-+-+-+臼村さおりのお知らせ-+-+-+2023年1月の催し
ここ1か月くらい心にあることを記しておこうと思いたち...
余談。
今年は安楽死がトピックになることが多い年なんだろうなとおもっていたら一昨日、老人の集団自決がtwitterのトレンドにあがっていてくらい気持ちになりました。
ちょうど文化人類学を受講しているわたしは、これが近代の二元論的発想なんだなとおもいました(読んだ人がよくわからないのは、本人がよくわからず書いているからでしょう、いまだ受講中なもので)。
近代的な二元論とは、人間と自然(動物・植物も含む)を非対称的なものと捉え、後者を利用する資源や道具と考える発想です。一方、人新生(今)は互いに共存している、対等であり、影響を与え合っている、つまりは共生という考え方。実際、災害(というのはわたしたちからみた表現で、自然からの投げかけ)が多発し、わたしたちはそれに対等に向き合って反応する時代になっていますよね。自分たちだけでは決められない。
もっともみえていないだけでその流れは今までもあった。例えば、化学的な薬剤ひとつにしても資源や便利なものであると同時に、植物由来で、植物がわたしたちに作用させている。また近年、わたしたちが植物に働かせられているという本もありましたよね。
AIについても同様で、わたしたちの優位になるという考え方も散見されますが、そうでなくてAIと共存、共生していくのでないでしょうか。二元論的な、非対称な発想をするから、優位という発想になる。あまり追えてないのだけど、おそらく藤井聡太さんのおっしゃるAIと共生に近い考え方かと。
話をはしょると多様性の時代なのです。
という前提だと、老人の集団自決という話にはならないとおもうわけであって、つまりは世界は近代的な二元論に満ちているということなのかなあ。
今後も考えよう。
ここから本題。医師のほう助による安楽死の話です。
ご存じのとおり、医師のほう助による安楽死が行われている国もあります。要件はさまざまで、延命をしない尊厳死に近いものから自殺なのではとおもわれるものまであるでしょう。それらについてのわたし個人の考えを書くことは時間的な制約もありここでは控えます。
今書くのは、精神疾患を理由とした医師のほう助による安楽死についてです。2021年3月の日経新聞でも報道されました、カナダで精神疾患の患者も安楽死の対象にしていくという話。進行しているみたいなのよね。
個々のケースについてはわかりません。しかし、わたしの意見は、概ね反対です。たとえ複数の医師が判定するとか、複数回診断を受けるとか予防策が講じられたとしても、もちろんバリアとしてないよりあった方がいいのだけど、そういう問題ではなく根本的に反対です。
だれでも心が疲れてしまうことあるし、特に今の時代は積極的に健康でいようと養生しないと、だれもが心身を崩しかねない。つまりはだれもが精神疾患になりえる。
けれども、わたしたちには立ち直る力がある、と信じています。そして死ぬ自由という考え方もあるのかもしれないけれど、それは違うといいたい(←個人的な考え)。生きてほしい。
先月半ば以来、この話が心のどこかに常にあって、ひとりの人間として何ができるか、何をしたいのか、何をすべきなのか考えます。
年明けくらいまでは泣いたり、ため息をついてばかりでいたのだけど、ここ数日雑務にまみれて忘却している。泣きたいわけではない、悲嘆にくれたいわけではない。だけど忘れたくはないし、しっかりと自分ができることやっていきたいから、それを覚えておきたく、この場をお借りして綴りました。
どうもありがとうございました。
今日もみなさまにとってよい日でありますように。
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