泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

静かな夜

2011-07-17 22:17:48 | 丹下一の泡盛日記
昨日、ちゃんと余裕で電車に乗った。
別に酔いつぶれてもいなかった。横浜で降りて乗り換えようとして。。。
TY線の馬鹿やろ~!
別に電車会社のせいじゃないんだろうけど、なんかおかしいぞ。
まあ、とにかく大船駅前で野宿。3時間ちょっと眠って始発で帰宅。
温かいシャワーを浴びてベッドに横になれるって本当に幸せだ。
もう4ヶ月もたつというのに、こんな基本的なことさえかなえられない人たちがたくさんいる。
世の中の多くの人たちが首相のせいにしているが、誰がやっても同じなんじゃないのか?
文句を付けても解決策を示す人はほとんどいない。
大体が自民党の方が原発温存でセコいこと連発したんじゃないのか?
気分で話す人たちばかりで理屈が見えてこない。

今日はオフ、というか仕事無し。
よかった。
ここ数年の7月~8月は日程が詰まっていて旅も多かった。
「今日も暑いねえ」といいつつ、気がついたら10月だったりしていた。
こんなふうに暑い夏の日をゆっくりと感じるなんて久しぶりかもしれない。

昼前には起き出して洗濯機をがんがん回す。
ベッドのシーツもはがして洗う。
娘1はすでに仕事へ。
朝ご飯をちゃんとつくる。
かみさんが溜め込んでいた食料もかなり整理されてきた。
冷凍庫から大ママがつくったものが出てくる。
「ああ、会いたいなあ」とふと思う。

さくさくと家事をすすめ、ちょっとお仕事しているうちにあっという間に夕方に。
ふらふらとスーパーまで歩き、野菜と豆腐、酒を買う。
デッキで豆とイモを肴に焼酎ロックで。
7月半ばの夏の夕暮れを満喫。
一人で夕暮れを眺めていると様々な思いがわき起こってくる。
今までたくさん眺めてきた夕暮れが身体の中で蘇ってくる。

舞台がはねた翌日に一人きりでいるのはあまり好きではない。
本来ならば誰かのライブか舞台に出かけたいところだが、そうもいかない。

チェックしたかった映像をユーチューブでみる。
「夢醒時分」の歌詞の意味もわかった。
それにしても1990年にはじめて行った東南アジア、シンガポールであてずっぽうに買ったカセットテープにこの「夢醒時分」と「血染風采」が入っていたのは今にしてみればすごい。
もう「出会い」としか言いようがない。
どちらも自分にとって忘れられない曲だ。
「血染風采」は中越戦争の時代の戦意高揚の曲だが,後に天安門の映像とともに流されるようになった。
(この映像、中国国内ではみられるのだろうか?)

それにしてもゆったりと飲んでいるせいか、酒が旨い。
飲み過ぎないうちに早く眠ろう。
会いたい人たちに夢で会えるだろうか?
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ポーランド語で乾杯!

2011-07-17 13:32:21 | 丹下一の泡盛日記
というわけで昨日は「声の力・ことばの力」の第1回「古事記」。
銕仙会能舞台で。
オオクニヌシ(ヤチホコ)の妻問いの場面を最初は三浦佑之さんの現代語訳で語り,続けて言語で上演。
昨年の神代編全編上演の一部再演。
再演と言うのは怖いけれどもありがたい。
課題が次々と見えてくる。
稽古の過程でご自宅の稽古場をお借りしていたH先生からお叱りもあった。
久しぶりに出て行くのが怖い舞台。

終演後、H先生がやってきて「よかったわよ!」とお褒めの言葉。
うれしかった。
そして父親が「よかったよ」と誉めてくれた。こんなことあったっけ!?
鹿児島から来てくれたMTちゃん、ありがとうございました。

能舞台のありがたさも少しわかってきたような気がする。
一期一会に精一杯で立ち向かうと助けてくれるのだ。
そして、舞台にいたのは自分だけど「演じて」いたのは自分ではないと思える。
精一杯の器でいる快感がある。
変な話だが恋を語る場面で相手役の女優2人(坪井美香さんと渡部美保さん)を瞬間的に深く愛している。
もちろん舞台の時間の中での話。
生なラブシーンがあるわけではないのだが、何と言ったらいいのか。
全身の細胞がふつふつと沸き立つような感じ。
もちろん終演後はわ~いと乾杯して楽しく話している♪

