長嶋茂雄さんが死去された。
コンビニに陳列されている新聞の一面はすべてミスターの訃報で埋め尽くされておりテレビの各局はトップニュースとして報道していた。そして、どの局も現役時代の映像が流されていて、その中にはぼんやりと覚えているシーンも見受けられた。
ミスターの現役時代の映像の頃の家庭の多くはテレビは一家に一台という時代で、冷蔵庫や洗濯機などの家電も広まりつつあり戦後の尾を引きながらも豊かになりつつあり、チャンネル権は常に父で家父長制の真っただ中の時代ではあったが、ミスターは野球好きでない者の記憶にも残った偉大な人物だった。
しかし、それと同時に、70年代の映像を見ると胸の奥が疼いた。それは、野球が異常に好きな父の不機嫌な姿と重なるからでもあった。
父は贔屓にしている球団が負けると、あからさまに不機嫌になり、気に障るような言動をするものなら激怒され、その理不尽さが嫌だった。
おそらく、その父の態度が、僕を常に人の顔色を伺う性格にしてしまったのではないかと考える。
亡き父を恨むことは無益な思考であり、赦しが必要なのは頭では理解しているが、50代後半となった今でも、どこか吹っ切れないのである。
嫌だった記憶が未だに自分の中で消化できないのである。余りにもしつこく思い出してしまう時には、いい加減にしろと自分に言い聞かす事もあるが、どうしていつまでも過去に囚われているのかと自問自答してみるが、今の僕が未来に目をむけていないからだという、どうにもならない結論を導いてしまう。
そんな重い僕の心情はともかく、長嶋さんの映像を観ていたら、突然頭の中である曲が流れだして、それが、リピート再生され続けてしまった。
その曲は、「侍ジャイアンツ」というアニメの「王者、侍ジャイアンツ」である。
「ズンタタタァ~、ズンタッタ! 」 で始まる曲ではなく、「おおじゃのほしがぁ~、おぉれぇ~おぉよぉ~ぶぅ~」の方だ。
アニメ「侍ジャイアンツ」は長嶋さんや王さん、川上監督などそのままの人物が登場していて、(確か多摩川の練習場のシーンまでもあったような記憶がある)現代では不可能な演出の激アツスポコンアニメであり、野球に興味のない少年たちにも本物のプロ野球を観る下地を作ったともいえる。
小学生の頃、あのオープニングの躍動感にカッコよさを感じ、よく下校時に歌っていた記憶がある。(今でもエヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼなみにカッコいいと思っている)
その時分は、娯楽も少なく野球も遊びの一つで、数少ないクラスメイトと放課後野球をして時間を過ごすのは、今の子供たちがゲームで遊ぶのと同じ感覚くらいのことだった。
しかし、父は僕を野球選手にしたがっていて、(ただただ押し付けられていた)それに対して僕は小学校3年生の時に自分のセンスの無さに痛感し、野球選手の夢は早々に放棄したが、口答えする事が許されなかった僕と父の間には大きな齟齬が生じていて、さらに当時の父は僕の気持ちを理解する術を知らなかったため、父とのキャッチボールすら嫌であるのに、ボールを落とすと腹を立ててばかりいる父が心底嫌いだった。
閑話休題。
そして、今日、少年の頃、それでもなぜ野球を楽しめていたのか、その理由がミスターの訃報で理解できたのである。
僕は野球が好きなのではなく「侍ジャイアンツ」はもちろんのこと、「ドカベン」「野球狂の詩」などの野球漫画(アニメ)が好きだったからである。
(学級図書にあった、漫画「長嶋茂雄物語」「王貞治物語」は何度も読んだ)
好きなものの影響を受けやすい僕は、野球アニメの影響を受けて、野球をやっていたに過ぎなかったのだった。
だから、少年野球には所属していたが、ほとんど休んでいて、試合にも一度しか出なかったし、父が不機嫌にならないために中学では野球部に入部したが3か月も持たず、不登校の原因にもなった。
・・・書いていて辛くなってきた・・・・・。
再び、閑話休題。
話は飛んでしまうが、何かのシーンや人物やキャラクターを見ると、「頭の中で曲が流れる」という、その不思議な現象は僕だけなのだろうか。
例えば、最近では、SPY×FAMILYのキャラを見るとadoの「クラクラ」が、呪術廻戦なら羊文学の「more than words」が流れてしまうのであるが、その現象を意識してしまうと僕はやっぱり変なのかなァと思ってしまうのである。
それはさておき、今でも野球観戦は苦手な方であるけれど、イチローさんの登場辺りから、各選手の守備力やバッティング力には見入るようになった。
そして、大リーグでプレイする大谷選手の活躍は、ニュースを通して必ず目にするし、ひそかに応援している自分がいる。
これは、野球嫌いの僕でも、ミスター・ベースボールマンがいなければ、達する事の出来なかった域であると思っている。
