多聞月記

シルクドゥソレイユのドラリオンをきっかけに中国雑技、サーカス好きになったおっちゃんの月記

サーカスにとっての25年

2016-01-31 13:03:50 | Weblog
25年、四半世紀とも言いますが、
今の時代だと生まれた子供が社会人として会社で戦力になるまでの期間ぐらいですね。
その人がさらに25年後には部長として仕切っていてもおかしくない期間。
そんな25年という間にサーカスでは何があったのでしょうか。
そんなことをふと思いました。
そのきっかけがこちら↓

昨日手に入れました!
ちなみに大阪の市立中央図書館にはあるみたいなので
興味がある方はそちらで無料で読めます。
今でも見られない風景もあって、当然のように買っちゃいました。
25年前。日本には5つのサーカスがありました。
・木下サーカス
・国際サーカス
・矢野サーカス
・カキヌマサーカス
・キグレサーカス
です。
雑誌に紹介されているそれぞれの特徴を引用させて頂くと
・木下サーカス 今も健在な伝統芸に新しい息吹を加える老舗サーカス
・国際サーカス 名前の通り国際色豊か小気味よい芸に時間を忘れる
・矢野サーカス 盛り沢山な芸が嬉しい。テントの中に昔懐かしいサーカスのにおいがある
・カキヌマサーカス 一度途絶えた団を復活させた原動力は、団長のサーカスへの情熱だった
・キグレサーカス 従来のサーカスの概念を捨てて、目指すのは独自の“ニューサーカス”
さて、皆さんはどれが一番見てみたいと思いましたか?
現実の話をします。
この中で25年後の今、存在しているのは木下サーカスのみです。

25年間
私もサーカス好き歴たかだか8年程度の若輩者ですので、詳しくは分からないです。
間違いや追記すべき事項があれば是非お知らせください。
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1992年 シルクドゥソレイユ ファシナシオン上陸
1994年 シルクドゥソレイユ サルティンバンコ
1995年 国際サーカス 解散
1996年 矢野サーカス 解散
ポップサーカス立ち上げ
シルクドゥソレイユ アレグリア
2000年 シルクドゥソレイユ サルティンバンコ2000
2001年 沢入国際サーカス学校 開校
2002年 カキヌマサーカス 解散(?)
2003年 シルクドゥソレイユ キダム
2004年 シルクドゥソレイユ アレグリア2
2007年 シルクドゥソレイユ ドラリオン
2008年 シルクドゥソレイユ 常設ショー ZED 開幕
2009年 シルクドゥソレイユ コルテオ
2010年 キグレサーカス 倒産
ハッピードリームサーカス 立ち上げ
2011年 シルクドゥソレイユ クーザ
シルクドゥソレイユ 常設ショー ZED 終演
2013年 シルクドゥソレイユ イモータル
2014年 シルクドゥソレイユ OVO

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(間違い等ありましたら、順次訂正、追加致します。)

えらいシルクドゥソレイユ関連が多いな!
と思われると思います。
一つは情報がそれだけオープンだというのがあります。
あと、他の日本のサーカスと違い
正確さよりイメージのし易さを重視して書きますが
シルクドゥソレイユ という大きな会社に
アレグリア、ドラリン、、、、などなどの各部門がある感じ。
なので日本に“新しいショー”を定期的に送り込むことが出来て
さらに、その度に新しいサーカスが来るように大々的な宣伝が出来るので
それぞれの情報が残り続ける というのがあります。

