人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

学校に忘れ物

2007年04月28日 | ただの雑談
ノチカナスチかつら

新しいボス(50さい)のデスクトップに発見したアイコン。

まだまだ自分のことばっか考えているぼくであるが、自分自身をどう見るかについては、少しずつだけど変わってきてるなあと考える今日この頃である。この歳でこんなことを思うのは、今さらでみっともない話だとは思うが、精神的な成長が人より遅れているせいである。一歩一歩遅れを取り戻していきたい。

※ ※ ※ ※ 

かつて、ぼくは王様だった。いや神様だった。ぼくに出来ないことは、無かった。何故ならぼくは、ぼくが作った世界の中にしか存在しなかったから。万物の創造主とは他ならぬぼくのことだったのだ、エヘン。世界の中心がぼく。天の一番高いところにぼく。下を見ればキリがなく、上は見ない。自分の価値観が唯一絶対、恐怖政治の独裁者だった。なかんずく自分は天才に違いないと信じていた(音楽で…)。世界の構成員たる一般市民はみんな低俗だし無能だけど、ぼくを崇めていい気にさせてくれるくらいの役には立つかな、なんて考えていた、マジで。今に見てろよぼくが世に出たらとんでもないことになるぜ、と信じていた。マジで。
人格障害を疑うのもムリはないでしょう?

今では世界というのは学校みたいなものだと考えている。その中で自分が所属しているクラスを「社会」と呼んだらよいのかな。学年が進級するみたいに、所属するステージって次々と変わるからね。学校はぼくが創立したものでもなければ、ぼくが現れるのを待っていたものでもなく、最初からただ存在していた。ぼくはとあるクラスの単なるいち構成員だ。クラスは自分だけのためにあるのではないし、社会的にぼくは全く特別な存在ではない。徐々にそういう考え方に変わっていった。
おそらくこれからも「社会を意識する」というコンセプトに沿って、ぼくのものの見方や考え方は変わっていくだろうと思う。現在は授業に付いて行けてない問題児だが、よく勉強して無事に進級していきたい。
ぼくは秩序の中に生きていく。混乱こそわが墓碑銘というのは、レコードの中だけでの話だ。

※ ※ ※ ※ 

数年前、合コンってほどではないけど、男女数名で飲みに出かけたことがある。ぼくと、ぼくの友人の女の子が、幹事役として人を集めた。彼女がぼくより年上なせいもあって、当日の顔ぶれは全員ぼくより年上だった。後にその日の出来事の後日譚として、彼女はこんなことを教えてくれた。
「いやー人骨君ってばほんと子供っぽいよね。みんなそう言ってたし。あんたがバカなおかげで楽しめたよ」
当時はそう言われても「わめくがいい!ほざくがいい!罵るがいい…阿呆なお前らに出来るのはそれぐらいだからなぁ…」と遠い目をしながら思ってたもんだけど、今では彼女に同感。多分、対人恐怖症のくせに根拠の無い自信に満ちていた当時のぼくは、とっつきにくさ全開の教祖様だったに違いない。アンラー。
後年、ぼくがすでに神様を辞めピューピル化しつつあった頃、また彼女と会って話す機会があった。その時はこんなことを言われた。
「あんたにはもう前みたいな覇気が感じられねーよ。人間いっくら歳をこいても、青臭さがなきゃつまんねーよ」
一聴すると単なる蔑みの発言だけど、彼女にそんな意図は無かった。この時、昼間っから2人して空けた缶ビールがそこに転がっているという状況を差し引いても、今までアネキ的に「かっこ良いな」と思ってきた彼女のことを、初めて「可愛い」と思った。ぼくは彼女の期待を裏切ったのだ。自分の世界観が変わって来てるんだなと、鏡を見るみたいに実感した初めての出来事だった。それからさらに数年経ち、その間お互い知りえないことも色々あったであろうが、今はそれぞれ所帯持ちに収まっている。
彼女に直接「おめでとう」を言えなかったのが心残りだ(いつか言うから良っか)。