終了後、外国人のお客様が何人か。
なんとポーランド語を話しているではないか!
「ポーランドの方ですか?」と声をかけて歩きながらポーランドとのご縁のことなどを話す。
「あ,それはリプシッツさん(元駐日日本大使、日本文学研究)ですね」。詳しいな、きっとワルシャワ大学出身だな、と。
別れた後「あの人誰?」と聞いたら「駐日ポーランド大使です」だって。
打ち上げにワルシャワ在住のポーランドの人が。奥様日本人。
かつてさんざんお世話になったワルシャワ大学のO先生は「今私の上司です」とか。
共通の知人多数!
ものすごく久しぶりにポーランド語で乾杯した。
ああ、ポーランドが呼んでいる。必ず行かねば!
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というわけで「古事記」の本番

2011-07-16 09:33:33 | 丹下一の泡盛日記
今朝の体重は63.9キロ。
2年前の今頃、タイ北部のYMCAパヤオ・センターにいた。
写真で見てもう誰かわからないくらいのでぶ。
まあ、滞在中すすめられてもいっさいアルコールに手を出さなかったくらいのプレッシャーと闘い「全身全霊で」の3泊4日。
毎晩8時にはぶっ倒れていたもの。そりゃ食うわな。

そしてその8月から決意した。10年前の身体に戻そうと。
この頃は3日に一回くらいの酒。
いかに自分が酒からカロリーを摂取していたかがわかる。

ただし脂肪はなかなかとれない。
そして筋肉はあっという間に落ちていく。
もう51歳の半ばもすぎた。老いの入り口に立っている事くらいわかってる。
そしてここからまた絞り直すんだ。

もしかしたらあの先輩やあの先輩のように肉体労働に従事しつつ、ってやり方の方がいいのかもしれない。
この夏、挑戦してみようかな。

そして何よりも今日は銕仙会で「古事記」の本番。
娘1とがっちり朝ご飯。
なんだかんだで病気もせずに生きている。としみじみ思うことがある。
たくさんの逝ってしまった人たちの顔が浮かぶこともしばしばだ。
昔、夏は「死の季節」だった。冬じゃないよ。
甘酒も夏の飲み物だった。

余談だけど。
以前「死にまつわることは昔からのことに従った方がいい」と自分より若い人に言われたことがある。
「同感です」と応え「以前から黒の喪服(洋装)に違和感持ってるんですよ」と言ってみたかった。言わなかったけど。
きっと自分は「いやな年寄り」になっちまうんだろうな。。。

日本中の能楽堂と銕仙会の能舞台とにはある違いがあると言われている。
銕仙会の屋根には「棲んでいる」と。
もちろんみんな誰か知っている。
その人に立ち会っていただけるなんてこんな幸せなことはない。
舞台が終わってぶっ倒れてもよい。
「精一杯」の時が来た。
では行ってきます♪
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3年目の結婚記念日

2011-07-15 18:04:34 | 丹下一の泡盛日記
昨日朝、森があまりに気持ちがいいのでかみさんと散歩。もちろん3匹のわんこたちも。
3匹が実に嬉しそうに走り回る。
草むらの向こうに消えていても「お~い行くよ」と声をかけると走り出してくる。
雪に埋もれていた冬とは全く別の景色が広がっていて「え、ここだっけ?」と思うこともしばしばだ。

あんなに草むしりをしてひたすら「開墾」した庭も、緑一色に。
なんか無理して引っこ抜くよりも、もうそのままの方がいいような気がしてきた。
無為自然。。。。

かみさんと軽井沢に出る。
街道筋の蕎麦屋に。
たぬきそば800円也。
「手打ち」ならいいってもんじゃないぞ(-_-;
もう峠から南の店には入る気がしないなあ。

新幹線の時間を逃し時間ができたので現代美術館に。
入り口を入ると、おお、金沢健一さんの鉄板(音響彫刻)が。しかもマレットが添えてある。
久しぶりに楽しく叩く。
美術館の方は休館日で、展示代えの搬入のために入り口が開いていたらしい。
ここは必ず再訪すべし。

駅でかみさんと別れて新幹線に。
7月14日は実は結婚記念日。
偶然だがうちの両親と同じになった。
入籍してからのこの3年(一緒に暮らし始めてからは9年)は、実に波瀾万丈で。自分のように器量の狭い人間にはなかなか受け止められないことも多い。
そうやって学んでゆくものだとは知りつつも、まだまだ(といっても50歳すぎているのに)驚きあわてふためくことばかりだ。
そんな小さな気持ちのままでいたことがいけなかったに違いない。

