硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

そんな恋もあるのか。

2013-02-13 17:04:22 | 日記
職場に「生粋のゲーマー」と名乗る青年がいる。話を聴くとどうやらオンラインゲームに夢中らしいが、ゲームそのものに興味がない僕はその世界にとても疎い。しかし、オンラインゲームの世界の話にはとても興味をひかれる。その中でも際立って興味をそそられたのは「同じゲームに参加するプレイヤーにストーキングする人がいる」というものであった。

この話を聴いて、最初「?」と思った。その世界観がわからないからとりあえず質問を試みると、ようやくその実態が掴めてきたのです。

青年の話によると「キャラクター」つまり、操作する人の「アバター」が可愛い事と、会話する際の「萌っとする、言葉の使用」から「アバター」を通して実態が善く分からないプレイヤーに惚れてしまうらしい。そして遂にはどういった形かは分からないがストーカー行為にまで発展するのだという。「相手の姿などよく分からないのになぜ?」という質問に、青年は「最近はラインでやり取りをする際には顔出ししている人もいるのでそれで分かる」と言う。

おおっなるほど!

しかしである。当然姿を偽っている場合もあるし、某番組の「ブラックメール」のように女性であるように見せかける事も出来るのである。その辺りまで質問してみると青年も熟知していないようで、そこからは想像してみる事にした。

ゲームのキャラが、リアルタイムで「私」と「会話」しつつ共同作業を行う。実体の「私」はそこにはいないがプレイヤーとしての「私」は存在しており「私」の反応をゲームという媒体を通して「だれか」が酌んでくれる。そこに実体ではない喜びが生まれる。実体のない喜びであっても喜びであるのだから、仮想的な喜びの中に自身を重ねる。その対象者が異性であれば恋愛感情が生まれるのも不思議ではない。しかし仮想空間の中の恋愛であるから実体はない。しかし、そこに自身を重ねる事により実体のない恋が存在している自身にも芽生えるのは不思議ではない。ましてやオンラインゲームという狭い世界観(誤解を生むかもしれないが通信端末を使用しなければアクセスできない世界だから狭い世界と捉えても問題はないのではと思う)に浸っているのだから、プレイヤーの中には「その世界が自身の存在の場所」と思い込んでいる人もいるであろうと考えるのは難しくない。

そこから、現実社会へ自身の感情を広げてゆこうとしても「その世界がすべて」の人にとっては、現実社会のルールを上手く自身に適用させる事が出来ないのだと思う。仮想空間と現実社会が地続きであるという思い込みはやがて歪みを生む。それがストーキングと呼ばれる行為に発展するのではないかと考えたのです。

これは、蝶になった夢をみて目を覚ましたら、蝶が荘周という人間になった夢を観ているのではないかと思い、ついには現実と夢との区別が分からなくなったという荘子に似ている。そしてこの思想は自分に与えられている現状を素直に楽しめばよいではないかという考えに到達するのです。

おお~なんてこった。

オンラインゲームを通してその世界に浸り「アバター」が操る人と「同じ」と思い込み「好きになる」事は今に始まった事でないのですね。

そう考えると、これは人の深層心理に深く根ざしている世界観とも考えられなくはない。だから「ゲームではないか」とはいえども、それを用いる人の心は今も昔も変わらないのだから、なにも不思議な世界ではないのだという結論に到達したのです。



コメントを投稿