※ ※ ※ ※ 

つい先日、100人を超す新入社員たちの相手をする機会があった。残念ながら、ぼくの勤務先がこれだけの大量の新人を採用する超大手企業というワケではなく、彼らは自分の後輩たちではない。複数の会社の新入社員の寄せ集めだ。ぼくとしては、あくまで仕事上の「お客」として彼らに接した。彼らは「合同新入社員研修会」みたいなのに参加するために集まっているのだ。
これが結構なカルチャーショックであった。具体的に挙げてみると…
まず、スゴイ喫煙率。みんなモクモク吸うわ吸うわ。いずれ加齢とともに彼らの喫煙率は下がるのだと思うが(大半はファッションとしてのタバコだから)、それにしても時と場所を選ばずに吸いまくる。休憩時間の終わった狭いロビーは、蒸気機関車が通過したみたいにモワーと煙幕が張られていて、


これに似ていた


なかなかスペクタクルだった。
それから、具合が悪くなる人続出。なんでみんなこうも倒れるの?!ってくらい、軽ぅーくパタパタ倒れる。やはり女の子が多い。ぼくは女性として生きたことがないので詳しくは分からないけど、この年齢の女の子は生理とかが酷くて倒れがちなのかなあと、はじめは人並みにエッチな想像をした。ところが同じく「すいません具合悪いので」と言ってきた男性を見て、その考えに疑念が生じた。と言うのも、「男がそういうくらいだから余程ツライのだろう…」と気の毒に思っていたら、休憩中に全然余裕そうにウロウロ歩いて談笑してたりするからだ。それでいて時間中は平気で自席を離れ見学を決め込んでいる。となると、案外女の子たちも「少しでも辛かったら無理をしない」ことをポリシーにしているのかもしれないな、彼みたいに。
あとはしゃがみ込む人もとても多い。スーツ姿で蹲踞のポーズというのは、やっぱり不釣合いなものだなあと思った。

だけどぼくはそんな彼らを、朝日新聞みたいにしたり顔で非難するつもりは全く無い、その必要は全然ねーのよ。だって何しろまさに自分自身が通ってきた道だから。ぼくなんか酔っ払って駅の券売機を壊した挙句電車内でしゃがみ込んで、禁煙(多分)の地下鉄車内でタバコ吸いながらPHSで大声で「会社とか言ってマジ下らねーよ!オレは辞める!」とか話してたもの。だから彼らも気にしないでほしい。ぼくの例は極端(なDQN)だとしても、とにかく今までとはガラリと環境が変わるのだから無理もないことなのだ。つまり不慣れな外人みたいなものだ。そして新入社員だから許されるうちに、空気に馴染めば良い。多分数年後には、彼らのほうがぼくなんかより全然立派な社会人の鑑になっているに違いない。

自分が入社して1年目か2年目のころ、見知らぬ後輩の学生からOB面接というのを受けた。この時はまだまだ学生の気持ちがよぉく分かったので、中々率直な意見交換が出来たと思っている。ところが今や、ぼくと新入社員たちとでは教師と教え子くらいの歳の差になってしまった。学生と社会人とではこの数年間あまりに違う過ごし方をしているのだから、お互いが出会った際のカルチャーショックは大きい。ぼくもすっかり「こちら側」にどっぷりになってしまったから、今回100人からカウンターカルチャーの一斉攻撃を受けたわけだ。つい前月まで現役学生であった彼らと同じ立場で理解しあうのは、20歳年上の上司と理解しあうよりよほど難しい。

だが、そこで一方的に彼らのことを半製品扱いするのは、少々思い上がりが過ぎる。青春時代、例えば大学の4年間は、中年サラリーマンの4年間よりも重たくて濃密なことが多いだろう。多くのかけがえのない経験(アクティブであったにせよ内省的であったにせよ)を糧に成長する時期だったに違いない。文化が違うということは決して優劣の差では無いし、むしろ新入社員たちはものすごいポテンシャルを秘めているに違いない。だって20歳前後の若者の創造力はスゴイはずだ。何しろぼくが好んで聴いているロックという音楽は、多くが20歳そこらの若者の作った音楽だ。音楽の種類にもよると思うが、ことロックというジャンルに関してはその20歳そこらが創造性のピークであるようだ。それくらい脂が乗り切っている年頃であるのだ。スポーツ選手だって同様だろう。単純に「新入社員」という括りで考えた場合にのみ、彼らはバンビーノ扱いに甘んじなければならないだけだ。
昔流行語になった「新人類」という単語みたいなノリで、若者を得体の知れない無脊椎動物みたいに蔑んではいけない。「明日にも孵化する金の卵だ」って思わないと。放っておいたって、慣れれば勝手に会社人間になってくれるのだから…。