いったん逗子に戻り、もろもろ引っ掴んで銕仙会の能舞台で通し稽古。
足が板についていない。
声もすかすか。いかん、と思っていたら、渋谷の稽古場を提供して下さったH先生が楽屋にやってきて。
「あんた、何やってるの!」とおしかり。
「うちの稽古場で最初に見たとき、すごい人だと思ったのに、今のは何?」
返す言葉もない。
そしてH先生は素敵な言葉を下さった。
「舞台はまず神様と交流するところ。もっと大きな自分でいなきゃ」
その通りだ。しかも「古事記」だもの。
その後、役者と衣装のHさんと晩ご飯食べに。
美味しいご飯とワイン。いい時間だった。
気持ちを入れ替えて土曜日に向かうぞ♪

帰宅すると娘2がシャンパンとケーキを土産に待っていた。
3年前、かみさんと入籍した時、彼女とも養子縁組し彼女の苗字は丹下になった。
その祝いかと思ったら、娘2はすっかり忘れていた(-_-;
実は今日15日がかみさんの誕生日で、その前祝いのつもりだったとか。
嬬恋のかみさんに電話する。
その後、仕事から帰宅した娘1も交えて。

今朝、娘2のためにきっちり朝ご飯つくったのはフェイスブックに載せた。
今日は稽古は無い。体調を整えて明日に立ち向かいます。
皆様のお出でを心よりお待ちしています!





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「ミリオンダラー・ベイビー」に感動

2011-07-13 13:44:12 | 丹下一の泡盛日記
敬愛する石川裕人大兄率いるOCT/PASSが本番中なのに仙台に行くことができずに本当に残念。
この今の状態から脱するにはまだまだ時間がかかるだろう。

溜め息をついていると豆太郎やまふたんがすりすりと寄ってくる。アリーシャも向こうからこちらをみつめている。
3匹に本当に助けられ励まされている。
って感謝したばかりなのに、この床の大きな水たまりは豆太郎のおしっこか(怒)!
心配じゃなくて「ごめんね」って言いにきてたのかお前は!

昨夜、かみさんとまた映画。「ミリオンダラー・ベイビー」。
これも観たかったんだ。
新聞や雑誌でなどで映画の情報はかなり入手していると思う。
そしてなかなか映画館に行けないのが現状。

この映画もクリントイーストウッド監督・出演で。
後でクレジットを見て知ったが曲も書いている。
そしてクリントイーストウッド、ハリウッド映画なのにここまでやるんだ。
じいさんの自分の顔もさらし、その顔が変わっていく。
すごい。
そして一人の役者としてシーンに参加している場面がいくつかあった。
「スター」ならやらないだろう。
ハリウッドで「ダーティー・ハリー」やりながらずっとこういう機会を待っていたんだろうか。
「インビクタス」では主役だったモーガン・フリーマンもいい。

かみさんは女性主人公の家族に大憤慨。もちろん自分も。
そして日本にこういう「家族」が増えてほしくないと切に思う。現実にはどうなんだろうか。
公開当時もラストシーンが、と書かれていたそのラストシーンに自分は納得したが、かみさんは納得できなかったようだ。

「気持ちがブルーになってしまった」というので、今朝もう一本見る。
こんどは日本映画。
イタリアが舞台で国際政治の裏面が最後に暴露されていくが、かみさんが理解していないようなのでちょっと解説。
おどろくかみさん。
政治や海外と関係する仕事、商社や建設関係で働く人たちにとってはきっと当たり前の常識で、もちろん自分にとってはそれが「常識」だということが「非常識」。

それと911でもあきらかになったように、こういう人たちは、ものすごく時間をかけて準備する。
例は悪いがもう過去の国なので。
旧ソ連と日本が重要な交渉をした時、大使以下重要なスタッフ全員が当日にひどい下痢をして体調ぼろぼろに。
そして気がつくと20年近くつとめていた料理人のおばちゃん(家族同然だったという)が消えていた、という実話。
そして交渉の場ではここまでなら譲歩できるというぎりぎりの数字が先方から連発された。
この日のために20年近い時間をかけていたのだった。
それも国際政治の現実。

数年前、外務省の新人研修、英語の時間。
先生が「スペインはどこにありますか?」と質問。
もちろん全員その英語は理解したが、誰一人スペインがどこにあるのか知らなかったという。
世界の中の大国と自称している日本の外務省は太刀打ちできるのかなあ。。。
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「北京一夜」を調べていたら

