人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

季節の変わり目

2007年10月14日 | ただの雑談
よく季節の変わり目にはキチガイが出るというけど、確かに日本人の体には夏モードと冬モードが存在しているそうで、体内で色々とチェンジしているらしい。同じく最高気温20度の日であっても、春先のソレと今のソレでは感じ方が全然違うだろう。多分感じる人間の側に、その違いの原因があるのだと思っている。
かくいうぼくは、先週キャンプに行ったこともあるのだけど(妻子同伴)、やっぱり風邪を引いた。毎年この秋の季節の変わり目に風邪を引いている。もう16歳くらいのころからずっとそうだ。要するに夏モードのカラダでは寒風に耐え切れず体調を崩し、その後冬モードにスイッチが切り替わるらしい。余談だけど、もしぼくが天寿を全うするとしたら、最期の時はこの秋口の体調変化が原因になるだろうと思っている。

さて、季節の変わりにキチガイが現れるという格言なのであるが、すなわち多分カラダだけでなく脳ミソにも何か影響があるということなのだろう。実際に世間にそういう人が出るのは間違いないわけだし、ぼくもぼんやりと鬱気味になる。というかまさに自分もヘンな人の1名かもしれない。
ぼくは精神のどこかが正常でない気がしているのだけど、実際はどうなのかなあと思う今日この頃である。やっぱぼくって絶対ヤバイ人だよな、と自分で自分が心配になってしまう。暗い気持ちだ。

はじめに、アルコールの問題についてであるが、おかげさまで飲酒を再開しても問題は発生していない。晩酌はしないことにしたので家に酒を置いていない。外で、普通に飲む機会があったときだけ、普通に付き合うだけだ。特に量に関しては相手のペースに合わせるように努めることで飲みすぎを抑えている。「自分は飲みすぎがちである」ことを強く意識するようにしており、その効果は十分だ。なお、飲み出したら止まらないということも、決してなかった。依存症に至る前に気が付いて本当に良かったと思う。

ということで、アルコール以外の部分。自分のキャラクターについて、もう一度性格というか性質というか性癖について、具体的に判っている点を書いてみたいと思う。そもそもアルコールに走ったという経験がある時点で、やっぱ何かヘンなんだよきっと。



1.自己中心的
人間関係の範疇においては周囲に迷惑をかけるような行動は意識して避けているけど(人間関係を重視)、知らない人との間での社会的な振る舞いにおいてはDQNそのものである。
たとえば…。
信号は全然守らないし、踏切がおりたら自転車ごとでもくぐって通るし、道にゴミは投げ捨てるし、ネコには蹴りをくれるし、自分以外の歩いてる人や走っているクルマはみんなシューティングゲームの敵だとしか思えないし(他者を押しのけてマイペース堅持で進もうとする)、譲り合う場面では絶対相手に譲らせるし、とにかく自分さえ良ければどうでも良い。
これは確信犯的なのではなくって、いま精一杯冷静に客観的に分析してそう考えているだけであって、普段は無意識に自己中心的に動いているのだ。本人に悪いという意識とか良心が全く無いから始末が悪いと思う。
そう、本当にぼくには社会的な良心がない。

