硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

落語のようなクリスマスのお話を一石。

2015-12-21 22:12:06 | 日記
そもそも私達が思てるクリスマスというのは、キリストさんの儀礼の事で、皆さんがメリー・クリスマスって言ってお祭り騒ぎをするのは、キリストさん誕生日おめでとうと言うてるようなもんです。まぁ誕生日のお祝いで祭りごとですから大きな間違いはないように思うんですけど、厳格なお人にしてみれば罰当たりかもしれませんが、まぁその辺はちょっと横に置いといて。

そのキリストさんが生まれたのは今からおおよそ2015年前のことらしいんですが、もうお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、西暦っていうのは西洋の暦でこのキリストさんが生まれたから始まったんですから、いかにキリストさんが尊い人なのかが分かりますな。
そんな尊いお方でもちゃんと父上と母上がおられまして、そこは私どもと同じなんですが出生が大きく違うんですな。
さて、どこが違うかと申しますと、キリストさんの母上のマリアさんは父上のヨセフさんと契りを交わさずにキリストさんを授かったんだそうです。キリストさんと言うと名前のように思われてますが、この世の名はイエスさんというんですね。キリストとは「油を注がれた者」つまり、洗礼を受けた者という意味らしいんですが、この不思議な出来事がクリスマスの始まりなんですな。
しかし、婚約者と契りを交わさずに妊娠してしまうというと、なんやら身持ちの軽い女性のような感じを受けますがマリアさんと言う方は、大変純粋な乙女だったんだそうです。
ですから、突然身籠った事を告白された婚約者のヨセフさんは、
「なんにもしてへんのに、嫁が妊娠してしもたて・・・。誰の子なんやろ・・・・」
と、うろたえたわけです。
けれども、それ以上に純粋な乙女マリアさんも悩むんですな。「何でこんなことになってしまったんやろう」と。

その不思議な出来事の始まりは、ある日突然「ガブリエル」と名乗る天使がマリアさんの前に現れて、
「おめでとう! 恵まれた方。 主があなたと共におられます」
と言われてからなんですが、誰でもいきなりそんなこと言われてもピンときませんわな。勿論マリアさんもなんのことかとしばらく考え込みまして、それを見かねた天使さんは、
「マリア 恐れる事はない。あなたは神から恵みを戴いた。あなたは身籠って男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい」
と言ったんだそうです。でも、そんなこと言われても困りますわな。そこでマリアさんは
「どうしてそんなことがありえましょう。私は男の人を知りませんのに」
と、反論したんです。そらそうですわな、男の人を知りませんのに子供が出来たで生んでくださいと言われても弱りますわな。それでも、天使ガブリエルさんは神さんの使いですからマリアさんに分かって頂くのが仕事。「そりゃそうですわなぁ」ではすみません。そこで、ガブリエルさん。頑張ってもうひと押しします。
「精霊があなたに下りいと高き方があなたを包む。だから生まれる子も聖なる者、神の子と呼ばれる。御覧なさい、あなたの親戚のエリザベツおばさんもあの年になって男の子を宿しています。赴任の女と言われていた人なのに今はもう6か月です。神様にとって何に一つ不可能なことはありません」
電話も郵便もない時代に親戚のおばさんの事まで言われたら「これって本当かもしれんわ」と思ったのでしょう。ついにマリアさん受け入れてしまいます。そして、
「私は神様の雇われの身です。どうぞお言葉通り、子供が生まれますように」
と言うて祈ってしまうんですね。それを見て安心したガブリエルさんはマリアさんの前から去っていったんですが、残されたマリアさんはそれでもどことなく不安なわけです。
そこで思い立ったが吉日。マリアさん、早速エリザベツおばさんの所へ向かうんです。エリザベツおばさんに話をしたらほんとかどうかわかるだろうと。
そして、エリザベツおばさんと家にやってきます。
「こんにちは。エリザベツおばさん」
「なに~。ひさしぶり~。今日はどうしたの」
「なんかね。うちに天使が来て、いきなり、いきなりな、男の人も知らんのに私が神様の子供を身籠ったって言うたんやわ」
「え~、ほんまに! それは女にとってすごく幸せな事なんやで。おなかの中の子供も喜ばれてるわぁ。それで、マリアの声が聞こえた時私の中の赤ちゃんも喜んでいたんやわぁ。そやけどマリアは偉いなぁ。神さんの言われたことを信じてるんやねぇ。きっと幸せになれるわ」
偉く寛大なおばさんですな。 普通なら「そんなことありえへん」って言うところやけれども、そこがエリザベツおばさんの偉いところなんです。そのおかげでマリアさんも決心がついて、こう言うんです。
「今、私の魂は神様を敬い喜びたたえています。なんでかいうと神様が卑しい私に目を止めてくれたから。ほんまに私は幸せ者です」
マリアさん。ほんとにええ人ですね。残念なことに最近ではこんな女性とんと見られなくなりましたなぁ。

一方、婚約者がいきなり身籠ったというのに、腐りもせず、やけにもならずグッとこらていたヨセフさんもかなり男前です。それでも、時々ため息をついたり、仕事に失敗したりと、ずいぶん悩み込んでいます。それはそうですわな。男ならその気持ちよくわかります。
でも、それ以上に頭を悩ましていたのは、当時のこの国では不倫などしたら女性は石打の刑になるんです。優しいヨセフさんでしたから愛しいマリアさんをそんな目にあわしたくない。それならいっそ縁を切ってしまった方がマリアさんを救うことになるんじゃないかと思い巡っていたんです。

これが、現代の新聞記事や週刊誌の記事に登場する人たちの例ですと、浮気したんやったら俺も浮気していいよね。というようなあっさりした人もいれば、可愛さ余って憎さ百倍といいましょうか、嫉妬心から大好きだった人を殺めてしまう人もいるほどです。なんやら荒んだご時世になってしまったなと嘆いてしまいそうですが、キリストさんが生まれた時代の方がもっと荒んでいたんですね。その時の王様ヘデロなるものは、ヘデロに代わり王の座につくものがもうすぐ誕生するという噂を耳にして、王の座を奪われるのを嫌い、家来を使って町周辺の2歳以下の男の子を一人残さず殺させたというんですから、今以上にひどく物騒な時代だったんですな。また、そんなことを平気でしてしまう王様であったから、その地の民はたいへん苦しめられていたといわれていました。

                                    つづく

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