送電鉄塔の見える場所

稜線の向こうに消えてゆく鉄塔の列はどこへ続いているんだろう

宇土分岐線の現在と過去

2011-12-14 10:59:46 | 気になる鉄塔
【前回のあらすじ】
昨年秋に撤去されてしまった宇土分岐線の鉄塔。しかし18号以降は「宇土JR九州熊本総合車両所線」として現在も生きていた!

   

南側から見た熊本総合車両所。右奥にちょっとだけ見える陸橋の向こうに整備施設が5棟連なっている。それで変電所はどこー?

               

前回記事の画像では判りにくかったので9号の腕金をもう一度。送電線を吊る「腕」ではなくブッシングなどを載せるための「棚」。
足場も取り付けてあるから部材が多くて重量感がある。架空地線用腕金の形が謎だ。1本しかないのになぜこの形に・・・

                        

新幹線の高架を越えた空地に建つ8号。北と西が水路、南が工場、東が民家という鉄壁の構え。工場と民家の間にある入口には
ロープが張られている。「絶対に入れてやらん!」という決意が感じられる( ̄▽ ̄;)
これも作りが新しい。高架の建設に合わせて建て替えられたんだろうか。9号と同じ時かなぁ。あ~、近寄れないのが悔しいw

  

8号は諦めて次へ行く。7号はひねりの入った2段重ねの台座つき。本体も66kV鉄塔としては高い方なのでとても偉そうに見える。
番号札がB脚ではなくD脚に付いていた。送電方向が逆転したのに標示の位置がそのままなんだ。そういうのは時々ある。
番号札に記された年月が建設時だったり路線開通時だったりするのは過去記事のとおり。路線の開通が1990年じゃないことは
判ってるからこれは建設年月と考えていい。8号の建て替えはこっちと同時期の可能性もあるか。

        

続く鉄塔は住宅地の中だ。昔のものでもない。通行人(子供と高齢者と犬)の多いくねくねした路地へ車で入りたくなかったんで
それはパスして古そうな鉄塔を見かけた記憶のあるJA前へ行ってみることにした。時間に余裕があったら徒歩で戻ってもいいし。

                 

で、その古い鉄塔がこれなんですが。(ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォ-、ますますエラそうだぁ~
今度は建物正面、駐車場の真ん中に堂々と芝生の台座付き。どこにも「立入禁止」とは出てなかったので人目の少ないのを幸い
しっかり上がり込んで結界撮影もしてきました。オバチャンって恐いねぇww

      

1941年!宇土分岐線の消えた鉄塔の建設年月もこれだったんだろうか?年号でいうと昭和16年。ブライヒ結構誕生の年かぁ。
その頃ここはどんな場所だったのかな。たぶん元は台座なんて無かった。これは周囲が整地された時に取り残された島だ。
鉄塔の内側の低い位置に×を描く鋼材がよく見える。この×は大淀幹線の古鉄塔のほとんどに入っている。だからブライヒより
前の鉄塔には付き物だと思ってたんだけど解体されてしまった鉄塔には入ってなかったような気がするな。数本入った垂直材も
戦前の鉄塔の特徴だ。この3号では昇塔防止器の上下に斜めの部材もあってブライヒっぽくも見える。この斜材は後で付け加え
られたんじゃないかと考えてるんだけど、どうやって確かめたもんか・・・九電に訊いてみるしかないか・・・

       

3号には注意看板がにぎやかに取り付けられている。農協ビルの駐車場なんていう人の出はいりの多い場所だからねぇ。
「あぶない のぼるのはやめよう!!」の札のマスコットキャラが古い3号では現在の「みらいくん」なのに1990年製の7号では
昔の「九電坊や」(右の画像)だったのが自分としてはとても感慨深い。先代の鉄塔に付いてたものなんだろうなー。

   

田植えされたばかりの田んぼに立っていた2号もプラット結構とブライヒ結構の折衷みたいな構造だった。行った時期がマズくて
結界に入れなかったのが残念。鉄塔巡りを始めて2年。フィールドワークは10月~5月に行うべきだっていうのがよく解った。夏場は
鉄塔に近寄れないとか陽射しが強すぎるとか虫が多いとか、あれこれ厄介だ・・・
ヘリ巡視用の番号札が「25」だった。宇土分岐線時代の番号だ。こういうのは放置してていいんですか?紛らわしくない?そういや
5号は飛ばしてきちゃったからヘリ番がちゃんと付いてたかどうか見てない~。

