是枝裕和監督と坂元裕二の特別講義をフルボリュームでレポート。『怪物』が生まれた経緯から脚本の構造、解釈までを語り尽くす
6/25(日) 21:00配信
1コメント1件
オーディションで選ばれた少年役の2人、黒川想矢と柊木陽太は共に映画初出演
6月10日に早稲田大学で開講された「マスターズ・オブ・シネマ」に、第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞と「クィア・パルム賞」に輝いた『怪物』(公開中)の是枝裕和監督と脚本家の坂元裕二が登壇。講義に出席した約350名の学生を前に、本作が生まれた経緯から撮影時のエピソード、ラストシーンの解釈に至るまで、2時間近くにわたって語り尽くした。そのトークの模様をフルボリュームでお届けしていこう。 【写真を見る】約2時間にわたって『怪物』の舞台裏を語り尽くす!成り立ちからラストの解釈まで、トークの全貌をお届け 是枝監督と坂元が初タッグを組み、世界的作曲家として活躍した坂本龍一が音楽を務めた『怪物』。大きな湖のある郊外の町を舞台に、小学校で起きた子ども同士の些細なケンカが次第に社会やメディアを巻き込む事態へと発展していく様が、息子を愛するシングルマザー、生徒想いの教師、無邪気な子どもたちそれぞれの視点から描かれていく。6月2日に日本公開を迎えるや、週末3日間で興行収入3億円を超えるヒットを記録している。 ※本記事は、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。 ■「“書くこと”は、登場人物たちと同じ時間を過ごしながら一緒に考えていくこと」(坂元裕二) 坂元裕二(以下、坂元)「2018年に、東宝の川村元気さんと山田兼司さんから映画の開発をしようと言われたことが始まりでした。これを言うと川村さんは『違う』とおっしゃるんですが、『坂元さんは連続ドラマの脚本家だから、その良さを出してほしい』と言われたと記憶しています」 (来場していた川村プロデューサーより「45分くらいの尺感で走り切って、それが3本立てになったらどんな映画になるんだろうというお話をしました」との補足が入る) 坂元「僕自身、少し映画の仕事もしておりますが、基本は連続ドラマの脚本家です。連続ドラマには、来週はどうなるんだろうかという期待と不安を持ちながら1週間待つ“クリフハンガー”と呼ばれるものがあります。次どうなるんだろうと、なにかが変わっていく瞬間が何度も生まれる。そんな映画を作りましょうということと受け止めました。 驚かれることも多いのですが、普段は連ドラの撮影が始まる時点でできている脚本は3話分ぐらいなんです。4話目を書いているあたりで顔合わせや本読みがあって、実際に俳優さんのお芝居を目の当たりにして、そこから徐々に自分のなかで登場人物や作品の世界観が実体化していく。さらにオンエアーを観た人からの意見もフィードバックしながら書いていくという作業を、僕は35年間続けてきました。 ですので、打ち合わせなどで監督から意見は聞くけれど、どんな作品になるのか見えないなかで書き続ける映画というものはかなり未知なものです。私自身にとって、“書くこと”は、なにか答えが見つかったからそれについて書くのではなく、なにが問題なのかを登場人物たちと同じ時間を過ごしながら一緒に考えていくことです。映画の場合、その問いにある程度の答えを想定しないと書きづらいイメージがありました。是枝監督は撮りながら脚本を作られていくと聞いていましたので、そういう方法もあるかとは思うのですが、今回はラストを見据えなきゃいけず、それがとても大きな課題となっていました。 正直に告白すると、脚本を書いている時から是枝監督の名前が頭に浮かんでいました。2017年に大隈講堂で対談(※早稲田大学演劇博物館で開催された展覧会「テレビの見る夢 – 大テレビドラマ博覧会」での「坂元裕二×是枝裕和トークショー~ドラマの神様は細部に宿る~」)でお話しした後、なにか一度脚本を持って行ってみようかなという気持ちがありました。そのタイミングで『怪物』の企画が始まり、川村さんと山田さんと監督を誰にお願いするか話している時に、きっと僕から是枝さんの名前がこぼれでたのかと」 是枝裕和(以下、是枝)「川村さんからメールが来たのは2018年の12月18日でした。坂元裕二さんと映画の企画を開発していて、プロットができたので読んでもらえないかと。プロットを読む前に、僕は『やろう!』と決めていました。