探墓巡礼顕彰会-歴史研究会連携団体による墓碑調査プロジェクト-

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鶴見総持寺調査

2012-08-10 23:50:36 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
7月8日(日)に鶴見総持寺の調査へ行って来ました。
このお寺へには何度も来ていますが、広大な墓地ですので、来るたびに発見があります。

鶴見総持寺と言えば石原裕次郎のお墓が有名ですが、他にも栗野慎一郎、内海忠勝、清浦奎吾、渡辺千秋と言った明治から大正にかけて活躍した政治家、官僚、外交官の墓があります。

今回も数家の調査をしましたが、その中から少しご紹介します。

まず思想家・ジャーナリストの黒岩涙香。
黒岩家については以前、会員のカトケンさんが投稿した「《平成23年・西行南游日記 1》高知県安芸市 黒岩治部之助直方墓」に詳しいですが、涙香はこの黒岩直方の甥であります。
この総持寺には涙香とその子孫の墓があります。
涙香の墓碑は正面に[黒岩院周六香忠天居士]と刻まれた角柱石です。



裏面には撰文が刻まれており、墓碑左横の墓誌には涙香以降の子孫の名が刻まれていました。

次ぎに三井物産創始者益田孝。



益田孝の本墓は音羽護国寺にあり、孝の長男太郎以降の子孫の墓となっています。
この総持寺にある墓には以前も来ていましたが、同墓域にある吉田家之墓というのが、孝とどういう繋がりがあるか分からずにいましたが、『鈍翁・益田孝』(白崎秀雄)という本を読んで、吉田家が側室たきの実家であり、たきの孫娘多嘉が吉田姓を継いでいたことが分かりました。
総持寺の孝の墓碑の裏面には建立者として益田瀧子の名が刻まれており、たきの系統の墓として護国寺とは別に建立された事が分かりました。

今回の調査はこの吉田家の確認作業でした。
孝とたきの子は初代小田原市長益田信世であり、その娘​多嘉は吉田姓を継いで、野球選手小川年安を婿に迎えました。年安は太平洋戦​争に出征して戦死しており、悲劇の選手として知られています。墓誌にはこの吉田年安の名も刻まれていました。
このたき-信世-多嘉の系譜は『昭和新修華族家系大成』には全く記載されていませんので、華​族家の調査は『華族家系大成』以外にも伝記等の確認が必要である​ことを再確認しました。
私事ですが、私の家内が益田孝の養女となり、三井物産参事犬塚勝之丞の妻となった益田フジと遠縁になっており、その関係で益田家一族に関して詳細に調べております。もし詳しい事をご存知の方がいましたらご教示を賜りたいと存じます。

この益田孝の墓の近くには国文学者落合直文の弟壱岐寅之進の墓があります。
落合直文は仙台藩伊達家御一家、鮎貝盛房の次男であり、三男は歴史学者鮎貝房之進、寅之進は四男にあたります。
この墓はこの日偶然見つけたものであり、総持寺にはまだまだ明治~昭和の名士達の墓があるのではないかと思います。
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