泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

トリリンガルな人たち

2011-10-29 11:12:22 | 丹下一の泡盛日記
10月と11月はほとんど家に戻れずに旅の空ばかり。
家では自分しか新聞を読まないので、引っ越しのこともあり止めてしまった。
元々毎日新聞それも朝毎読3紙以上を読むのが仕事だったので、新聞が生活から遠ざかると落ち着かない。
ニーチェのことば「事実などない。解釈があるだけだ」が3紙を読み比べているとよくわかる。
新聞(報道)は「事実」を伝えるのではなく、誰かの「主張」を伝えているのだ。
ときおり「ひっかけ問題」のような小さな記事を見つけることもある。
今こそ日本がかつての戦争で何をしてきたのか思い出さなければならない。
「そういう時代だったから」で済ませられるのがずっと不思議でならなかった。
ルワンダの大虐殺だって誰かが仕向けたからそうなった。
ルワンダではラジオが虐殺をあおった。
そのスポンサーは誰だったのだろう。

昨日の香港のダニー・ユン演出の舞台終了後、トークショー。
日本語で話す司会者のことばを日英の通訳者がダニーに英語でウイスパリング。
ダニーはそれを聞きながら昆劇の役者に北京語でウイスパリングしている。
もちろん広東語ネイティブの彼にとって北京語は「外国語」だ。
そして、質問が終わると即座に英語で回答していた。
こないだの南京でのエディーもそうだったけど、ダニーもすごい。
3ヶ国語大丈夫です、というトリリンガルは自分の周囲で急速に増えている。
ちょっとだけ立ち話したが、頭の回転が速いポジティブ思考のいかにも、な香港人だった。
すぐにネガティブにいきそうになる自分は、見習うべし。

29歳でインドツアー(はじめての海外公演)翌年30歳で韓国で仕事をして、自分のたどたどしい英語にうんざりして、一人で勉強を始めた。
英会話教室に通う金なんてなかった。
(その後もなく、お金がちょっとあった頃は仕事ばかりで心の余裕がなかった)
少しずつ話せるようになってくると、先輩の何人かが「自分の前で話してみろ」と。
英字新聞を読んで聞いてもらうと「そんな発音じゃまだまだだな」と。
がっかりしていたが後に彼らは全然英語が話せないことが判明。
海外公演をたくさんやってきたと聞いていたんだけどねえ。
発音よりも大学でたくさん勉強した人がカタカナの英語でも丁寧に話している方が立派に伝わる。
自分のように「巨大な」という単語を知らなくても「とても大きい」で押し通していくのも問題ない。
「君の英語は面白いけど意味が伝わるから問題ないよ」と何度も言われてきたもん♪

今はとにかくドイツ語。
もちろんお酒頼むくらいはできる。
せっかくだからもうちょっと、と思う。
ドイツ語圏に行くのは8回目くらいだったかな。
そして北京語を深めたいなあ。
会話レベルは低くても、めざせトリリンガル!
コメント
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