        

畦から撮ったので番号札が遠い。思いっきり逆光だし。文字が読めなくてごめんなさい。これも「1941.4」でした。m(__)m

    

いよいよ1号。変電所のフェンス際じゃない。なぜか間に民家がある。宇土変電所って周囲ぐるっとこうなんだよな・・・
またもプラットとブライヒごたまぜの構造。今度の画像だとよく解るでしょ?白っぽいから重たくは感じないけど妙に部材が多い。
鉄構を挟んで反対側にも66kV鉄塔が建っている。この配置・・・線路の途中に後から変電所ができたんじゃないの?実はあっちの
線路にも1941年製の鉄塔がある。白状するとそれを先に見てたから宇土分岐線に引っかかってたっていうのが本当のところだ。
最初がどういう線路だったかは大淀幹線について調べていた時に判った。1941年どころじゃない。これも大正期の線路だった。
ただ当時の鉄塔は残ってないようだ。建て替え後の鉄塔が1941年製なら「それでもいいか」としか言えないけど、見たかったなー。
元々は三里木駅付近にあった境の松開閉所から弓削開閉所を経て松橋変電所に至る2代目「松橋送電幹線」。1925年8月完成。
初代松橋送電線はルートが違うので別物と考えたい。初代が木柱で1回線だったのに対し2代目は鉄塔の2回線と進化した。
宇土分岐線になるまでには何度もの改変を経ているはずだ。途中いくつかあった開閉所はなくなったり変電所になったりしている。
出発点が弓削に変わっている。分割もされている。送電方向が反転したところもある。宇土変電所はやっぱり後から造られている。
そして昭和後半のどこかでこの線を横切る新線路ができ、その交差点から宇土までが「宇土分岐線」になった。そして今はそれも
半分がなくなってしまい、残った半分が「宇土JR九州熊本総合車両所線」だ。最初の線路の他の部分もそれぞれ形を変えながら
ほとんどがまだ生きている。
まだ解決してない疑問点は「宇土変電所の竣工がいつだったのか」。もしかしたらその答えが「1941年」なのかもしれない。

宇土分岐線の消滅と転生

2011-11-20 23:52:16 | 気になる鉄塔
通勤途中の道から見える元の大淀幹線(この名称で確定です!)の鉄塔で建替工事の準備が始まった。ついに来たか・・・
春先あたりから「その時」が近いことを匂わせる兆候はあった。予期していてもいざ目の前で工事が始まると動揺してしまうなぁ。
そう、古い鉄塔はいつかは撤去されてしまう。去年の秋にも鉄塔が消えていくところを見たんです・・・

      
        最初に見つけた宇土分岐線2号。建設年月が消されてるのが気になる。198・・・いや199X?

麦畑に架線のない鉄塔を見つけたのは昨年の春も終わりの頃だった。路線名を確認し、九電HPの供給設備図を思い浮かべる。
あれかぁ。廃線になってたのか。(ここで頭に浮かんでるのは一昨年のもの。今年更新された設備図にはもう載ってません。)
すでに1号鉄塔は無かった。全部消えてしまうのも時間の問題、まだあるうちに見ておかなきゃ。そう思ってたのに。

     
    南熊本緑川線の手前に立つ宇土分岐線の廃鉄塔。右端の鉄塔と隣の2号の間に以前は1号鉄塔があったはず。

再訪した時は田植えの季節に突入していた。麦畑は水田に変わって空を映している。ちょうど作業中で周囲に苗の入ったトレイや
田植え機が並べられ、人も集まってて近寄ることができなかった鉄塔もあった。
稲刈りを待って改めて訪れてみれば、ああ、もう残り3本になってる!前回遠く眺めた鉄塔たちは跡形もなく消え失せていた。

      

2号と3号は残っていた。電線はなくなってるのに「電線注意」の文字が鮮やかだ。ヘリ番の位置には「危険」の表示札もある。
九電では分岐や交差に近い鉄塔には「注意」「危険」の札が付いている。頂部だけを赤や黄に塗装というのは見かけない。年月が
経つと鉄塔全体をベージュや薄緑に塗り替えるからなのか。濃い茶色の塗装なんてのもあったしな~。