2011-07-12 11:27:09 | 丹下一の泡盛日記
「One Night in Beijing/北京一夜」の映像を検索していたら面白いのがぞろぞろと出てきた。
この歌をどこの人がつくったのかまだ不明だが、中国(大陸)でも歌われている。
夜中に思わず「うお~」と声をあげてしまったものも。
もともと男女がデュエットできるようにつくられていて(そんなバージョンのカラオケ用の映像もあった)、最初に出会った台湾の歌手たちは、男性がそれを京劇風に歌っていた。
うかつにも気がつかなかった。
考えてみればあらゆるアプローチが可能なのであった。

大陸では超絶技巧のトリオのインストバージョンもあり、なにかの巨大なフェスティバルの映像では、彼らと歌手のセッションがすごい。
かみさんもまず超絶技巧に驚き、そしてもう一つ「うそ!」と叫んでしまった驚く仕掛けが待っている。
そして、素晴らしいのはこれらが全て伝統につながっていることだ。
超絶技巧のトリオは、琵琶(ピーパ)、京胡(小型の二胡。音程が高い)、ソウナ(チャルメラ)の3人。
エネルギッシュで綱渡りのような部分から怒濤の噴火まで、溜め息がでるばかり。
それが伝統的な歌手と融合して台詞回しもあざやかに、そしてポップスになっている。
自分たちの伝統文化にみじんの疑いももっていないところがうらやましい。

そしてこの頃琵琶(ピーパ)もよく聴いている。
日本の琵琶にはもう一つ興味が持てない。
一度だけ「深い一音」というものを聴いたことがある。
それはすごい音で、これが琵琶の魅力なのかと思った。
なので一応知らないわけではない、と勝手に信じ込んでいる。
なので、ある琵琶の奏者の方から「一音にかけている」というお話をききつつスタジオで音を聞いた時には、まあ、その、なんといえばよいのか(-_-;
もちろん「以て他山の石とせよ」である。

一緒に仕事をした台湾の高雄國楽団にはベース三味線とでもいえばいいのか、日本の三味線と形は全く同じでふた回りくらい大きな楽器がある。
「台湾にも三味線があるんだ」と無知な自分は最初に思ってしまったが、これは「なんだスペインにもギターってあるんだ」と言ってるのと同じだ。
「さんしん」というのだそうで「琉球語でも同じ発音だよ」と話した。
琵琶は大陸から日本に伝わり漆塗りになったりして独自の発展を遂げた。
もっと自由になってもよかったのに、日本はやはり「一音」の方向に行くのかなあ。
単に早弾とかについて行けなかったからじゃないのかなあ、と勘ぐってしまう。

そして大陸と台湾でこの「北京夜」は歌われている。香港ではどうなのか知らないが、海峡を挟んだ双方で「千年待ったのに門はまだ開かない」と歌いあってるわけだ。
*今、オリジナルを発見。作詞作曲の本人による歌。なるほどなるほど♪
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One Night in Bijing/北京夜

2011-07-11 14:38:32 | 丹下一の泡盛日記
昨日、娘2が連絡してきて、夜は久しぶりに家族4人で晩ご飯。
自分も買い物に出かけ、晩ご飯はみんなが好きな海鮮炒麺とにらときむちのパジョン。
どこの国の人の食卓!?
食後にお茶を入れてかみさんが急遽気合いを入れて焼いたロールケーキ。
ちなみにアルコールフリー。
この頃、なんか酒飲む気がしない時がある。
2~3日抜いては、ちょっと飲む、みたいなのが続いている。
時々そういう季節がやってくる。

娘2と仕事部屋で少し話す。
彼女、泊まらずに帰る。

仕事部屋でフランキーの二胡にのせたアンディー(林宗興)の歌を聴く。
弟は北京語がべらべらだが、彼にもこのポップの曲の歌詞の意味、というか使っている漢字がわからないことがある。
例えば「良人」。日本の古い言葉で言うと「つま」。パートナーという意味だが、少なくとも北京語では使わない(と彼は言う)。
もしかすると日本語から逆輸入されたのかもしれない。

韓国の男性は好きな女の子に「オッパァ(お兄ちゃん)!」と呼ばれる日を夢見て頑張るのだとかみさんの韓国語の先生が言っていた。
本当のお兄さんも「オッパァ」なので結構混乱するとも。
今回の「古事記」でも「わが妹(いも)よ」と妻に呼びかける場面があるが、女性の方は「わが兄(せ)」と呼びかける。
つまりは「オッパァ!」だ。
韓国や中国のドラマを観ていると時折「古事記」を思い出す。

