい??これは旧九電の送電線が最長に
なっていた頃の姿だ。三池-武雄はこの翌年に東邦電力に譲渡された。(なので別の路線。でしょ?)

どこの区間を・いつ・どの会社が建設したのか、が問題だ。
大淀第一発電所の運転開始時に電気化学工業が大淀-八代を完成させていたのは間違いない。自分の見た「1925.2」を信じて
「八代-弓削も完成していた。造ったのは熊本電気だろう。」と考えていた。しかし、それを真っ向から否定する物証が!Σ(゜Д゜)

  
                       熊本電気の送電系統図(部分)1929年6月
              出典:熊本電気株式会社「創立弐拾周年記念 熊本電気株式会社沿革史」

大淀第一発電所は稼動していたけど第二発電所が建設中で、66kV送電だった時期のもの。八代変電所に大淀からの線が入り、
八代1・2号線→松橋→松橋1・2号線→弓削→大牟田3・4号線→横須と続いている。さっきの1933年の線路図で八代から横須まで
(銀水はまた別の話)大淀幹線の西を並走している方だ。横須は熊本電気が電化の構内に置いていた変電所。もしかしたら春に
電化の裏で見た変電施設がそれだったかもしれない。とにかく1929年には大淀幹線の八代-三池は未完成だったということだ。
そうなると疑問なのが送電方向。八代線・松橋線は黒川や菊池川の発電所群からの電力を南に送る送電線だったはず。逆だよ?
2回線の片方を逆向きに使ったんだろうか?知識のある人なら系統図から読み取れるのかな。自分にはさっぱり解りません。

       
                 今度は1933年の系統図(部分) 前掲「熊本電氣の現況」より

1931年秋に大淀第二発電所が完成して110kV大淀幹線の運用が始まった。もちろんその頃には送電線もきっちり完成している。
この図は運用開始後の系統を示したものだ。大淀幹線は八代変電所を通っていても熊本電気の線路との連系はない。代わりに
弓削で繋がるようになっている。この線は大淀第一・第二(当時は電化の子会社である大淀川水力電気の所有)からだけでなく、
人吉で球磨川電気、弓削で熊本電気から受電して三池に運んでいた。供給先も電化だけじゃない。三井鉱山・東邦電力・九州
水力電気があった。旧九電は「集めて・運んで・配る」という画期的な電力事業者だったわけだ。電力の需給バランスが悪ければ
九州のもう一つの110kV幹線を持つ九州送電との間で融通し合うこともできた。うむ。やっと九州送電が出てきたなw
いや、大淀幹線と九州送電との関わりはそれだけじゃないんです。またもや大きくて申し訳ないけど次の図を見ていただきたい。

          
                       国立国会図書館近代デジタルライブラリー収録
                 「熊本逓信局管内電気事業概要 第7回(大正13年9月)」より一部を転載。
                                 ↑クリックで元の史料へ移動できます。

こちらは熊本逓信局管内の1924年(大正13年)4月時点の送電線図。自家用・供給用すべての「送電線」が記載されている。
右下の「大淀第一変電所」から北へ向かう点線がある。耳川変電所で2本に別れ、片方は大分から北九州へ、もう片方は熊本を
横断して大牟田へ。この大牟田行きが計画段階の大淀幹線だ。建設は九州送電が行う予定だった。それが旧九電に変更された
経緯は前の記事のコメント欄に書いたのでここには繰り返しません。
1924年4月には建設申請が耳川経由のルートで出されていたのに、翌年2月には全然違う場所に鉄塔が建った。南熊本人吉線の
「1925.2」が正しければそういうことになる。どうも1924年頃には電化はすでに九州送電を諦めていたらしい。大淀川水力電気を
熊本電気と合併させようとして宮崎県に却下されている。この子会社、元々は九州送電計画のために作ったようなんだけどねぇ。
つまりこの図は九州送電設立の遅れにしびれを切らして水面下で人吉経由ルートを画策していた時期のものってことだ。
合併がダメなら新会社ってことで旧九電を作ることになったんじゃないかと。妄想ですか?
どのみち鉄塔建設が1925年なら旧九電の設立より前だ。ルート変更もいつ申請していつ許可になったかは判らない。でも新会社
設立を前提に早くから線路建設準備が進められていた可能性はある。許可が下りて即着工!1年たらずで鉄塔だけ何基か建てた
とか。熊本電気側の記録には建設に関する記載が見当たらない。電化側の文献はまだ見てないな。電化が準備したのかな。
どうなんだろう。今の九電が何の根拠もなく年月表示するとも思えない。その辺尋ねてみたいんだけど今はちょっと、ねー。(´д`)
この送電線についての調査はまだまだ続けますよ!未だ不明な事柄もいずれ明らかになる・・・といいな~。

大淀幹線運用開始後の各社の送電線の様子が知りたい方はこちらでどうぞ。
  国立国会図書館近代デジタルライブラリー 
  「熊本逓信局管内電気事業要覧 第18−22回 [第7冊]熊本逓信局管内送電線路及發電所圖(昭和12年6月)」