   

4号はなかった。春にも見なかったと思う。5号は撤去作業の準備中。作業員さんがいらっしゃったので少しお話させていただいた。
1日に2基づつ解体しているのだそうだ。結構ハイペース!後の処理にもう数日かけるとのこと。周囲を含めて整地をしたり機材を
運び出したり、後片付けがいろいろあるんだろう。架線がいつまであったのかはご存じなかった。かなり前からなくなってたのか、
違うところが担当したのか・・・

      

6月には間違いなく存在していた6号もきれいさっぱり消えていた。湿気の多い結界だった場所は乾いた更地になっていた。
改めて画像を見ると番号札の下に古い札を外した形跡がある。そうだよな、最初から「宇土分岐線」だったわけじゃない。その横の
腹材は塗装されてないのであとから補強したものだと推測できる。いつ建てられたんだろう?大正の鉄塔とはたたずまいが違う。
でもかなり古そうだよね。ブライヒ結構じゃないっぽいし。なぜ年月表示を消してあるんだ~???llllll(-_-)llllll

    

7号は整地の真っ最中。重機が忙しく動き回っていて、この日の作業が終わる頃には残る工程はあらかたなくなったように見えた。
翌日には敷かれた鉄板も片付けられてしまったんかなぁ。続くはずの8号9号は6月の時点ですでに見あたらなかった(気がする)。

       

10号。もう鉄塔が建っていたことをうかがわせるものは何もない。じきに近所の人にだって「鉄塔?ここに?そうでしたっけ?」って
言われちゃったりするんだろうな・・・

     

13号の敷地跡もこんなんですもん。わりと高くて目立つ鉄塔だったんだけど。画像奥側の(たぶん)14号はどこにあったのかすら
はっきりしないorz この辺りは若番方面より早くから撤去が始まってたようだ。建ってた姿を見てない鉄塔は痕跡も捜せない・・・

           

宇土変電所に向かってさらに西へ進む。前回はこの先には行ってない。新幹線の高架の手前で真新しい異様な鉄塔に出会った。
これ、国道から見たことがある。携帯の中継塔でもないし何だろうと思ったんだった。ここまでは電線が来てる。つまりこの先はまだ
生きてるんだ。腕金のあたりがごちゃごちゃしてるのはブッシングが突き出しているから。ここでケーブルに変わって地下に入って
いく。ふーん、3相を撚り合わせてまとめちゃうんだ。架空線だとあんなに間隔が必要なのに。確かにものすごくコンパクトになる。
街中だと大きな鉄塔を建てて架線するよりケーブルを埋設する方がいろいろと簡単っていうのが納得できる。まず用地が要らない、
苦情が出にくい、補償金も要らない、送電線の経路がまるわかりってこともない。でも見る楽しみがないなーw

  

えらく長い路線名で読みにくい。どうやら「宇土JR九州熊本総合車両所線」と書いてあるようだ。えぇぇぇー!!そうなの!
熊本総合車両所といえば新幹線の車両基地ですよ。また意外なモノに行き当たったなー。
航空写真で確認すると元は宇土分岐線18号のあった位置。いや、ちょびっと移動してるかな。前のは隣の畑に建ってますね。
(2011年11月現在、goo地図の航空写真ではまだ全基が揃ってます。)


さて、ここまできたところで。一気に宇土変電所まで行っちゃう予定だったんですが・・・まだ先が長いんです・・・( ̄▽ ̄;)
なので2回に分けることにしました。次回は、いまだ現役の鉄塔たちの現在と過去、そして宇土分岐線の成り立ちについて。

苓北火力線 189-187号

2011-10-20 00:19:18 | 苓北火力線
前回の続きです。

190号から189号へは雑木林の間に巡視路が続いている。はっきりした小道だし傾斜も緩いし楽に行けそうだ。
あっさりミカン畑に抜けられた。冬の朝の陽射しを浴びて正面に189号と188号、向こうの山の上には紅白の187号も見える。

            

189号は若番方向からこちらへ登ってくる道の脇にあるようだ。楽勝~♪と思ったんだけど・・・なんだ、ここ。( ̄□ ̄;)

        

竹やぶだぁぁ。脚の外側だけは歩いて回れるように刈ってあるけど結界が塞がってる。500kV幹線の現役鉄塔でこの有様?
いままでにも怪しいのは何ヶ所かあった。205号や194号は丈の高い草や葛が茂っていた。木と違って草は伸びるの早いから・・・
ああ、竹も草だったか。ここって筍予防巡視の対象にはなってないのかな?