2.反社会的
上とも関係するけど、信号無視とか踏切を無視することに、快感を覚える。高校生のころ万引き常習犯であったという非行歴を持っているが、「してはいけないこと」とされている社会的ルールを無視することで、自分の欲望を遂げる(モノがほしい・立ち止まりたくないetc)ことができることに、快感と優越感を覚える。ここでは書けないけど、もっと悪いこともしている。なんというのだろう、自分は特別な人間なので、信号で止まったりするようなルールに従う必要は無い、と思っているフシがある。警察の取り締まりに対してケンカした経験があると以前書いたが、警察を相手に文句を垂れるというキケンな行為にも非常にエキサイトする。なんというか、暴走族の少年と変わらないじゃないか。少年はやがて社会との摩擦にもまれて大人になっていくのだろう。ぼくはどうだ。
自分が特別といえば、流行嫌いもそのひとつかもしれない。正確に言うと、流行よりもっと卑近で、例えばこういうシーンでは誰もがこうするだろうという、期待される反応をするのが嫌いなのだ。ハナシの中で笑うべき点では「くだらないな」と思って笑わないとか、間違っても人前で親バカなところは見せたくないとか(今日チビの運動会で親子競技とかに出されたのだが、周りが親バカしかいないから終始不機嫌だった)、映画の泣けるシーンで「ここで泣かそうという魂胆だな」とバカにしたりとか。
始末が悪いのは世論というか社会欄の事件というか、みんなが「犯人憎し」みたいなことを言うニュースを見てかえって擁護したくなったり、年金がどうだとか、相撲部屋がどうだとか、そういうニュースを見るにつけ、周囲の反応と反対のことをしたくなることだ。これは人間関係の摩擦にもつながるので困りものである。
とりわけマスコミが嫌いであるのが原因かな。多分報道関係者もぼくと同じくやっつけでしか仕事をやろうという気持ちがないだろうから、ネタになれば何でも採り上げるため、針小棒大でツマランニュースで世論が踊らされているだけなのだ、それに気づかないで自分に関係ない事象でドラマを見るみたいに一喜一憂している国民はアホだ、みたいな持論があって、頑固に譲らない。
これも、別にフツウに考えれば「被害者が気の毒だな」とか思うのだろうけど、被害者の気持ちには全くなれない。人の気持ちを理解できない。感情移入ができない。むしろ感情移入が嫌いだ。実はぼくは飼っていたハムスターが死んじゃっただけで妻の目前でワンワン泣いたことがある。喜怒哀楽のうち、怒りと哀しい気持ちは非常に自分に訪れやすく、かつ大嫌いなのだ。出来るだけ避けたい。

3.刹那的
気が短く、怒りやすい。思い通りにならないとすぐにカッとなる。特に電車を待つことや信号を待つこと、行列に並ぶこと、出かける日に雨が降ることに怒りの感情が湧きやすい。これまた上に書いたのと関係するけど、ぼくは特別なので一般人と一緒に待ったり並んだり雨に降られたりするのはオカシイという意識がある。感情をコントロールしきれずに、人やモノにあたる。もちろん人には滅多にあたらないが(妻に手を上げたようなことは一度も無いよ)、外で他人に難癖をつけることは、確かにある。
ぼくが通勤で複数使ってる路線のうち、ある電車は15分に1本とかしか来ない。駅で待つととにかくイライラするので、必ず駅すぱあととかを使って出かける時間を調整して乗り継ぎ等で絶対待たないようにしている。ところが電車はよく遅れるものだ。予定していた通りの乗り継ぎにならず、かえって電車が行ってしまった直後に乗換え駅に着いたりする。
これは昨日のことだけど、やっぱり電車が遅れて、乗換駅で人を押しのけエスカレータを猛ダッシュしたのに、目の前で電車が行ってしまった。わざわざみっともない「走る」という行為までしたのにも関わらず目的が達成できなかったばかりか15分も待たされるという骨折り損のくたびれもうけに、ものすごい怒りで興奮してどうしようもなくなった。一人で「クソッ!このクソがッ…!」とかブチブチ言いながら、駅の備品を小突いたりしてモノにあたる。さすがに最近は壊すとヤバイので控えめにしているが。怒りという感情は自然に湧いてしまうものなので、どうしても抑えられない。



あとは、ここでは省略したけど、対人関係がヘンなのはかつてどこかで書いた通り。ぼくには友達がほとんどいない。いなくて当然だろう、まともでないのだから。友人はいないのに、彼女がいなくて困った経験は何故かない。社会的な人間関係と恋愛は別物らしい。
精神的に未発達で幼稚なのは間違いないと思うけど、それだけで片付けられるのだろうか。なんというか、未発達なのは、ぼくがダメだから発達しなかった、自分の怠慢が原因ということなのだろうか。努力で何とかなれば良いが、感情というのはどうにもならない。
いったいどうしてぼくはこういう人間なんだろうか。
とにかく、社会に暮らすのは、すごく生き難いことだと思う。自分にとってはものすごく制約が多い気がするからだ。自分の基準と社会の基準があまりに違いすぎる。ぼくは犯罪行為もバレなければ平気でやれる。自分の善悪の基準が頑固で絶対であって、社会の基準は自分には当てはめられない。
だけど自分のルールだけで行動すれば犯罪者となってしまうのが社会に生きる者の運命であるから、ギリギリのところでいつも踏みとどまるようにはしている。ギリギリのところで従っている。しているつもりだけど、実はオーバーしているものもあるのかもしれない。