2000年以降、坂元さんのドラマを観るたびに自分が関心を持っていたモチーフが含まれていて、同じ時代に同じものが引っかかっている作り手が近くにいるとずっと意識してきました。2017年の対談の時も、8割くらい僕が質問を投げかけて、ほとんど一方的なファンレターみたいになっていましたね(笑)」 坂元「あの時はイベントの下準備で是枝監督の映画を全部観ていたんですが、ほぼ僕の話で終わってしまって…(苦笑)。僕が一番びっくりしたのは、『さよならぼくたちのようちえん』という作品を作った2011年に、是枝監督が『奇跡』を作られていたことです。どちらも子どもたちが子どもたちだけで旅をする話で、社会的な問題ではなく、僕のなかでこれが必要だと思って作ったものだった。是枝監督も同じことを思ったのだとうれしかったです」 ■「“加害者”をどう描くかということが、長い重荷となっていた」(坂元裕二) 是枝「プロットを読ませていただいた時、読み進めていくという行為自体が非常にスリリングで、この物語を映画でやるのは挑戦的だとワクワクしました。皆さんが本編を観ている前提でお話しさせていただくと、第3章で子どもたちの視点になり、なるほど僕の名前が出たのはここだろうと感じました。この構成を受け止め、自分がどのように3部構成を作っていけばいいのかと、演出家の目で読んでいました。まだ細かく台詞が書き込まれてはいなかったのですが、時代に対して、物を作って伝えることに対してとても批評性の高い脚本だと思いました」 坂元「この作品の元を辿っていくと、2010年に『Mother』という作品を書いた時、尾野真千子さん演じるシングルマザーが芦田愛菜ちゃん演じる5歳の女の子を虐待して放置する。松雪泰子さんが演じた主人公がその女の子を救うのですが、視聴者や僕の身内からもシングルマザーに対する批判的な声がありました。それを受けて、本当は後半に裁判劇をやるはずだったのですが、急遽1話かけてシングルマザーの過去を辿る物語を書いたんです。その後、2011年に『それでも、生きていく』という作品を書き、ここでは風間俊介くん演じる文哉という男が小さな女の子を殺害し、刑務所に入り出所し、自分の妹や殺した子どものお兄さんと再会する。加害者を描くうえで、この文哉という人物をどう描けばいいんだろうかと繰り返し考えました。それまでやってきたことを試してもうまくいかず、結局“わからない”という結論のまま終わりました。 ちょうどそのころ、僕は1年くらいだけTwitterをやっていたのですが、是枝さんが『それでも、生きていく』を観てくださって、『加害者を描くのは難しいね』とツイートされていて胸が痛くなりました。そこで『ご覧いただいてありがとうございます』とリプライを送ったのが、僕と是枝さんの初めての接触でした。それ以来12年間、加害者をどう描くかということが私にとっての長い重荷となっていた。だからこそ、今回それを是枝さんとやりたかったのです」 是枝「『それでも、生きていく』は衝撃と共に当時オンエアーで観ておりました。この題材を書けること、演出も役者も正面からそれを受け止めて、ちゃんと成立させているところにリスペクトを抱きました」 坂元「テレビドラマでは、正義の人が悪い人を捕まえてお説教をすると改心するのが基本的なことで、昔からやり続けられてきましたし、僕も書いたことがありますけれど、実際はそうではない。だから書くたびに嘘を書いてしまったと溜まっていきました。登場人物が3人いたら、ひとりひとりの主観になりながら会話をさせて台詞を書き連ねていくことができればいいのですが、なかなかそうはいかない。瑛太くんと満島ひかりさんの役には成り代わって書くことができたけど、風間くんの役の主観にはどうしてもなれなかった。世の中には被害者の物語が溢れているけれど、加害者の物語はどんどんなくなり、むしろ描くことが困難になってきている。そのなかでどうすれば自分が加害者になって、お客さんに加害者の主観を体験してもらうことができるのかをずっと考えてきました。 会見などでしゃべってきたことですが、ある時僕が車を運転していて、赤信号が青に変わっても前の車がなかなか動き出さなかった。僕はクラクションを鳴らした。ようやく動き出した時に、前の車は横断歩道を渡ろうとしていた車椅子の方を待っていたことに気がついた。自分が見えていなかったせいで、車椅子の方に加害性を向けてしまったことにとても後悔しました。それをどのように落としこめば、お客さんに作品として体験してもらえるだろうか。自分が加害者としての主観を持つものを作りたいと考え、『怪物』では3部構成を選びました。安藤さん演じるシングルマザーの早織が、息子がいじめられてるのではと思って動き出す。