世界たみらん滞在記

新潟・千葉出身の2人が、神戸から世界に向け出発!期間もゴールも違うけど、2人で生アジアとふれあってきま~す♪

幸せのカタチ④ 国際協力にーついて

2009-05-26 11:05:26 | Weblog

近頃話題の国際協力。
おれも大学で勉強してるからそれなりに興味はある。
みんなの
国際協力に対するイメージはどんな感じ?

ラオスで
ストリートで暮らす子供たちに出会った。

最初
彼らはおれらにお金をねだってきた。
おれらはお金を渡さなかったけど
その日の夜
彼らは外人からお金をもらって
ジュースを飲んでた。
おれらは子供たちが気になって様子を見てた。
そしたら
子供たちはおれらに近寄ってきて一言。
「ジュース飲む?」

あーーーーーー。
この子たち優しすぎるよ。。。
見ず知らずの外人のおれらに
ジュース飲むかって。
自分たちの食うものすら
苦労しても手に入らないのに。

次の日から
おれらは彼らに何かできないかって考え出した。
町の人に聞いたら
彼らの親はなんらかの理由で
仕事をしてないらしい。
爆弾で親のいない子もいるらしい。
日本のNGOに電話したら
担当地域じゃないから支援できないって。
おれらにできることは
彼らと遊ぶことくらいしかなかった。

はじめて会った時
彼らはなんか他の子供たちと違うなって感じた。
何ていうか
少しつらそうに生きてるように見えた。

でも
子供たちと遊んでみたら
彼らは満面の笑顔を見せてくれた。
「だっこして~」って思いっきりあまえてきた。
他の子とけんかしてすねてた子がいた。
子供お得意のエロ知識も教えてくれた。笑

子供たちと別れる最後の夜
みんなはダンボールの中でご就寝。
「おれの寝る場所はここ!」
「違う!そこはおれ!」
ギャーギャーギャーギャー。
なんだかみんなでキャンプに来たみたい。
毎日こんなに騒ぎとおしだったら
きっと楽しいだろうなー。

そりゃ
日本の子供たちに比べたら
彼らには足りない部分もたくさんあるかもしれない。
勉強は日本の子供たちよりできないかもしれないし
親の愛だって足りてないかもしれない。
でも
彼らは日本の子供たちが持ってないものを持ってる。
自分たちで生き抜いていく力は群を抜いて強いだろうし
なんていうか・・・
言葉ではうまく言いあらわせないものを持ってる。
それはきっと日本の子供たちは持ってない。
というかなくしてしまったもののような気がする。
日本の子供たちのほうがいいところもあれば
ラオスに住んでる彼らのほうがいいところもある。

それに何より
彼らも日本の子供も
無邪気であることは変わらないな~。
みんなめっちゃいいよ。
みんな一緒だよ。

おれには
そんな彼らに何かしてあげることが
むしろ失礼なように思えた。
一生懸命生きてる彼らに
国際協力だーって
食べ物あげて着る物あげて
無理やり学校行かせて。
それって協力?
学校行かなくたって
彼らはめちゃめちゃ頭いいんだよ。
食べ物や着る物あげなくたって
彼らは自分たちでちゃーんと手に入れてくるんだよ。
今の状態のままだって
彼らは楽しそーに生きてるよ。
本当に彼らに必要なものは何なの?

他にもたとえば
学校のない先住民族の村に学校をつくって
本当にいいの?
彼らは教育なくても幸せに暮らしてたかもしれないよ?
親から本当に大切なものを教わってたかもしれないよ?
アフリカでワクチン接種して
本当にいいの?
長生きすることが彼らにとっての幸せなの?
死者が多いから
彼らは本当の命の尊さを知ってるかもしれないよ?
国際協力するなら
ちゃんと考えなきゃいけない。

西洋の文化を押し付けて
国際協力したから気持ちイイ~
なんて大人におれはなりたくない。
ただ
彼らのキラキラしてる目を
いつまでも持ち続けてほしいな~って
そー思うんだよね。

ちょっとくさいセリフか?笑

たみお

ラオスにて。みんないい子たちだったな~。
子供たちが撮ったからちょっとブレてます;

おれのカメラで遊んでます。

おやすみ~
また会えたらいいなぁ。。。


たみお@新潟県五泉市

2009-05-22 13:29:23 | Weblog

ご無沙汰してました!たみおです!