コンビニに陳列されている新聞の一面はすべてミスターの訃報で埋め尽くされておりテレビの各局はトップニュースとして報道していた。そして、どの局も現役時代の映像が流されていて、その中にはぼんやりと覚えているシーンも見受けられた。
ミスターの現役時代の映像の頃の家庭の多くはテレビは一家に一台という時代で、冷蔵庫や洗濯機などの家電も広まりつつあり戦後の尾を引きながらも豊かになりつつあり、チャンネル権は常に父で家父長制の真っただ中の時代ではあったが、ミスターは野球好きでない者の記憶にも残った偉大な人物だった。
しかし、それと同時に、70年代の映像を見ると胸の奥が疼いた。それは、野球が異常に好きな父の不機嫌な姿と重なるからでもあった。
父は贔屓にしている球団が負けると、あからさまに不機嫌になり、気に障るような言動をするものなら激怒され、その理不尽さが嫌だった。
おそらく、その父の態度が、僕を常に人の顔色を伺う性格にしてしまったのではないかと考える。
亡き父を恨むことは無益な思考であり、赦しが必要なのは頭では理解しているが、50代後半となった今でも、どこか吹っ切れないのである。
嫌だった記憶が未だに自分の中で消化できないのである。余りにもしつこく思い出してしまう時には、いい加減にしろと自分に言い聞かす事もあるが、どうしていつまでも過去に囚われているのかと自問自答してみるが、今の僕が未来に目をむけていないからだという、どうにもならない結論を導いてしまう。
そんな重い僕の心情はともかく、長嶋さんの映像を観ていたら、突然頭の中である曲が流れだして、それが、リピート再生され続けてしまった。
その曲は、「侍ジャイアンツ」というアニメの「王者、侍ジャイアンツ」である。
「ズンタタタァ~、ズンタッタ! 」 で始まる曲ではなく、「おおじゃのほしがぁ~、おぉれぇ~おぉよぉ~ぶぅ~」の方だ。
アニメ「侍ジャイアンツ」は長嶋さんや王さん、川上監督などそのままの人物が登場していて、(確か多摩川の練習場のシーンまでもあったような記憶がある)現代では不可能な演出の激アツスポコンアニメであり、野球に興味のない少年たちにも本物のプロ野球を観る下地を作ったともいえる。
小学生の頃、あのオープニングの躍動感にカッコよさを感じ、よく下校時に歌っていた記憶がある。(今でもエヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼなみにカッコいいと思っている)
その時分は、娯楽も少なく野球も遊びの一つで、数少ないクラスメイトと放課後野球をして時間を過ごすのは、今の子供たちがゲームで遊ぶのと同じ感覚くらいのことだった。
しかし、父は僕を野球選手にしたがっていて、(ただただ押し付けられていた)それに対して僕は小学校3年生の時に自分のセンスの無さに痛感し、野球選手の夢は早々に放棄したが、口答えする事が許されなかった僕と父の間には大きな齟齬が生じていて、さらに当時の父は僕の気持ちを理解する術を知らなかったため、父とのキャッチボールすら嫌であるのに、ボールを落とすと腹を立ててばかりいる父が心底嫌いだった。
閑話休題。
そして、今日、少年の頃、それでもなぜ野球を楽しめていたのか、その理由がミスターの訃報で理解できたのである。
僕は野球が好きなのではなく「侍ジャイアンツ」はもちろんのこと、「ドカベン」「野球狂の詩」などの野球漫画(アニメ)が好きだったからである。
(学級図書にあった、漫画「長嶋茂雄物語」「王貞治物語」は何度も読んだ)
好きなものの影響を受けやすい僕は、野球アニメの影響を受けて、野球をやっていたに過ぎなかったのだった。
だから、少年野球には所属していたが、ほとんど休んでいて、試合にも一度しか出なかったし、父が不機嫌にならないために中学では野球部に入部したが3か月も持たず、不登校の原因にもなった。
・・・書いていて辛くなってきた・・・・・。
再び、閑話休題。
話は飛んでしまうが、何かのシーンや人物やキャラクターを見ると、「頭の中で曲が流れる」という、その不思議な現象は僕だけなのだろうか。
例えば、最近では、SPY×FAMILYのキャラを見るとadoの「クラクラ」が、呪術廻戦なら羊文学の「more than words」が流れてしまうのであるが、その現象を意識してしまうと僕はやっぱり変なのかなァと思ってしまうのである。
それはさておき、今でも野球観戦は苦手な方であるけれど、イチローさんの登場辺りから、各選手の守備力やバッティング力には見入るようになった。
そして、大リーグでプレイする大谷選手の活躍は、ニュースを通して必ず目にするし、ひそかに応援している自分がいる。
これは、野球嫌いの僕でも、ミスター・ベースボールマンがいなければ、達する事の出来なかった域であると思っている。
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