フランキーとアンディの「唐韻」も大好きなんだが、アンディが歌っているので知った「One Night in 北京」(「One Nigh in Beijing」とか「北京夜」とも表記される) が今お気に入り。色々な歌手で聴いてみたが蕭敬騰が一番ぐっと来る。
http://www.youtube.com/watch?v=UGB05nhAeDQ&feature=related
そしてどうしてイントロで「ちゅわん!」と銅鑼の音が入っただけで自分の心は燃え上がってしまうのだろう。
あの長崎の龍踊りで聞いて身体が震えてしまって以来「DNAの奥底に響く音」としか言いようがない。
そしてこの歌の歌詞も響く。なぜかはわからない。
字幕をそのまま訳していったらかみさんに驚かれた。
いつの間にそんなにわかるようになってたの?
だから、昔から読み下し文はそれなりに理解していたのだってば。

曲を聴きながら思う。
そうだよ、俺の中の誰かも「千年待っていた」のかもしれないねえ。
実際に北京に行った時にはそれほど心は残らなかった。
工芸品に囲まれたアートと遠い街というのが正直な印象だ。
ただ紫禁城は初めて来た気がしなかった。むしろ懐かしさで一杯だった。
そしてこの歌詞に出てくる「地安門」の前にも行ったことがある。
来月、台北に行く。
古い街をぶらつく時間があるといいな。(ていうか絶対にふらつきに行っちゃうんだもんね♪)
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銕仙会の能舞台でリハーサル

2011-07-10 16:09:19 | 丹下一の泡盛日記
昨日は青山の銕仙会能楽研修所で16日(土)の「声の力・言葉の力」で上演する「古事記」のパートのリハーサル。
もちろん能舞台で。

大分に続き能舞台再び。
もっともこちらは20代の頃に慣れ親しんだ会場で、懐かしい空間だ。
今にして思えばなんと贅沢なアルバイトであったことか。
そして能狂言はもちろん、様々なパフォーマンスをここで観てきた。
「おいおい!」と思うようなものもあったし、忘れられないものもたくさん。
そしてまがりなりにもここに立っている姿を観てほしかったなあ、と思う人たちが複数いる。
自分にとって、その一言がなんとも重い人たちだった。
間に合わなかったなあ。
自分の歩みの鈍さが情けない。

能舞台に「立てて」いるのかどうかはよくわからないが、時折声が気持ちよく出ていくことがある。
実はその瞬間に能舞台に絡めとられていたりして恐ろしいことこの上ない。
なので3回も通しちゃうと、もうふらふら。
それでも稽古は楽しいし心地よい疲れだ。
こういう時間を本当に「ありがたい」と思えるようになってきた。
16日(土15:00から銕仙会03-3401-2285
http://www.yui-international.com/topics/2011/2011071601.jpg
ぜひぜひお立ち会いくださいませ。

帰宅すると「お仕事」が待っていた。
シャワーを浴びてさくさくと。

そして3時間眠り4時に起きて5時には出かける。
しっかり働いて午後戻る。
シャワーを浴びてすっきり。
わんこたちは暑さでぐったりしているのに、自分をみると「散歩に行きましょうよ」と集まってくる。
毛皮の3匹が寄ってくるので暑苦しいことこの上ないのだが、くう、かわいいぞ♪
この陽気では夕暮れになるまで散歩は無理だよ。
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「インビクタス」に感動

2011-07-09 10:22:50 | 丹下一の泡盛日記
昨夜、ハリウッド映画の「インビクタス」をかみさんと観る。
南アフリカのマンデラ大統領就任とその直後のラグビーの南アチームのワールドカップでの優勝を描いている。
ハリウッドだけどクリント・イーストウッド監督。
彼が監督する映画、好きだなあ。

1983年秋から2000年まで毎日新聞の縮刷版のインデックスを作成していた。
国際(最初の3ヶ月は政治担当だった)関連の記事を全て読み、もくもくとインデックスを作成していくという実に自分の性分にあった仕事で。
そしてそれは現代史、国際政治・経済・文化を勉強し続けた18年でもあった。
なので当時の国際情勢は(裏側も含めて)詳しいのだ♪
その中でも南アフリカ共和国の大きな変化、ネルソン・マンデラ大統領の就任は本当に感動したストーリーの一つ。
大統領就任後も、彼が27年間ベロン島の独房に入れられている間ANCの留守を守っていた夫人(彼女は若い頃本当に美しくて素敵だった)との離婚。隣国モザンビークの元大統領夫人との再婚(大統領の死後数年経って)など、彼の選ばれてしまった人生とそれを引き受けて行く姿に驚嘆していた。
もちろん先日「引退表明」をしたツツ大主教のことも忘れてはならない。