今回は旅のお話はちょっとお休みして・・・。
僕の地元の新潟県五泉市についてご紹介☆

旅で外国を知ったから
最近は自分の地元のことも知ろうと
たまに田舎な地元をほっつき歩いてます!
え?ヒマ人?違います。
おじいちゃんなんです。たみおじいちゃんなんです。
地元も歩いてみると面白いもんがあるものですねー。

僕の地元五泉市は
こーんな風に山に囲まれてます。

まずは子供のころよく遊んだ南公園へ!

きれいな公園でしょ?

公園をふらふらしてるとうれしいものが。

 

左の虫、なんだかわかりますか?
そうです!アメンボ!
公園の水辺にもまだいました。
なんだかホッ。
右の写真は春の草たち。
昔はよくむしりとってたなー。

そして見つけました!

 

そう、お母さんの木!
左の写真の木です。
なんだかわからんけど
小学生のころ僕らはそう呼んでました。
そして僕たちはこの木に火をつけて危うく大火事になるとこでした。
近所のおばさんに怒られました。
今考えると
反抗期の現われだったのかな・・・?

右の写真は・・・。
まだ本屋さんで買うことすらできなかった
小学生の僕らには公園は宝の山だったなぁ・・・笑

さてさて、公園を後にしてまたふらふら。
面白いもの目白押し!!

 

左の写真は・・・。
電柱なんですが、
なんと木でできた電柱!
まだこんなのあったんだなぁ。

右の写真はあるお家に格言のように飾られていました。
書いてあるのは
「物がいっぱい
ありながら
なにか不安で
もの足らない
ものたらない
なぜ?」
・・・。
あーさすがみつを。

サイホンって何?

毛虫前進中。

川瀬公園にて。
なんか風情を感じますなー。

そして2時間ほどほっつき歩いて
再び南公園へ。

昔と変わらず、
学校帰りに公園で遊んでる子供たちを見て
なぜか安心。

以上地元ぶらぶら旅。
地元にはなーんにもなくて、
もっと都会に行かなきゃ!
なんて思ってたけど、
地元にもいいとこたくさんあるじゃん。

きっとおれみたいに気づいてない人たくさんいるんだろうな。
もっと地元のよさを見つけていこう!
もっと地元を好きになろう!
もっと身近なものの大切さに気づこう!

な~んて。
たみおじいちゃんは思ったのでした。
またそのうちふらふらしてきま~す。

たみお

ps
たみおじいちゃんは島根に出張してきました。
そのこともまた書きますね~。


幸せのカタチ③ 環境についてー

2009-05-07 16:46:58 | Weblog

日本って今
エコブームだよねー。
インドでは今
ポイ捨てブームだよー。

みんな
どこにでもポイ捨て。
道路にポイ。
川にポイ。
都会の汚いこと汚いこと。
汚いだけじゃなく臭い。

電車にはゴミ箱なんてない。
窓がゴミ箱。
窓からポイ。
何でもポイ。

でもインドには
無駄なものはあんまない。
お皿なんかなくて代わりに葉っぱを使うから
洗剤で水汚れないし
包装もほとんどない。

昔はそればっかりで
ポイ捨てしても何の問題もなく
ゴミは土にかえったんだろうけど
今はやっぱりグローバリゼーションの影響なんかで
土にかえらないものもいっぱいあるから
そうもいかなくなってきてる。

