寮管理人の呟き

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広島県福山市西深津町7丁目の巖山観音堂(後編)

2012年07月22日 | 郷土史
岩窟の上部には巖山石鎚大権現と書かれた札が見える。四国の石鎚神社と関係があるということだろうか。中は結構広い。巖山観音堂については備陽六郡志外篇に詳しい記述がある。

岩山觀音 實ハ原山といふ、嶄石奇々峙立る故に岩山といふ。麓の民家を岩下と号す。岩窟上下二つ有り。石逕斜にして枯(樹か)木欝々たり。
隱遁者庸徹と云者庵を結て一如庵と名付、賢忠寺(三字程缺)和尚を開基とし岩窟に觀音を安し閣上朱紺を彩り象鼻龍頭を拏せ、荘嚴美を盡り。遠く四州の地を望て夜灯を點し、海路の冥闇を照し、梵鐘を擊て村里の長夢を覺し、晝誦夜觶の靈場にして又欝散遊戯の佳境なり、庸徹沒而後段々衰廢し、一如庵も住人なく狐狸の棲となり。觀音閣も甍破れて霧不斷の香を燒、蝙蝠ならてハ窟中に出入するものもなく、撞樓倒れて釣谷にひ、常灯長く消て石燈籠空敷立り。享保中に賢忠寺(二字缺>玉峯和尚、如是衰廢せる事を歎て、件の岩窟上に藥師を安し、下にハ辦天を安而、別に觀音堂一宇を建、昔時一如庵の十か一を遺され侍る。

巖山観音堂横の地蔵菩薩

地蔵菩薩にも手を合わせてお堂へ向かう。観音堂の本尊は十一面観世音菩薩である。綱を振って鰐口を打ち鳴らし仏に来意を伝えた。

巖山観音堂の鰐口

巖山観音堂から西深津町を望む

観音堂に上がり西深津町を望む。町名変更前は東深津町の一部であった。現町名は深津高地(大昔の深津嶋山)の西側に位置する町という意味らしい。私が幼い時分は田んぼや畑がたくさんあったが、今では完全な住宅地に変貌を遂げている。

巖山観音堂と石灯籠

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