硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

斜陽。

2015-02-02 23:32:01 | 日記
引き続き考えています。政府はどうして強い言葉を使い続けるのだろうか。それがどれほど危険であるのか理解しているのだろうか。テロは戦争ではなく、ある日突然たくさんの人が理不尽な暴力によって命を絶たれるのです。

主要都市の平日の朝や夜のラッシュ時の人でごった返している大きな駅の構内で、何の予告もなく突然爆弾が破裂するのです。それがテロです。
私たちには護衛もつかず防弾の車で通勤しているわけでもないので、巻き込まれるしかないのです。

もっと、違う言葉を用いることができなかったのだろうか。

また、情報番組でも取り上げられているようになぜ、「国」という表現を常用したのでしょうか。

なぜ、そのことで誤解を招き、間違った観念を植え付けられてしまう危険性に配慮しなかったのでしょう。

根拠のない噂だけで、感染症でもない疾患の人を、迫害し隔離してしまうという黒い感情が私たちの中にあるのです。それが、どんな弊害を生むかよく考えるべきではないでしょうか。

そして、戦争で一番の被害を受けるのは、そこで普通の生活を営んでいる人々であることは、先の戦争で先人が身をもって体験しているはずです。
他国の人々が戦争によって苦しんでいる事を伝えることは大切であるけれど、その前にどうして身近な体験者の口をつぐませてしまったのでしょうか。

ここまで考えてしまうと、誰かの都合のために、多くの人々が犠牲にならざるをえない状況に事が進んでいるのではとしか思えなくなるのです。




コメントを投稿