フィリピンではこんな話を聞いた。

フィリピンはマニラには
スモーキーマウンテンと呼ばれるゴミ山がある。
おれも実際に行ったんだけど
そこは本当にゴミばっかりで
ゴミ山の中に町があるほど。
その町に住んでる人たちは
ゴミ拾いをして生計を立ててるんだって。

それはいいとして
おれが話したいのは
なんと
日本が自分の国のゴミをそのゴミ山に捨ててたという事実。
まぁ今はもう捨ててないらしいけど。

エコってなんだ?
って言いたくなるよね。なったのおれは。
自分の国のゴミを他国に押し付けて
そんなんでエコとか言ってほしくない。
日本のエコはどっか方向違いなんじゃないかなー。

今まで
さんざん地球汚しといて
反省もせずに
人間が生きにくいから
エコエコ言われてもねー…

とか言っても
じゃーどうすればいいのかわからんけど…。

でも
おれが行った国々には
本当のエコの可能性が秘められてるんじゃないかな。

方向違いといえば
最近の喫煙ブームもいきすぎなんじゃない?
首都圏駅構内全面禁煙って…
人権侵害。怒

エコやら何やら言ってきたけど
本当は最近の喫煙ブームに反抗したいだけだったりして。

喫煙者代表のたみおでした。


中国の電車もゴミだらけー

ゴミ山の町はこんな感じ。

ゴミ山でバスケット♪


幸せのカタチ② 宗教についーて

2009-05-07 16:12:25 | Weblog

日本人には
宗教がない。
それっていいのか?
それとも悪いのか?
おれは旅で
仏教・イスラム教・キリスト教・ヒンドゥー教の国々を見てきたよ。

イスラム教のマレーシアでは
こんな光景を見た。

モスクに行ったときに
礼拝堂でみんな昼寝をしてた。
あるおじさんは
ひたすら携帯をいじってた。
ある子供は
礼拝堂の中を走り回って遊んでた。
ある学生は
ずっと友達と話をしてた。
イスラム教の厳粛なイメージとは
大きくかけ離れたものだった。

ヒンドゥー教のインドでは
寺院に行ったときに
お坊さんと遊んだ。
お坊さんはお年寄りから子供までいて
みんなおれのカメラで写真を撮りまくってた。
なんか楽しそうだった。

おれは宗教というと
ちょっと厳しいイメージがあったりしたけど
そんなことなかった。
宗教はみんなの日常だ。
日本人は正月に初詣に行くけど
彼らは毎日初詣に行ってるだけ。
毎日初詣ってなんかわくわくしない?

キリスト教のフィリピンでは
こんな話を聞いた。

女の子がいました。
彼女には両親がいません。
しかし彼女は言いました。
「私はイエス様に愛されています。
だから寂しくなんかありません。」

インドのマザーハウスでは
こんな話を聞いた。

シスターたちが家回りをしていた。
ある男の家に入るなりシスターは言った。
「あなたはイエス様に愛されています。」
男は泣き崩れた。
男は言った。
「私は誰にも愛されていないと思っていました。
私には生きる意味などないと思っていました。
だから今首を吊って自殺しようとしていたのです。」

生きるうえで
信じるものを持っている人は強いなって思った。
それは神様であろうと
家族であろうと恋人であろうと友達であろうと。
きっと宗教は
人間に生きる意味を与えるために作られたんだろーな。

日本人には
特定の宗教はない。
でも本当はみんな宗教を持ってるんじゃない?
だって
日本人にだって日本人らしい日常はあるし
信じるものだって持ってるはず。

ただ
マレーシアやインドやフィリピンでは
生まれた瞬間宗教はもう決まってるから楽かもね。
日本では
自分で見つけなきゃいけない。
自分の日常を。
自分の信じるものを。

つまり
は心の持ちようなのかなー
なんて思いました。

たみお

モスクにて…

語らい

昼寝し

ケータイをいじる。

そして寺院にて遊ぶ!
そんな日常。