なんというか、イヌですらおあずけとかお手とかできるのに、それ以下であると思う。DQNとはまさにぼくのことを言うのだろう。DQNを演じているのではなくって、フツウに行動するとDQNになってしまうのが一番ヤバイ。脳ミソの根底がDQNに支配されている。精一杯自分を客観的に見つめてみて、こういうキチガイな性質が自分にあること、それがヤバイということに、酒を辞めている間に気づいた。ヤバイのは判るけど、どうしようもない。社会と自分を天秤にかけたとき、まだまだ自分の方が全然重たいのだ。
赤裸々に色々と書いてしまったけど、誰かこういう心理状態みたいなのを分析してくれて、ぼくを真人間に導いてくれる方はいないのだろうか。ほうっておくと犯罪者になりそうで怖い。

これだけ書いたが、普段はフッツーに世の中に溶け込んでいる。周囲からはちょっと変わった人だなあくらいは思われていそうだけど、実はかなりの病的性質だということに気づいているのは、妻くらいだ。

オ父シャン、ナニ言ッテンノカモ?
ソウ言エバ、ウンチデタシー、ヤッパ。

とか、チビが目の前で言っていた。きみにも分かるのかい?お父さんはキチガイなんだぜ。


以上、一年で最も落ち込む時期に頭をよぎったことでした。
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2 コメント

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そんなに落ち込まないで (中年侍W650乗り)
2007-10-14 21:17:59
 こんばんは、中年侍です。いろいろ苦しまれているご様子、お察し申し上げます。
 しかし、人骨殿は正直者ですな。誰にだって人に話せない秘密を一つくらいは抱えていると思います。拙者もきれいごとばかり書いていますが、本当のところはどうしようもない人間だと内心は思っています。
 それから、この季節にうつ状態になることは、生物である人間にとって、極めて自然なことらしいですよ。むしろ、健康体であると自信を持ってもいいと思います。
 自己中心的、反社会的、刹那的、書かれていることは拙者には全て一つに統合されているように見えます。一病息災という言葉がありますが、人骨殿の一病は少々やっかいですね。でも、ここまで自己分析出来ているのですから、時に応じて、場所に応じて矯正する術を身に付けることは容易いと思いますよ。
 全面的に満足できる人生なんて絶対ないと思います。人骨殿は弱点をはっきり認識している訳ですから、別の点でその弱点を埋めてはどうですか。まずは、決め球を一つ持つことです。効果的な決め球を持っているピッチャーは、勝ち負けしながらも、勝ち星を着実に積み上げていきますよ。
 少しばかり、年を食っているだけのくせに何だか説教じみてしまいました。申し訳ありません。拙者自身も、一日一日をしのいでいくだけで精一杯のくせに・・・。
 では、また。
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ありがとうございます (人骨)
2007-10-17 08:43:27
中年侍さま

励ましのお言葉ありがとうございます。自分よりも一回りも先輩な方にそう言ってもらえると、少し自信になります。40歳の自分のイメージって、どうしてもピントを結びません。だけど結局「いま」を生き続けてるんだろうなあ。
もし街中で、それとは知らずに中年侍さんが私とニアミスをしたら、ぼくの振舞いを見て「随分非常識な阿呆が居るものだ」と思われるに違いありません。
いずれはそう思われずに済む振る舞いが出来るようにならないといけません。自信無いですが…
とりあえず悲観的にはなっていませんので、ご心配なさらないでくださいませ。
ありがとうございます嬉しかったです。
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