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寮管理人の呟き

移転した岩国遊廓の跡を辿る(後編)

私は木造家屋の構造を見て不自然な感じ(元の状態から相当手を加えている印象)を抱いた。そして西隣の建物は大きな家の左側の一部を壊して造ったものではないかと推測したのである。玖珂郡岩国町錦見の新開への遊廓移設が正式に認可されたのは昭和14年(1939)だが、妓楼の建設は前年から着々と行われていた。

そのことを裏付ける記述をgooブログで見つけた。「出会いと建築」の管理人さんの父親は大工で、23歳の時に錦見の妓楼の建設を請け負ったことが平成20年1月25日の記事に書かれてあり、昭和13年の新築記念に撮った写真を公開されていた(落ち着いた造りになっているのが特徴)。私は白黒写真を見ている内にこの木造家屋と構造が酷似していることに気付いた。

木造家屋のすぐ東側に立つ電柱

電柱のプレートを拡大

板張りの家の東側に立つ電柱のプレートには「散畠」という表示がある。遊廓が整備される前の埋立地は農地が散在していたのであろう。ちなみにこの家の郵便受けの住所表示の後には(新開)と追記されていた。メインストリート左手には塀に囲まれた一画がある(貸地)

木造家屋の向かい辺り(南側)の塀に囲まれた空き地(貸地の表示あり)

メインストリートから錦病院(左手の建物)を望む

薬局と錦病院を通り過ぎるとどん突きだった。遊廓跡地に病院が出来た例としては呉市朝日町があまりにも有名である。

大正5年発行の呉市街地図(※あき書房が復刻・販売)より朝日遊郭(紫の線で囲んだエリア)周辺を拡大

メインストリートの突き当たり(錦病院の敷地の西端付近)

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