というワケで、100人の新入社員たちにかけるべき声は、いまは何も見つからなかった。ぼくは外人、彼らも外人。お互いが外人同士なのだ。
かつて学生だった我々は、実は学生だったことを忘れてしまいがちな気がする。人間は、かつて当たり前だったことが、理解できなくなるのだ。「自分の気持ち」が分からない人は中々いないと思うが、今の自分の気持ちを、未来の自分は理解しなくなるのだ。

実はつい最近まで新人たちの気持ちって良く分かったんだ。本当は好きでも何でもない仕事に一生を捧ぐ先輩を見て唾を吐きたくなる気持ちが良く分かったんだ。だから話しやすかった。なのにフト気が付いたら、もう彼らがナニを考えてるのか分からなくなっていた!忘れちゃったんだ!

※ ※ ※ ※ 

子供のオモチャメーカーって大変だと思う。かつて子供だったことをもう忘れてしまった大人が、大人の理論に基づいて、子供が喜ぶものを作らないといけない。商品開発セクションは売れる商品を世に出そうと日々努力していることだろうが、「昔なら自分が欲しいモノくらいもっとカンタンに分かっただろうに~(涙)」と歯がゆい思いをしないものだろうか(しないか)。
教育現場となるとなおも難しいと思う。自分が子供の頃を思い出せば、子供なりに色々考えて教師たちを見つめていた。小学生の時分をおぼろげに思い出す。
「この先生はヤル気ないよな、ぼくらのことなんかどうでも良いんだろうな。あの先生は恐いけど最後は守ってくれそうだよな」なんてことは、誰もが何となしに感じていただろう。本能だ。ぼくなどは生意気なクソ生ガキだったから「何だよこの先公は、ここでそういうこと言うか?つくづく暗愚・凡愚・鈍愚だよなぁ~」なんて本気で難しい単語使って思っていたし、書籍類(クラスメートの女の子たちが学級のために差入貸与してくれていた「えほん」)を大量破壊して職員室に呼び出されて怒られた時は「どうしてそんなことをするのか!理由を話しなさい!」と言われ「ストレスです」と答えていた(マジ)。
冗談ではなく本気でそう答えたのは間違いないが、どういう気持ちでそう言ったのかは、今ひとつ思い出せない。
子供の心は少しずつ少しずつ、忘れていく。少しずつが重なったから、もうとっくに忘れた。覚えていれば役に立つ日が来たのかもしれないが、仮にメモしたり日記に書かれて残っていたとしても「覚えて」いることにはならない。「へー、ぼくってこんなこと考えてたんだ。っていうかバカだったんだな」と、完全に他人事になるからだ。
ひとつ忘れて、またその次も忘れて、やがて人は「今の自分」に至るのだろう。

ぼくの場合について思うには、「長いこと忘れなかった」らしい、16歳レベルの思考を。精神年齢は止まっちまったままだったんじゃあないか。別に子供でも悪くはないんだが、今のクラスのことを考えれば問題児に甘んじたままではいよいよ肩身が狭い。
上述のOB訪問を受けた時のぼくは、思いっきり学生のまんまだったような気がしている。彼に「きみみたいな志ある若者は、こんな下らんトコに来ないようが良いよ、ぼくみたいに腐るぜ~」みたいなことを言ったかもしれない。そのせいかどうか分からないが、結局彼はぼくの職場に来なかった。当時はそれでよかった。今思い返すと、悪いこと言ったかもしれない。
あの頃のぼくにあれだけ「分かった」ことが、今じゃ全然分からない。忘れていく。そういう意味では、果たして人間は精神的に成長していくのか、あるいは退化しているのか。考え方の分かれるところだろう。
創造力(ロックの例)や体力(スポーツ選手の例)で考えれば、確かに退化的な側面も無いとは言えないのだろう。だけど一般的な見解は「成長」なんだと思う。