                         
                           南熊本宇土線18号にあった標識

竹林に隣接する鉄塔の敷地や送電線の下では「筍予防巡視」の標識を見ることがある。初めて出会ったときには笑ってしまったが
冗談ごとではない。春には筍ががんがん出る。1ヶ月もあれば20m近くを伸び切ってしまう。すぐにここみたいに薮になる。
だけど500kV鉄塔の周りでこの標識を見掛けたことはないな。電線の位置が高いから?問題ナシって訳でもなさそうなのに。

外側を3周くらい回って結界中心へ入れそうな隙間を捜した。見つからない。しょうがないので無理やり潜り込んで上を撮ってみた。
背中側の竹に体重かけて、目の前の竹を足で押して、やっとこれだけ開けられましたw

 

画像編集してて思い出した。これにもソーラーパネルが付いてたんだった。何の電源だろう?

巡視路はそのまま188号まで続いてるようだ。しかしそれを行くと車を置いてきた場所からどんどん遠くなるのでいったん引き返す。
188号へは反対側から車で行けるのが判っている。判ってるんだけどー、少々問題があるかも。さて、どうだろう。(´д`)

     

県道脇のこの鉄塔の存在は前から知っていた。でもねー、とある企業を囲む生垣の中にあるんです。入らせてもらえるのかなぁ。
どっちみち交通量の多い県道に路上駐車はできないので裏の農道に回って車を置く。畦道から県道に出られるかな、っと。あれ?
畦道が鉄塔の横を通ってる!裏側には九電の柵しかない。やった!!
文句も言われず鉄塔の下へたどり着くことに成功。うーむ、またも変な結界。真ん中に水路がある~( ̄▽ ̄;)



どうやら生垣のある会社の構内ではないらしい。柵があるにもかかわらず結界中心に立てるのは水路のおかげだ。ありがたい♪
それにしても、なんで水路を避けて竹林になってる斜面の上に建てなかったんだろう。前も後もここより高い位置にある。標高差は
少ない方がいいんじゃないの?きっと何か事情があったんだろうなぁーと、いつもの如く妄想を巡らせてしまうのでありました。



公園みたいなきれいな結界にピカピカつやつやの鉄塔。塗装したてだった。作業してるところが見たかったなー。

187号へ行ったのは1ヵ月ほど間が開いた2月の終わり。九州新幹線全線開通が目前で県内に浮かれた気分が漂っていた頃だ。

     

山の上は公園として整備されていて眺望が効く。ここまで来ると海岸線もはっきり見える。その手前に新幹線の高架が白い。
あの高架を越えると宇土半島に差し掛かる。八代海を眺めながら進むことになるだろう。楽しみだ(*⌒▽⌒*)

        

敷地の隅に立て札があった。テントを撤去した?鉄塔の中に住んでた人でもいたんだろうか。・・・ちょっぴり羨ましいかもw

     

ふと気になった。海の近いこのあたりで碍子の数っていくつだろう。数えてみたら39個。前に数えた時は30個前後だった記憶が。
どこから変わったのか確認してない・・・今更ながら調べたら220-206号が31個、205号が33個、204号からは39個になっていた。
碍子の数は基本的には海岸からの距離や大気汚染の度合いなどで決めるという。205号あたりって海岸線から20kmくらい?
それが境目だろうか。苓北火力線のルート上で初めて海が見えたのが206号だったから206号から増えててもいいようにも思う。
まてよ、206号から向こうの鉄塔はこちら側より後から建てられている。碍子数の違いは建設時期によるものって可能性もあるか。
何にせよこれから行く先は思いっきり海岸べりだったりする。もっと増えるかもしれない。気をつけて見ておかないと、いつの間にか
めちゃくちゃ増えてたりしてー (||| ̄▽ ̄;)

苓北火力線 192-190号

2011-09-19 14:04:25 | 苓北火力線
これまでは村はずれの里山をたどってきた苓北火力線。ここからしばらくは人里を通る。里とはいっても田舎だから、風景が
劇的に変わるわけじゃない。でも尋ねていく時の気持ちはかなり違う。前にも言ったけど、道路があるって素晴らしい!

