京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤした後の生活を
大好きな旅行を中心に綴っていきます。

七条 舞坂 うなぎの思い出

2010-11-26 12:58:00 | 家族

今年もあと一月余り。
今年の紅白の司会者も、いよいよ決まりましたね。

紅白それぞれ初めての司会者で、白組は嵐の5人、紅組は松下奈緒さんだそうです。
松下奈緒さんは、連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でヒロインを演じた女優さん。
嵐の5人は、今、歌に、ドラマ・バラエティーに。。と大活躍ですよね。

ところで、突然ですが、嵐の5人って全員名前が言えますか~。

大野 智(おおの さとし)・櫻井 翔(さくらい しょう)・相葉雅紀(あいば まさき)
二宮和也(にのみや かずなり)・松本 潤(まつもと じゅん)ですよ。

今本当にきらきら輝いている彼ら。
でも、今年は紅組に勝ってもらいたいんですよね。。

だって、この所、白組の勝ちが続いているし、
対戦成績は今までで、紅28勝、白32勝なんですって。

今年はゆっくり家で紅白を見ながら、
気合いを入れて紅組を応援しようと思っています。


 

うなぎの舞坂と父の思い出

さて、七条の七本松通りを上がった所に、うなぎの舞坂というお店があります。

このお店には、私にとって忘れられない思い出があります。

 もう、35年ほど前のことです。まだ、私が学生だった頃、
体調の悪い父を、検査の為に市民病院へ
連れて行ったことがあります。

血圧がその時240もあった父、私もびっくりしましたが、病院側もびっくり、
病院側がすぐに用意してくれた車いすに父を乗せて、
検査の為病院を周りましたっけ。。

でも、その時の検査データーがすごく悪くて。。
そのまま入院して透析することを勧められてしまった父。

私はどうしていいやら。。おろおろ。

でも、父は、入院は次の日にして、一度家に帰ると言います。
先生のOKを貰って、家に帰る途中通ったのが
その七本松通りだったのです。

鰻が大好きだった父、うなぎの舞坂のうなぎはその中でも
お気に入りの鰻でした。

 
父を助手席に乗せて車を運転し、舞坂の近くまで来た時、

父が、

「舞坂の鰻でも買って帰ろうか。」と、にやっ。

「入院したら、当分は食べれへんしな~。」

「え~。。そんなんええの。。と言いつつ、

なんか、私も父に鰻を食べさせてあげたくて、車をストップ。
家族の人数分、うな丼を買って帰りました。

家に帰って、入院の事や、透析のことで、母も弟も心配し、
暗くて不安な空気が家中に流れたのですが、

ここで、家族分のうな丼が登場。

「いや。。当分食べれへんしと思ってな。。と、

頭をかきながら、にやっと笑う、わんぱく坊主のような父を見て、
呆れながらも、みんなの顔に笑顔が戻りました。


美味しいうな丼を皆で食べて。。、おかげで
皆も、ま、なんとかなるやろう~、頑張っていこう
前向きに思えたのです。

その後、透析を続けた父は、9年後に亡くなってしまったのですが、
この時、みんなで食べたうな丼の思い出は、

父が生きているときも、亡くなってからも
家族の心を温かくする、忘れられない思い出なのです。

舞坂御膳

その七本松の舞坂に35年ぶりにやってきました。

このお店の前を通る時は、いつも父の事を思い出す私でしたが
お店に行ったことはなかったのです。

私の中では、思い出のお店になっていたのかな~。

主人が奢ってあげるから。。というので、お店に入り、
頼んだのは舞坂御膳。

うな丼に、お造り、肝吸いもついています。

 一口食べた時のうな丼の味。。

もちろん、もう昔の味は忘れてしまっていますが、
父の事をやっぱり思いだして、すっごく懐かしい気がします。。。

 色々な父との思い出話もして、帰りには母にもうな丼のお土産を
 買って帰りました。

35年前も、ここでショーケースを見ながら、うな丼を買ったんやな。。

そんなことを思いつつ買ったうな丼は、
父のお仏壇にちょっとだけ供えてもらってから、母に食べて貰おう~っと。

 思いもかけず懐かしいうな丼を食べてしまった私。
ありがとう~、ご馳走様でした。

でも、いつか、母や、長男夫婦、次男カップルも連れて来てみたいな~。

どんなに辛い時でも、ひょうきんで明るかった父。

 色々と辛いことがあっても、父の面白さや楽しさに
どんなに助けられたことか。。

その明るく面白いDNAが受け継がれている息子たちに、
父の大好きだった味を食べて貰いたい気がします。

 

お父ちゃん。。

あの世からみんながそれぞれ頑張っている姿を見ていてね~。

そして。。いざという時は助けてやってな。。よろしくお願いします。

 

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