そして忘れてしまうための良い(悪い?)機会というのが、往々にして新生活によってもたらされるカルチャーショックの影響なんじゃないかな。
ぼくには機会のインパクトが少なかったのだろうか。あるいは不良に憧れてて意図的に落第を続けようとしたのか。よく分からないが、今この瞬間もぼくの精神が年齢にしては未熟なのは間違いない。自分の非は何も認めず都合が悪いことは全部他人のせいにして、無力な子供が母親にすがるようにぼくはアルコールがもたらす快楽にすがった。自分が無責任だったせいでこうなった。
ということで、成長に失敗していた自分の、半生を反省してみた、うほッ。

※ ※ ※ ※ 

人生忘れものばかりであっても、その結果としてあるのが今の自分である。これから、残念ながらぼくはどんどん色々ジャンジャカと忘れ物をしていかないといけない。ちょっともったいない気もするけど、年貢の納め時はとっくに過ぎている。アル中になったのは延滞税みたいなもんだろう。忘れる代わりに得るものがあることだって、忘れてはいけない。ぼくの場合、忘れて得るもののひとつこそ「社会」であろう。

幸いだが、昔と今を比べて、ぼくはどんどん良くなってる。そうとしか思えないような、幸いな思考回路をしているのだ。
今まで心の底では自分が他人に誇れるものなんて無いと思っていた。劣等心のかたまりだった。他人と張り合うには能力が無ければと思っていた。一歩抜きん出なければと思っていた。その能力にすがってプライドを保ってきた。酒って20歳未満は飲んじゃいけないから、大人っぽいじゃんって思ったのかな?周囲に「人骨君は酒強いよね」といわれるのは、確かに「能力」っぽくて好きだった。うかつにも墓穴ホリオ君であった。
今まで「薄くて、浮いてなくて、目立たない存在」にはなりたくなかったわけだが、現在はそれを目指している。

とりあえず誇りを持てそうだ、ぼくの前向きプラス思考だけは大したものだなって。

※ ※ ※ ※ 

先日、例の自殺関連の書籍の話を書いたら、心配をしてくれる人が数名いた。
あいにくぼくは自殺したい人の爪の垢でも飲みたいくらい、無神経で前向きで恥知らずのDQNである。何しろ学食でうっかりブチまけたカレー定食を拾い集めて食ったことがあるくらいだからな。そのマニュアルには、パンチラスポットみたいに自殺スポットが紹介されてるって聞いてたからなんですよ。マニュアルどおりに死んじゃった人の屍がどこに落っこってるのか…爪の垢は飲みたくないが、「お弔い」して差し上げたい気持ちはかなりあるから…って、こんな趣味悪い話書いたら「浮いちゃう」から黙ってたのにッ!
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8 コメント

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忘れ物を失っても―。 (カツラギ)
2007-04-29 12:06:58
上司に限らず人のPCってさわりたくないですわ。
なんかプライベートなヒミツがワンサカありそうで、
見た瞬間関係性が崩壊確実の核地雷だらけだろうし。

ワタシもよくデキの悪いまま世界って学校に
臆面なく出てきたなと今思うと身震いしますです。
あの無鉄砲で傲慢だった時期に死ななくてよかった。

>「薄くて、浮いてなくて、目立たない存在」

を目指すことで新たに得られるものがあるのなら
それで構わないと思うですよ。
尖がってた時期は終わりを迎えつつあるのだし―。
喪失から得られる成熟もまたあるのですから。

それであっても人骨さんの魅力までが喪失するとは
思えないですし。

ただ個人的には倣岸カミサマだった頃の人骨さんにも
いちど会ってみたかったですけど(笑)。
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ただのバカです (人骨)
2007-04-30 00:24:54
よく「丸くなる」って言いますが、これは的を得ているそうですよ。30歳くらいまでに人間の人格形成って完成されるとか。
自分は遅れているのは確実なんで、何とか早く消えたいです。しかも尖ってるとかじゃなくて、ただのバカもんです。
とうとうチビは「クソ」という言葉をモノにしてしまいましたし…。