南アフリカのアパルトヘイト政策を知ったのは手塚治虫の「鉄腕アトム」でがはじめてで、続いて中学生の頃、ロッド・スチュワートのバンド「フェイセス」の当時のベースが日本人のテツ山内で(ちなみにギターは今ストーンズのロン・ウッド)、有色人種が参加しているので南ア公演ができないという記事を読んでだった。
そして、日本人が「名誉白人」とされていることに強い不快感を覚えた。
すぐに相手のレベルに落ちてしまう自分は、白人を「名誉黄色人種」としてあつかってはどうか? とアジアを侵略した日本人と同じような考え方をしてしまい、すぐにその事も恥じた。
(ちなみに中学生の時、カナダに出かけて「白豪主義」ということばを初めて知った)
以来「なんだこの国は?」と気にしつつ、新聞などで「私は親南アです」という日本人の記事を読んで強く「!?」と思ったりしていた。

そして、この国に大きな変化が訪れてほしいと強く望みながらも、どこか信じていなかった。
それが東欧に劇的な変化がもたらされ、最後にソ連が崩壊して、世界中に衝撃と希望が渦巻いた。
当時のことを思い出して涙が出た。新宿のアパートで自分は一人テレビに向かって祝杯をあげていた。
未来を信じる力をもらったのだ。
かみさんも映画に感動して泣いている。
「自分の魂は自分が支配する」。
苦しいときこそそうあらねばならない、と強く思った。
しばらく映画から遠ざかっていたが、かみさんのおかげで素敵な作品に立て続けに出会えて感謝だ。

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夢見るアルゼンチン♪

2011-07-08 18:33:20 | 丹下一の泡盛日記
昨夜は妙に冷えた。
なんか喉の調子がイマイチで困る。
お弁当作って朝からお出かけ。

自分にとっては驚きの話を聞いた。
その中身は書けないが、愕然とする。
日本社会は本当に崩壊するのではないか、と思う。
震災や原発人災でここまで疲弊しているのに、まだ「頑張れ」と言うのか、と危惧している。
自分の身体も結構被爆してるんじゃないのかとも思いつつ、逃げるところなどどこにもない。

アルゼンチンタンゴの映画に刺激されて、一気に南米に行ってみたくなった単純なわし。
実は、10数年前にアルゼンチンはブエノスアイレス公演の話(だけね)があった。
大使館の人まで紹介されて話だけは、した。ただ、遠くに行きたいのが大抵は自分だけだったので立ち消えになってしまった。
その後も日系人社会と出会う企画などただただ飲み会の席での夢物語が続いている。
2003年に静岡で開催したプレイバックシアター世界大会にはアルゼンチンからファシリテーターが来日。
自分は彼女の分科会に参加した。
アルゼンチンでは軍事政権時代の後遺症が消えていないことなどを聞いた。
今の厳しい状況から脱して、いつか必ず行ってみせるさ♪

娘2は秋にパリに行くらしい。
バイトで稼いで、そして倹約の日々。
いいでないの。そのまま帰ってこなくたっていいんだぞ。
あ、大学だけはちゃんと卒業してね。

品川駅で本番終えたかみさんと合流し帰宅。
かみさんも自分の話を聞いて「なにそれ!」。
経済的に崩壊しGNP第2位から転落したアルゼンチンを支えたのは文化の誇りだった。
例えばタンゴは植民地国家のアルゼンチンにとって欧州の影響を受けていないオリジナルの文化。
「チーム・ドラゴン」っていったいなんだ!?
文字はもとより福神漬けからわらじまで中国から取り入れてきた日本。
英語は「敵性語」として禁止したけど中国語を禁止しなかったのはなぜだろう?
そして南京を占領した日本の軍人は競い合って漢詩を詠んだ。
なんで和歌じゃないのかねえ。短歌でも長歌でもいいじゃない。
ならばパールハーバーの奇襲攻撃に成功したんだから、ソネットでもつくりゃよかったのに。
そして、戦後はひたすら「欧米化」をめざしてきた日本にとって、今、根幹となるよりどころはあるのだろうか?
やっぱり駅から(だけでなく)立ち食い蕎麦屋が消えるってのがいけないんじゃないのかなあ。
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