でもそれは、瑛太くん演じる保利先生から見ると違って見える。それぞれに見えないなかで、誰かを傷つけていたという物語の構造になりました」 ■「黒川想矢くんと柊木陽太くん以外では考えられない。特別な2人です」(是枝裕和) 是枝「プロットを渡されて台本になった段階か、もうちょっと前か。最初にこの『怪物』は坂元さんの作品のなかでどの系譜に連なるものだろうかと考えました。『それでも、生きていく』もそうですけど、僕のなかではきっと『わたしたちの教科書』かもしれないと思い、見直してみました。あの作品にも秘密基地が出てきますよね。そして『世界は変えることができますか?』という問いが重要なものとして出てきます。 この映画にはその台詞はないけれど、多分そういう問いかけがあの2人を通して投げかけられているのだと考えました。なので、台詞にするわけではないけれど脚本の1ページ目を開いたところに『世界は生まれ変われるか』という一行を加えさせてもらいました。その一言を、作り手である自分に常に問いかけながら作ろうというのが、この脚本を受け止めてどう関わるかという僕のスタンスの一歩目でした。 また、いつもは自分で脚本を書いているので、オーディションで会った子どもたちのキャラクターを役に寄せて、なるべくその子が無理のないかたちで役になれるようにするんです。本人の言葉で、台本を渡さずにしゃべってもらう。でも今回はそれをしないほうがいいと考え、黒川想矢くんなら湊という役を、柊木陽太くんとなら依里という役を、それぞれ一緒に作っていく。通常大人の俳優さんたちとやるやり方を採用しました。 同時にプロットをいただいた段階で、ちゃんと勉強をしなければいけないとも感じていました。具体的には保健の先生に来ていただいて、体の変化などについて保健体育の授業をやってもらったり、LGBTQの子どもたちの居場所を作るサポートしている団体の方々に来ていただき、性自認についてのレクチャーをしてもらいました。また現場ではインティマシーコーディネーターの方に立ち会っていただき、子どもたちにどのような心理的負荷がかかるのかを確かめながら進めていきました。役を演じる時も演じていない時間も、子どもたちがどんな感情的なストレスを抱えているのかを観察していき、地方ロケで大変だったと思いますがなんとか無事に撮影を終えられたと思っています。 湊役の黒川くんと、依里役の柊木くんは、オーディションの時にクラスメイト役も含めて色々試しながらやっていったのですが、最終的にこの2人以外では考えられないと、立ち会ったスタッフ全員の共通意見としてありました。まさに特別な2人です。普段のオーディションは、台本を渡さずに口で台詞を伝えて耳がどれだけ使えるかを見るのですが、今回は台本を渡して事前に読んできてもらうことも試しました。黒川くんと柊木くんは、圧倒的に読んできた方が上手で、それも決め手のひとつになりました。 オーディションでこんなことがありました。あるシーンを演じてもらってから1か月くらい経ち、もう一度オーディションに来てもらったんです。そこで事前に告知せずに、前にやったシーンを演じてもらったんです。柊木くんは、ほぼ完璧に覚えていました。『いつもそんなふうに覚えてるの?』と訊いたら、どうやら彼は台本をもらった頭のなかで写真を撮って覚えてしまうんです。それを頭のなかで引っ張り出してきている、ある種の特殊な能力を持っている子だったんです。でも『すぐ忘れちゃう台本もありますねー』って(笑)」 坂元「出来上がってから気付いたことがあって、第3章の話は自分の子ども時代の友だちのことを思い返しながら書いたんです。その子との関係や、秘密基地を作ったり、学校で話せなかったり、自分が黒川くんの役になったような気になりながら映画を観ていました。完成披露で柊木くんに会った時、彼は僕の記憶のなかにいるその友だちと同じ顔をしたんです。この子だったんだ、と。同じ子なんじゃないかと思うぐらい不思議な感情が動いて、本当にびっくりさせられました」 ■「“火”で始まって“水”で終わる映画だと思っている」(是枝裕和) ※以降、『怪物』の結末に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。 是枝「実は最初に宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』が頭にふっと浮かび、ジョバンニとカンパネルラを重ねて黒川くんと柊木くんの2人に読んでもらったんです。