由比ヶ浜から茅ヶ崎へと、稲村ヶ崎、辻堂海岸からも優麗な富士を臨む、相模灘の富士、湘南の海岸からの冨士は、まさに見事だ。
春夏秋冬、冬から春へと移り、その富士の色合の変化は、『自然の人生』とも言える。
『自然と人生』、自然の中に人間と人生(生き方)を見つめること。
『遺されたその文は、まさにその人なり!』あの徳冨蘆花が『逗子から見た富士』も、さぞ見事であったのだろう。
『一筋の道 晴れてあり 白き冨士』
自作の句を呟きながら・・・蘆花の『・・・東海の景は富士によりて生き、富士は雪によりて生く。』を想う。
この人生とあの自然、その人とはこの文なり・・・
蘆花の『自然と人生』をその文からその人生を味わう!
『富士雪を帯ぶ』
徳冨蘆花
富士雪を帯ぶ。さやかに雪を帯ぶ。
秋空何ぞ高き。風威を帯ぶ相模灘の怒号何ぞ壮なる。此空と此海の間に玲瓏として立つ富士の秀色を見ずや。
絶頂より五合目のあたりまで、銀よりも白き雪は桔梗色の山膚を被いて、上は隈なく下は宛ながら(さながら)笹縁とれる様に山を包む。
雪色浄うして点塵無く、日光に輝き、水よりも澄める晩秋の空に櫬し、豆相の連山を踏み、万波雪の如く立ち騒ぐ相模灘を俯瞰して、秀麗皎潔、神威十倍するを覚う。
岳頂一点の雪、実に富士の秀色神采を十倍せしむるのみならず、更に四囲の大景に眼晴を点ず。東海の景は富士によりて生き、富士は雪によりて生く。
『流れ行く 思いとともに 我は待つ 雪解け水よ 君は何処へ 』
原点回帰、『東海の景は富士によりて生き、富士は雪によりて生く。』
人は自然に生かされている!
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