泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

斎宮小学校 第3週目

2012-10-29 21:56:41 | 丹下一の泡盛日記
新横浜駅から名古屋へ。
先日、横浜駅のみどりの窓口で理解できない対応受けたが、実はチケットの不思議な日時変更だけではなかった。
別件のチケットの時間変更をお願いしたところ「クレジットカードで購入しているのでそのカードはないと自国の変更はできない」と言われた。
はじめての新幹線、ではなかったのでそんなはずはないと訴えたのだが「申し訳ありませんができません」の一点張りだった。
今日、新横浜駅のみどりの窓口で訊いてみたが逆に「そんなことはありません」との回答で即座に対応していただいた。
この件はJRさんに電話してお伝えした方がいいかなあ。

東海道線からの富士山はしっかり冠雪していた。


やっぱり富士山のおつむは白くなくちゃね♪
パソ開いて仕事のつもりがくうくう眠ってしまい気がついたら名古屋手前。
斎宮小学校からみた斎宮跡地。




今日は午後1本だけ。
すっかり慣れているので、ちょっと物足りないくらいだ。
メンバー4人でのんびりと晩ご飯。
ホテルに戻りお風呂に浸かり、今日はもう終了します。
明日朝早く起きて仕事しようっと。
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講演者養成講座の後、31年ぶりの再結集

2012-10-29 07:56:44 | 丹下一の泡盛日記
日曜日は、イーウーマンの講演者養成講座でワークショップ。


この講座の受講生たちはモチベーション、意識ともに高い人たちばかりでとても楽しい。
そしてその背景には様々な個人の歴史があるのがうかがえる。
もちろんそれを左脳的に指摘することは目的ではないので、とにかく一緒に「遊ぶ」。
受講生は、ビジネスの世界で生きている人が多いので「身体で確認する」作業からはうんと遠ざかってしまっている。
それを短い時間の間だけど体験してもらい、身体に思い出してもらう。

その後、顔を洗ってリセット。30年前の劇団、劇集団流星舎のメンバーの「同窓会」に出かける。
アングラの第3世代と言われた劇団に参加したのは18歳の時、1978年だった。
1981年の春に解散するまで旅先での余興のような小さなパフォーマンスも含めてすべての舞台に出演した。
確か、1980年の1年間で77日舞台に立っていた、と記憶している。
銅鑼魔館という劇場も持っていてそこでスタッフの技術も学んだ。

チラシの出演者の部分、上から6人まで、かつての中心的なメンバーが揃ったのは31年ぶりだ。
何たって最年少の「小僧」だった自分が50歳を超えているのだものねえ。

1979年の春、今のパルコパート3が立つ前のゴルフ練習場跡地にテントを立てて「パルコドラマフェスティバル」が行われた。
夢の遊民社が幕開けだった。

中央が自分達の劇団。左側の石川辰夫さんのお宅にみんなが集まった。
右側の山本浩美さんはもういない。彼はロックバンド「はちみつぱい」のメンバーでもあった。

1980年5月に上演した「詩人とその眷属」の稽古写真。右でパンツ1枚なのが自分。


このメンバーがこんなに幸せに酒を飲み鍋をつつくなんて。
時間ってすごいなあ。

今日はこれから斎宮小学校、第3週に行ってきます。


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