  
      宇城クリーンセンターと並び立つ192号。右端は193号。手前に電線だけ写ってるのは南熊本宇土線。

苓北火力線192号はなにやらカラフルな建物に隣接して建っている。「構内になるのかな、下まで行けるかな?」と気になった。
行ってみると門の外側だし柵もないし、なんてことなし。この建物は公営のゴミ処理施設なので9時~5時は中に入ることも可能。
なかなか良い角度で192号を見上げることができる。だからといって、みだりに入り込んで作業の邪魔をしちゃいけません。



すぐそばに焼却場の煙突があるせいか高速道路の脇だからか、ここは紅白。配電線が接続されている。11月に見た時にはその
電柱が蔓草に覆いつくされてた。鉄塔周りの草刈りってどのくらいの頻度で行われるんだろう。季節とは関係ないんだろうか。
もう2~3年刈ってないんじゃないの?という敷地もあれば、いつ見てもきれいな場所もある。ここの場合は今年は春の終わり頃に
刈られてたような・・・あまりはっきり覚えてないな(||| ̄▽ ̄;)
ここには「準拠点」があった。初めて見た。基準点なら結界の中心にあるけど、これは足の部分のコンクリートに埋められている。
どの足だったか・・・忘れました・・・○| ̄|_
で「準拠点」て何よ?検索してみて土地の境界を確定させるための測量の基準にするものだということまではどうにか理解。
それ以上はなんのことやらサッパリ・・・自分は測量士にも土地家屋調査士にもなれそうにないことだけはよく解ったw

 

さて、このブログでは2度目のご紹介の191号。以前の記事は鉄塔を見て回り始めたごく初期のもので、たいした内容でもないので
敢えてリンクは貼りませんw 自分にとって非常に訪問しやすい場所だということもあってもう何度も何度も見に行った鉄塔。
実のところほぼ毎日眺めてるけど、いつ見ても美しくて圧倒的で見飽きることがない。このムダのないシンプルなフォルム!

 

配電線を引いてくる電柱が小さ~い。確かにNTTの電柱に使われてるような小ぶりの電柱ではある。でもそれにしてもこの違い。
こんな真ん中に溝のある結界もまだ他では見たことがない。あー、もっと本格的な水路のあるのなら見たか。結界もいろいろだ。

                      
                                左が191号。右は192号。

昼間だけじゃなく夜にも何度か見に行った。中光度赤色航空障害灯。肉眼で見るとあれだけきらびやかに輝いてるのに、それを
見たままには撮れないんだよねぇ。ケータイだしなぁ。実は結界にも入ってみた。航空障害灯は目的からして外側上方に向いた
ものなので内側の地上に光はほとんど届かない。周りの部材が赤く照らされているのが見えるだけ。真っ赤な薄明かりに満ちた
井戸の底を覗いているような妖しい光景だった。だけど夜の結界はいろいろと危険だから良識あるみなさんはやっちゃダメです。
溝に落ちたりヘビに遭遇したりする可能性大。 変質者だとか畑荒らしだとか思われるともっと面倒だし(||| ̄△ ̄;)
「それでも行ってみたい!」と思われるなら、虫やヘビのいない冬場のほうが無難。昼間のうちに周りをしっかり確認して斜面や
段差には近づかないことです。作物の植えてある所に踏み込むことは絶対に不可。

   

190号もまた自分にとってはとても馴染み深い鉄塔だ。でも行ったのはこの取材の時が初めて。霜で真っ白な1月の朝だったなぁ。
落葉を踏みしめて丘を登っていくと並んだ碍子が思いのほか近くに見えた。500kVにしては背の低いほうだ。いつもは丘の下から
眺める姿を「そうかー、あんたはこんなだったんかー。」と改めてしみじみ間近に見上げた。
遠くから見るだけの時と真下まで行った後とでは心理的な距離が全然違う。不思議なもので一度でも行った鉄塔はどこから見ても
「あ、○○線の××号だ!」と判る。なので知ってる鉄塔の見える範囲にいれば道に迷うことがなくなった。
敷地の隅には小さなお堂があった。塔が建った時に仏様たちをお遷ししたのかな。定期的にお参りされる方がいらっしゃるようだ。

 