例えばキグレサーカスでいうと
シルクドゥソレイユの初来日よりも早くから従来のサーカスと違ったサーカスとして
演出やストーリーを重視したショーを始めていて
その始まりは1977年の三木のり平さん演出の『宇宙への旅』になるそうです。
ちなみにシルクドゥソレイユ自身の立ち上げが1984年、
ラスベガスでのミスティアが1993年ですから、その一歩の早さが分かります。
その後『翔べピーターパン』が続き、1991年の時点では
サーカスファンタジー『赤い靴』 だったようです。
演出:千葉真一 音響:宇崎竜童 衣装デザイン: コシノジュンコ
というそうそうたるメンバーによるショーだったようです。
ただ私自身の無知もあると思いますが
キグレサーカスという名前はすぐに分かりますが、それぞれのタイトルとなると
やはり何かを読まない限りは分からなかったんですよね。
実態の部分と宣伝で伝わり、情報として残るものとのギャップがあったのだと思います。
あと、それぞれのショーが切り替わるタイミングではどうなっていたのか。
例えば1年開くのか、それとも制作とショーを並行し一気に切り替えたのか。
いろいろと気になります。
キグレサーカスについては宇根元由紀さんの著書『サーカス放浪記』に
サーカスでの生活を含め、実体験が詳しく、そして生き生きと描かれています。
この方ご自身がピーターパンが始まる前でのご退団だったということなので
時期的には『宇宙への旅』だと思われます。
キグレサーカスは結構最近まで活動されてました。
私自身がサーカスと出会ったのが2007年だったので、実際キグレサーカスは
見たいサーカスとしてしっかりとチェックしてました。
HPなどは今練習している演技 の写真までアップされていて
本当に近くに来るのを楽しみにしてました。ただ、それは実現しませんでした。
見てみたかったですね。

演技に注目してみます。
25年前、日本には本当に様々な演技がまさに“常駐”してました。
いわば、そこに行けば必ず見れる状態です。
・鉄線渡り
・大一丁ブランコ(ワシントントラピス)
・青竹渡り
・空中浮遊(髪の毛を天井から下げた綱に結んで体重を支えてやる演目。中国のHanShow、DaiShowでは共に南米の女性が演じられてます)
などなど。
どれも今、日本では見ることができない演目です。
もちろん空中浮遊やワシントントラピスなら海外から呼べばすぐに出来ると思いますが
それは“常駐”とは違います気がします。
25年間、いろんな演技が消えていったと思います。
25年前でさえ途絶えてしまった伝統芸として
曲馬、ピーター(コルテオのラダー)、針金上での足芸などが挙げられており、
日本における芸は減少傾向がずっと続いているといえると思います。
もちろんエアリアルティッシュ、ジャグリングなど増えた部分もたくさんあると思います。
ただ流行か伝統か、商売という避けられない問題の前に辛い選択もさせられてきたのだと思います。
ただそんな状況でも25年間で復活したものがあったのも事実のようです。
雑誌で途絶えた演目として紹介された七丁椅子という演目。
こちらは見事に木下大サーカスで復活を果たしました!もちろん日本人の手で!
木下大サーカスの社長はテレビででも
『伝統芸の復活』
を掲げられていました。
今の現状で、それが出来る唯一のサーカスが木下大サーカスだと思います。
100年を優に超える歴史をもつ唯一のサーカス。
生き証人がご健在なうちに、是非様々な伝統芸を復活させて欲しいと願います。

さて、話をサーカス団に戻します。
25年間、サーカスの数は2増4減、結果として現在も残るサーカスは
木下大サーカス
ポップサーカス
ハッピードリームサーカス
の3団体です。
今はこの雑誌のようにサーカスにスポットを充てた記事もなかなか目にしないので
私なりに紹介をすると
・木下大サーカス : 日本で唯一の総合サーカス!日本の伝統と新サーカス(ヌーヴォーシルク)の融合が生み出す世界で唯一のサーカス空間!
・ポップサーカス : アジア、ヨーロッパ、アメリカ大陸。国境を越えたまさにサーカスの世界旅行!
・ハッピードリームサーカス : 演技一本勝負!それぞれの演目をじっくりと楽しめる懐かしくも新しい“純”サーカス!
こんな感じでしょうか。
そして雑誌から一言拝借
『もう一度サーカスを見に行きませんか』

2月からは
シルクドゥソレイユ トーテム
3月からは
中国雑技団 輝け パンダマスター
も加わります。
こちらも合わせて日本のサーカス界が大きく盛り上がっていって欲しいですね。


てなわけで1月の『月記』でした~






コメント
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