この記事の作成に当たっては以下の文献も参考にさせていただきました。
 ・九州電力株式会社「九州地方電気事業史」(2007年)
 ・荻野喜弘博士「1930年代初期の福岡県大牟田における電力融通問題」(「経済学研究」2005年)

            

最新の画像もっと見る

11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「九州送電と九州電力」興味深く拝読しました (菖蒲和弘)
2011-07-19 23:57:40
たぬ猫さま
ブログが更新されていなかったので心配しておりました。今日、訪問しましたら「九州送電と九州電力」が更新されており、興味深く拝読しました。勉強になりました。ありがとうございます。何度も読み返し、自分なりに整理してみました。そうすると、今まで疑問だったことが理解できました。もう少し整理してからコメントさせて頂きます。まずはお礼まで。
返信する
お待たせしてすみませんでした (たぬ猫)
2011-07-23 07:45:28
頭の中が整理できてないうちに書き始めてしまったもので、途中で自分でわけが分からなくなっておりました。おまけに暑さのせいかPCに向かうと爆睡してしまう病気が再発しましてw

先日、大牟田市立図書館へ行ってきました。それで電気化学工業の側の事情もかなり見えてきました。いろいろ大変だったようです。

今回は昔の本の中で、大淀幹線に関すること以外にも「へぇ~」という話をいくつも拾いましたので、次回はそういうものをご紹介したいと思っています。
返信する
球磨川電気株式会社について (菖蒲和弘)
2011-07-24 09:49:30
たぬ猫さま

 コメントありがとうございます。「九州送電と九州電力」については、もう少し整理しましてから、コメントさせて頂きます。
 先日、九州電力株式会社地域共生本部総務グループから「お便りB0X」について回答がありました。
 昭和8年(1933)春頃の「供給区域並送電線路図」(熊本電気株式会社編『熊本電氣の現況』所収、1933年刊)と関係ある点について整理し、書いて見ます。
①「供給区域並送電線路図」には、新橋(江代)変電所・多良木変電所の記載はなく、人吉変電所のみが記載されています。九州電力によりますと、多良木変電所は大正12年(1923)運用開始。新橋(江代)変電所・人吉変電所の運用開始年は不明とのことです。
②江代から人吉変電所間の送電線路(60KVA未満)が繋がっていますが、これが昭和2年(1927)に建設された「江代人吉線」です。昭和30年(1955)には「多良木分岐線」が建設されています。
その後、江代変電所を廃止し、市房第1・第2発電所が建設されたことから、昭和35年(1960)に江代人吉線は「市房第1人吉線」と改称、運用開始されています。
③「大野発電所」が記載されています。従来、明治45年4月25日許可、大正2年11月22日開業と記されていましたが、実際は誤りでした。この大野発電所は鉄道「鹿児島線」開通後に撤去され、球磨川電気株式会社が大正10年に新た建設したのが、現在の「大野発電所」です。だから、九州電力株式会社のHPでは「大正10年7月9日運転開始」となっているのです。近々、撤去された大野発電所跡を踏査する予定です。
④宮崎県側に「湯元発電所」が記載されていますが、これについては全く記録はありません。
返信する
分からない事が、次々と出てきます (菖蒲和弘)
2011-07-27 11:03:44
たぬ猫さま
台風6号以後、だいぶ涼しくなりましたね。
「大淀幹線」「南熊本人吉線」のこと調べていたら、本当に頭の中が混乱してしまいますね。私は、球磨川電気株式会社を中心に調べていますが、これまた分からないことが次々と出てきます。
しかし、これまで沿革が分からなかった「大川間電気株式会社」について少し解明できました。大野発電所とも関係しているので、現地踏査が欠かせないようです。
先日、「日本の古本屋」で見つけた松藤英雄編『九州配電株式会社十年史』(A5判、468ぺージ、昭和27年12月、九州配電清算事務所刊)を1400円で入手しました。函入りでしかも献呈本でした。昭和17年4月1日~昭和27年12月までのことが分かりますね。折込地図などは大いに役立ちます。
もう少し整理してから、九州電力(株)人吉営業所に行ってみるつもりです。
返信する
もう少し頭の中を整理しておかなければ (菖蒲和弘)
2011-07-27 22:24:33
たぬ猫さま
この度、松藤英雄編『九州配電株式会社十年史』(A5判、468ぺージ、昭和27年12月、九州配電清算事務所刊)に引き続き、九州電力(株)のご好意により、『九州地方電気事業史』・『九州電力30年史』・『九州電力40年史1951-1991』・『九州電力50年史-最近10年の歩み-』を入手できました。
まだまだ史資料・文献を目を通さなければなりませんが、少しづつ収集できています。しかし、肝心の熊本県立図書館に行く暇がありません。現地踏査もしなくてはなりません。
その前に、もう少し頭の中を整理しておかなければと考えています。
返信する
着々と進んでいらっしゃいますね (たぬ猫)
2011-08-01 23:34:51
大川間電気についても情報がありましたか!小規模な会社のことは、なかなか分からないですよねぇ・・・設立はしても開業に至らずに終わっている所も多いようですし。
県南にはまださまざまなことが眠っていそうですね。菖蒲さんの調査に期待しています。
返信する
九州電力他の変電所と送電線路 (菖蒲和弘)
2011-08-06 01:50:54
九州電力株式会社人吉電力所管内の変電所と送電線路を調べてみました。内部資料のためあまり公表はされていませんが・・・。そのため現地踏査で確認いたしました。また、チッソ株式会社・電源開発株式会社も追加しています。