以前から見かけるたびに気になってたものがここにもあった。足に打たれた数字、ここでは「1.0」。何だろう。基礎についての表示
なのかなぁ?これについてご存知の方がおられましたら教えていただけませんでしょうか。お願いします。m(__)m

190号を訪れた日は189号・188号にも行った。でも今回はここまで。続く鉄塔たちのことは次の記事でじっくりご紹介します。
どちらもなかなか曲者でした~ ( ̄ー ̄)ニヤリ

緑川電力をめぐる事情

2011-08-22 00:45:24 | 発電所
暑い~。わが家のまわりは田んぼと畑ばっかりだから都会に比べればかなりマシだろうと思う。でも暑いよぉ。
なので、予定を変更して今回は山の中の水力発電所を取り上げることにする。
取材はカンカン照りの午後に決行した。それでも涼しかったです。やっぱり水辺はいいなぁ (*⌒▽⌒*)

     
                      津留発電所。現在はチッソ・・・じゃなかった、JNCの所有。

本題に入る前に前回の補足。
八代から弓削までの送電方向のことだ。逆向きの電線路しかなかったはずなのにどうやって?と悩んでたんだけど、そんなの
気にしなくてもいい方法があったんですね。大淀からの電力を八代で熊本電気に渡す。熊本電気は同量を弓削から送り出す。
収支が合っていさえすれば間が繋がっていようがいまいが関係ない。実際にその方法が採用されていたかどうか確認はできて
ないけど、不自然なやり方で電気を流すよりはずっと合理的だ。ご指摘下さったKitakumaさん、ありがとうございました。

   

左の鉄塔の手前の緑の屋根は津留発電所。右の鉄塔の下のクリーム色の建屋が内大臣川発電所。どちらもJNCのもの。
一方、堰と石組みの取水施設は九州電力大井早発電所のものだ。上流側から見ると津留の放水口と大井早の取水口は一体と
なっている。去年そのことを知ってからずっと不思議に思っていた。会社が違うのに太っ腹だなぁ。いや、津留は九電の所有だった
時期があったんだっけ。だから?どこかで発電用水利権は1水系1事業者だと読んだ気がするけど熊本では違うんだろうか?
その疑問が大淀の件を調べているうちにちょっぴり解けてきた。熊本電気の社史に書かれていた意外な事実!

    
            大井早発電所取水口                        大井早発電所ほぼ全景
   左が緑川本流からの流入、津留発電所放水口は手前。

昔の水利権設定の範囲について。水系をまるごと独占するわけではなく、逓信省などがあらかじめピックアップした「水力地点」に
対して水利申請をしていたようだ。一つの川に水力地点はいくつもある。水量・落差・その他諸々によって得られる出力が違う。
狭い範囲にいくつかあれば上流側か下流側か右岸か左岸かでも有利不利がある。小さな集落の電灯用に使うのなら理論出力が
あまり大きくなくても村に近いほうがいいだろう。大規模な電源開発をしたいなら一番有力な地点が欲しい。思惑が重なりあうと
奪い合いになる。明治の頃は単純に早い者勝ちだった。それが大正期に入ると審査制に変わっていった。そうなると裏から手を
回してみたり地元の会社という体裁を整えてみたり、あの手この手の戦略が講じられるようにもなる。


        水圧鉄管はいったん上の小屋の水車?を通っている。これ、まさかメインの発電機じゃないよね・・・
    
大正時代に緑川電力という会社があった。津留発電所を造ったのはここ。外見がいかにも「日窒の発電所」だから日本窒素肥料が
建てたと思ってたら、違うんだぁ。でも津留は日窒の鏡工場に電力供給するための発電所だったのになんでだろう?
一方、大井早発電所は最初は九州製紙のものだった。九州製紙~??
実のところ緑川電力は九州製紙の子会社だ。最初は九州製紙と地元有力者とで「九州水力電気期成組合」として設立し、津留と
横野の水利権を獲得。しかし組合の形では業務に制約があるということで、1917年に「緑川電力株式会社」に組織変更している。
九州製紙は緑川電力を立ち上げて本格的に電力供給事業に参入するつもりだったのかなぁ。