柊木くんはなんでもできちゃう子なので、役について質問をしてこないタイプなのですが、黒川くんは湊の気持ちを100%掴んで出したいタイプで毎日のように僕やサクラさんや瑛太くんに質問をしていました」 坂元「この作品の最終意見としてではなく、あくまでもいちスタッフの意見として僕が言いたいのは、一択です。彼らはこのまま生きていくとしか思えない。完成した映画を観た時にも、彼らが別の世界に行ったとは僕は受け取らなかったんです」 是枝「脚本の段階で共通認識として、彼らが自分たちの生を肯定して終わろうというのがありました。もちろん映画を観られる方の多様な読みを否定するつもりはないですし、そういう悲劇を見たいという方もいるでしょうし、あのシーンで光に満ちていることがどこか現実離れして見えるというのもわからなくはないです。撮影の近藤龍人さんとも、あんまり光に包まれていると現実に思われなくなるんじゃないかと話しましたが、2人の心象風景だと思ったらあそこは光に満ちているほうがいいだろうとなりました。 それにあのシーンで、坂本龍一さんの『Aqua』という音楽を使わせていただいています。僕はこの映画は“火”で始まって“水”で終わる映画だと思っていて、この曲はなにかを寿いでいる。彼らがもう一度生き始めることを祝福して終わるのだと感じていました。ただ、祝福される子どもたちの世界に、僕らは置いて行かれている。僕らは嵐のなかに残されているけれど、子どもたちは光に包まれたところに走り出した。そういうものにしようと考え、撮影の時には2人にもそのように伝えていました」 ■「『羅生門』構造というよりは、“坂元裕二構造”」(是枝裕和) 坂元「3部構成になっているから黒澤明監督の『羅生門』を引き合いに出される。当初から打ち合わせでも話していたのですが、『羅生門』は話者によって話が変わっていく、人の話は当てにならないという話ですが、『怪物』は一つのファクトが視点によって変わっていくという話なので、似てるところもあれば違うところもある。どちらかと言えば、リドリー・スコット監督の『最後の決闘裁判』の方が近いかなという気もします」 是枝「先ほどの『Mother』の話にもありましたが、坂元さんは連ドラでも突然視点を変えて掘り下げて、別の角度から語り直す。それを今回は一本の映画のなかでされていたのかなとも思います。だから『羅生門』構造というよりは、“坂元裕二構造”なのでしょう」 坂元「ちょっとした話ですが、ところどころ是枝監督のアイデアで足された台詞があって、それがどれもすばらしくて、なかったら全然映画の印象が違ったのではないか感じました。ジャングルジムに登った2人が宇宙の破裂の話をして、最後に『じゃあ準備をしなきゃね』と足されている。これがあるのとないのでは映画のおもしろさが全然変わるんです。あと校長室での『神崎先生はいい先生でした』という台詞もそうです。ぜひ脚本の勉強をしている人がいたら、これについて考えてほしいです」 是枝「神崎先生のところは、校長室にいる先生のなかでも色々濃淡があるといいと思ったんです。台詞を足す必要はないとも思ったのですが、あの空間のなかでちょっとずつ足していった演出でして、そういうのが好きなんです。自分で自分の演出を好きですというのは恥ずかしいですが(笑)」 坂元「是枝さんは脚本について注文をせずに、『ここがいいよね』とお手紙をくださったんです。意地悪な見方をすると、掌の上に乗せられている気分ですね。『ここを直せ』と揚げ足を取ることは誰でもできますが、是枝さんの場合は『ちょっとここに塩を入れればいいんだよ』みたいな感じで、こちらも『あ、美味い!』となってしまうような…(笑)。そういうのがすごいと思うんです。 よく是枝さんを語る時に、ドキュメンタリータッチだとか、即興演出の人だと言われていると思いますが、僕は是枝さんほど日本一脚本が上手い映画監督はいないと思っています。何冊か脚本を読ませてもらったことがあるんですが、セットアップがあって、3幕構成で、ミッドポイントがあって…と、いわゆるハリウッド脚本術のような教科書に書いてあることがしっかり踏襲されている。現場で作られるにしても前もって書いてあるにしても、こんなにしっかりしている脚本はあまりないと思います」 是枝「ありがとうございます(照笑)。よくドキュメンタリータッチとか自然とか言われますけど、たぶん映画で観て自然だと思われることほど裏ではとても不自然なことをやらないと自然に映らないんですよね。役者も子どもたちも、自然に見えるのはしっかり演じてくれているから。好きにしていいと言って自然に見えるかと言えば、それは絶対にないんです」