話は変わりますが、要らない単語ばっか覚えるんですよ。「ゴミ、シュウシュウ車」「ナカライ、シャン」(気象予報士)
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イイ子に育つ。 (カツラギ)
2007-04-30 02:05:09
>「ゴミ、シュウシュウ車」「ナカライ、シャン」(気象予報士)

ゴミ収集車はワタシがコドモの頃最初に執心したクルマですよ☆
その直後、バキュームカーの魅力にもとり憑かれましたがw

半井しゃんもNHK愛好家である大人のワタシが執心中の気象予報士さんですよ☆
そのうち石原ヨシズミとかに興味持ち出したら危険信号なので注意してあげて下さいね。


そんなわけで(どんなわけだ)息子さんはきっとイイ子に育つと思います。間違いない(多分w)。
返信する
言われて思い出しました (人骨)
2007-04-30 23:13:55
ぼくもバキュームカーに夢中でした。何しろ一番気になったのがホースの先端に野球ボールがはまってる点でした。1/16くらいのリアルな模型も持ってました。トヨタダイナのトミカバキュームカーと併せて大好きでした。
それから浄化槽を覗くのも大好きでした。汲み取りが来ると作業に立ち会ってました。浄化槽だけでなく排水口やドブを覗くのも大好きでした。

ちなみにこういうのと同じような気持ちで、ミイラとか骨が好きでした。
我が人生、思い出してイヤになってきました。
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毎回毎回 (のこのこ)
2007-05-01 09:36:22
上手ね~、「そうそう、そうだったー、私の若い頃も♪」と思って、読んでしまう・・・・。
本を破いたり、地下鉄車内で喫煙はしなかったけど(苦笑)
神童って言葉の真意とはズレるけど、「神様」だと思い込んでんのね、「私の考えは正しい」って若い頃の自分は。

高校時代、20代前半の自分の日記を読み返すと「ホントつまんね~女」で「超かわいくねー女」なんだけど、まったく逆に思ってましたから(恥)

仕事して2~3年目の「青臭い」時代のほうが、後輩をまとめられましたね。いまは無理です。10歳くらい年下の子ばかりですから。逆に、「相手してくれてる」感満載です(涙)。

「学校」にどんどん忘れ物をしていく人生ですけど、そのうち自分自身も「忘れ物」そのものになっていくんだと思うと、寒いです。

バキュームカー・・・・・・嫌いです(笑)
幼い頃、借家に住んでいたので、「まだ、ぼっとんのトイレ(下水なし)」ということがバレバレになったので・・・・。
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Unknown (人骨)
2007-05-02 09:10:34
> そのうち自分自身も「忘れ物」そのものになっていくんだと思うと、寒いです。

大丈夫だと思いますよ。昔の自分を忘れてしまうってことは、成長してるってことなんだと思います。
「今も昔も変わらないよな」と思えて初めて、人間完成なのではないでしょうか。
40で不惑と言いますから、40歳目標で良いかな?なんて考えています。

と、初めてマジメに返答してみましたが、所詮今のぼくは骨とウンコで出来ています。
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言い忘れてたけど (のこのこ)
2007-05-03 02:37:21
人骨さんのご子息、
「ナカライシャン」を覚えているということは、人骨さんのDNAを受け継いでいる、というすばらしい証です。さすが、「見る目」あり、ですわ(笑)

うちの旦那君は「愛ちゃん(皆藤愛子:フジTV)」がテレビに出ると、ご飯も食べこぼす勢いですから・・・・(恥)

しかも気象予報士ではなく、お天気お姉さんですし・・・。

ご子息、レベル、高いですわ。
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ナカライシャン (人骨)
2007-05-06 00:39:55
> ノコさん

個人的には半井さんはマニアックすぎてダメですね。

ただ彼女が巨乳なのかどうかについて以前父親と議論したことがあります。父親は巨乳だと主張し、ぼくは貧乳を主張しました。結果は父親が正しかったです。
これは言い訳ですが、丁度ぼくの家のテレビが横長型のに変わった直後でタテヨコ比率がずれていたうえ、半井さんはいつも画面の右端っこにいるため、見誤ったのです。
おっぱい星人としてまだまだ自惚れていたと自覚する出来事でした。

要するにぼくのDNAはあまり継がない方が良いです。
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