津留発電所裏の古い鉄塔。津留分岐連絡線1号?いまだに「日窒」w シングルテーパーのは配電鉄塔。普通に6.6kV。

ともかく津留発電所は先に運転開始していたお向かいの内大臣川発電所に続いて、1919年には鏡へ向けて電力を送り始めた。
横野発電所の建設工事も始まった。九州製紙本体は大井早発電所と並行して、球磨川河畔の美しい建屋で有名な深水発電所の
建設にも取り掛かっている。しかしこの頃になると第一次大戦景気の後に続く不況の影が落ちてくる。資金繰りが苦しくなった緑川
電力は熊本電気に引き取られることに。未完成の大井早発電所も一緒だ。「創立弐拾周年記念 熊本電気株式会社沿革史」では
この辺の事情が「イマドキは小規模事業者がやってくのは大変だからウチみたいなしっかりした会社に任せて正解よ!」みたいな
上から目線な書き方になってて笑ったw(そういう本なんです。自分たちの仕事への自負心と同業者への対抗心にあふれてます。
熱いです。いったんは熊本電気に決まりかけてた白川水利を日窒に持って行かれたことへの恨み言なんかは爆笑モノです。)
そんなこんなで1922年には熊本電気が津留・大井早・横野の3つの発電所を譲り受けた。指をくわえて見ていたに違いない緑川の
水利権を他社の窮状につけ込んでまんまとかっさらったと思うのはちょっと意地の悪すぎる見方かなw

    
 津留発電所は熊本電気になってからは近隣集落への配電も行なっていた。これはその設備だろう。向こう側のは受電用です。  

3つの発電所は他の一般供給用発電所と同じように、戦時中は日本発送電の管理下に置かれ戦後は九州電力の所有となった。
津留発電所がチッソに譲渡されたのは1964年。緑川ダムの建設に伴い、取水口が水没して運転できなくなるチッソ緑川発電所の
現物補償としてだった。今年の4月から所有者の名前がJNCに変わったけど、これはチッソが水俣病補償専業の会社となって事業
部門をすべてJNCに移したからで、運用の実態が変わったわけではありません。まあね、日窒鏡工場は85年も前に閉鎖されてて
そこに繋がってた津留発電所はそのあとはたぶん一度もチッソの系統に繋がれたことはないんですけどね(= ̄▽ ̄=)

 
  横野発電所の建屋へと階段が続く。中央の画像は水圧鉄管上部の水槽、右の画像は数十m上流寄りにある別の水槽。

3つの発電所のうち最上流の横野発電所は送電線のない発電所。道からは建屋が全然見えないうえに鉄塔もないから、入口の
標識が立ってなかったら気付かずに通り過ぎてたに違いない。建設当初は津留発電所への送電線があった。でも6.9kVで木柱と
いうから現在の配電線とあまり変わらないのか。今は6.6kVのようだった。津留に繋がっているかどうかは分からない。
この付近には津留への水路が横野への水路を跨ぎ越している所もある。そんなのを見ると「ああ、以前はどちらも同じ会社のもの
だったんだ」と実感する。

  
  崖下から上がってくる配電線。そのまま周りの集落へ送られているようだった。奥の白いポールは資材運搬用の索道。

水力発電所は明治後期から昭和初期にかけて作られたものが多い。廃止されてしまった所もあれば、何度も所有者を変えながら
生き残ってきた所もある。その特性上火力発電所などよりも寿命が長いので時代を反映したドラマをたくさん持っている。
他の発電方式に較べて水力発電所はマニアが多いってのも納得できるかなぁ~w


 追記 : 記事の内容に不正確な記述や説明不足と感じられる部分などがありましたので修正しました。
      それから、参考にさせていただいた文献・サイトを書き忘れていました。申し訳ありません。
      あらためてご紹介させていただきます。
        ・九州電力株式会社 「九州地方電気事業史」(2007年)
        ・熊本電気株式会社 「創立弐拾周年記念 熊本電気株式会社沿革史」(1929年)
        ・国立国会図書館近代デジタルライブラリー 
          逓信省電気局 「発電水力地点要覧 大正6−(9)年」(1922年)
          逓信省     「水力調査書 第5巻 水力地点表、気象表」(1923年)
        ・九州電力株式会社HP
        ・JNC株式会社HP   
        ・日本製紙株式会社HP
        ・ゴン太氏 「九州ヘリテージ>調査書>坂本隧道・旧西日本製紙株式会社工場跡」
                                                                (2011-08-23)