【九州電力株式会社変電所】
①古屋敷変電所②多良木変電所③木上変電所④人吉変電所⑤肥後トンネル変電所⑥NECセミコン変電所
【九州電力株式会社送電線路】
①「人吉木上線1、1940、6」〈昭和15年〉
②「人吉大霧線1-2、1960、2」〈昭和35年〉 
③「人吉幹線173、1969、7」〈昭和44年〉
④「大平人吉線64、1973、6」〈昭和48〉 
⑤「人吉八代線3、1975、6」〈昭和50年〉
⑥「人吉新水俣新線3、1975、6」〈昭和50年〉
⑦「鹿児島幹線3、1980、12」〈昭和55年〉
⑧「大淀人吉線245、1985、7」〈昭和60年〉
 「大淀人吉線246、1991、6」〈平成3年〉
⑨「人吉大口線4、1991、6」〈平成3年〉
⑩「人吉川内線4、1991、6」〈平成3年〉
⑪「古屋敷田迎線」
⑫「田迎支線」
⑬「笠振田迎線」
⑭「市房第1人吉線」
⑮「市房第2支線」
⑯「人吉幹線」
⑰「多良木分岐線」
⑱「宮崎幹線」
⑲「南九州幹線」
⑳「瀬戸石新水俣線」
21「村所木上線」
22「肥後トンネル分岐線」
23「五木川八代線」
【チッソ株式会社送電線路】
24「チッソ川辺川送電線」
25「チッソ川辺川支線」
【電源開発株式会社送電線路】
26「電発瀬戸石線」


返信する
大野発電所の現地踏査 (菖蒲和弘 )
2011-08-06 14:50:16
きょう午前中、人吉市矢岳町の大野発電所を現地踏査してきました。と言っても断続的な大雨で、写真撮影は断念しました。後日のための周辺と九州電力株式会社の送電線路「宮崎幹線」〈50万ボルト、鹿児島県伊佐市~熊本県人吉市~宮崎県高城町、平成12年2月着工、平成15年1月完成〉を調査してきました。矢岳周辺では送電鉄塔には高さ・標高などが記されていました。国土地理院発行の地籍図を利用する場合、大いに役立ちます。
返信する
塔高の表示があるのですか! (たぬ猫)
2011-08-06 19:56:12
東電や電発の鉄塔には高さ表示があるのが羨ましいと思ってたのですけど、九電でもあるところにはあるんですね。チッソの鉄塔には年月表示もありませんもんね。会社によって違うものです( ̄▽ ̄)
そういえば、チッソの電力施設は今年3月の分社化で新会社のJNCに移管したようです。先週、津留発電所と内大臣川発電所に行ったら表札が掛け替えられていました。名義が変わっただけで実態が変わったわけではありませんが。

さっきまで菖蒲さまが調べてこられた線路名と線路図・発電所位置図を突き合わせてみていました。平面的な経路のイメージがかなりつかめてきました。しかし実物を見た後の360°視界が拡がるような感覚には遠いです。自分の目でも見てみたい!

見てみたいといえば、人吉幹線には烏帽子型鉄塔がある(あった)そうなのですが、菖蒲さまにお心当たりはありませんでしょうか?鉄塔の上部がバンザイをする腕のように広がって、腕の間を電線が通る形のものです。氷雪対策の仕様で、元々九州には少なかったうえに建て替えが進んでいて、今でも残っているのかどうかよく分かりません。あるなら見てみたいです。
返信する
大正15年12月調製、『熊本逓信局管内供給区域図』 (菖蒲和弘)
2012-02-11 19:55:56
たぬ猫さま
ご無沙汰しております。昨年夏から調査・研究から遠ざかっていました。ようやく時間がとれるようになりました。今年もよろしくお願いいたします。
2月初め、オークションで大正15年12月調製、『熊本逓信局管内供給区域図』1枚を落札、先日メール便で届きました。
この地図の大きさは縦106、5cm、横78、5cm。正式なタイトルは『熊本逓信局管内供給区域図』。「大正十五年十二月調整、縮尺五十万分之一」で、「開業供給区域・未開業供給区域・産業組合施設区域」の3分類してあります。
また、図下には「九州水力電気株式会社・九州電気軌道株式会社電力供給区域図」が付き。発行者は、「熊本逓信局作成、福岡市天神町五十八番地、電気協会九州支部発行」と印刷されています。
書籍等の附図ではなく、単品の地図と思われます。現在、この区域図を紹介したものは見当たらず、新出史料の可能性が高いのではと考えています(?)。
区域図の写真3枚、私のブログに掲載しています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。