そのことを裏付ける記述をgooブログで見つけた。「出会いと建築」の管理人さんの父親は大工で、23歳の時に錦見の妓楼の建設を請け負ったことが平成20年1月25日の記事に書かれてあり、昭和13年の新築記念に撮った写真を公開されていた(落ち着いた造りになっているのが特徴)。私は白黒写真を見ている内にこの木造家屋と構造が酷似していることに気付いた。
板張りの家の東側に立つ電柱のプレートには「散畠」という表示がある。遊廓が整備される前の埋立地は農地が散在していたのであろう。ちなみにこの家の郵便受けの住所表示の後には(新開)と追記されていた。メインストリート左手には塀に囲まれた一画がある(貸地)
薬局と錦病院を通り過ぎるとどん突きだった。遊廓跡地に病院が出来た例としては呉市朝日町があまりにも有名である。