川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

松阪祗園まつり始まる

2018-07-14 18:11:37 | 日記
 各地から記録的な暑さが報告される7月14日の真夏の空の下、松阪祗園まつりが始まりました。祗園まつりは初午祭り(2月)、氏郷祭り(11月)と並ぶ松阪の3大祭りの1つで、宵宮の14日には三社みこしや小若みこしが街中を練り歩きます。本日の明日15日には町内子供みこしや八雲神社みこしが町を練り歩き、また松阪しょんがいソーランや、松阪鈴おどりなどが行われます。

 私も宵宮の14日に出かけ、日野町交差点で行われた三社みこしの練り込みを久しぶりに拝見しました。汗がしぶきのように飛び交う若い衆が担ぐ御厨神社、八雲神社、松阪神社の三社みこしが日野町交差点でうねり交わる様は、まさに祇園祭の醍醐味です。この三社みこしの練り込みは今夜8時15分からもう一度行われます。

 
 

 祗園祭りは初午祭りと同様に厄除け、厄落としを願う信仰の祭りで、「松阪の文化財案内(平成13年3月 市教育委員会発行)」の冊子には『平安時代京都で始まった御霊会(ごりょうえ)に由良し、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る八坂神社の祭りが松阪に波及したもので、以前は旧暦の7月14日、15日に八雲・雨竜・御厨・八重垣の四天王社が行った祗園会であったが現在は松阪・御厨・八雲神社の祭礼としてとり行われている。』と示されています。
 
 松阪祗園まつりは、蘇民将来伝説に支えられた夏祭りで、もともと雨竜神社のみで行われていたものが、ほかの神社でも行われるようになったものです。雨竜神社(雨竜天王)は蒲生氏郷が入城以前からあった古い神社で、もともとの位置は現在の殿町のカトリック教会付近にあり、明治41年に松阪神社に合祀された時には魚町にありました。また八重垣神社(毘沙門天王)は西町にあり、同じく明治41年に松阪神社に合祀されました。

 牛頭天王はスサオウノミコトのことです。蘇民将来伝説とはスサオウノミコトが旅の途中、ある村で宿を請うたところ、金持ちの弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は「家が貧しいから」と断ったが、貧しい兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は「汚い家でよかったら」と泊めて親切にもてなしたということです。翌日スサオウノミコトは身分をあかし、「疫禍あれば茅の輪を作り門に懸けよ」と教えました。その後疫病が流行った時、蘇民将来は茅の輪を掲げ、一家は災禍から逃れることができ、子孫の代まで栄えたということです。一方の巨旦将来の子孫は皆、絶えてしまったそうです。

 この蘇民将来伝説の舞台となったのが、伊勢市二見の蘇民の森・松下社です。この地方ではしめ縄には「笑門」ではなく「蘇民将来子孫家門」と書かれたものを飾ります。また「蘇民将来子孫家門」と書かれたお札もよく見かけます。「岩手県で1000年の歴史のある蘇民祭もこの蘇民将来を祀る祭りです。
 松阪祗園まつりの神輿もこの「蘇民将来」を掲げて町を練り歩きます。
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