不肖Tamayan.com駄弁録

「英雄は自分のできる事をした人だ。凡人はできる事をせずに、できもしない事を望む。」byロマン・ロラン

遅咲きの映画職人―クリント・イーストウッド

2006年09月17日 16時42分34秒 | 徒然駄弁-映画編
 今回は、久しぶりに俳優を一人取り上げよう。ロバート・デ・ニーロ以来、約三ヶ月ぶりに語るのは、これまた大御所"Clint Eastwood"(クリント・イーストウッド。以後、イーストウッド。)である。日本でも知名度が高い、米国が誇る俳優であり映画監督である。
 その知名度の高さ故に、イーストウッドを知らない人は、恐らくいないだろう。1971年公開の"Dirty Harry"(ダーティー・ハリー)で不動の地位を手に入れ、以後幾多の有名作品に出演、または監督として有名作品を世に送り出している。たとえイーストウッドの名を知らなくても、彼の作品を幾らか並べれば、必ず思い出すであろう。
 その業績には、凄まじいものがある。92年の『許されざるもの』(モーガン・フリーマンとジーン・ハックマンと共演)で初めてアカデミー賞を受賞し、以後アカデミー賞の常連に名を連ねるようになった。2004年の『ミリオンダラーベイビー』では、二度目のアカデミー監督賞を受賞している。
 今では米国映画の看板と化したイーストウッドであるが、昔から高い人気を誇っていたわけではない。実のところ、彼は、以前紹介したチャールズ・ブロンソンと同じく遅咲きの名優である。彼は、陸軍を経て、アルバイトをしながら大学の演劇コースに通った。しかし、デビューした五十年代は、端役ばかりの不遇な時代を送っている。
 58年から放映が始まった米国のTV西部劇で徐々に名を上げ、64年に公開された西部劇の不朽の名作『荒野の用心棒』に出演した頃から、西部劇専門俳優として人気を獲得していく。しかし、彼の人気を確固たるものにしたのは、上述した71年公開の『ダーティーハリー』である。この時、彼は、既に四十代に達していた。
 また、これもブロンソンと同じく、彼は、努力の人でもある。ブロンソンと同年代の彼は、ブロンソンと同じく、所謂イケメン俳優ではなかった。それ故、地道な努力で地位を築き上げてきたのである。『ダーティーハリー』の大ヒットにあっても、慢心せず、自分で立ち上げた製作会社で小粒な作品を築き上げた。
 これはブロンソンと異なり、イーストウッドは、俳優以外の道も開拓していった。俳優業の傍ら、地道に映画を作り続け、ノウハウを磨いた。そして、上述した92年公開の『許されざるもの』で、遂にアカデミー監督賞を受賞するに至ったのである。俳優業に専念し続けたが故に道を失ったブロンソンとの違いとして、よく話される。
 つまるところ、彼は、遅咲きの映画職人といったところであろうか。ブロンソンと同じく、無骨な渋いキャラと演技によって俳優としての人気を得つつ、レベルの高い作品を世に送り出し続ける。老齢にあっても激しいアクションをこなし、また老齢故の人間的魅力でスクリーンを彩る。彼のキャリアだからこそ為せる業、である。
 かような高い実力を誇る故、今のところ、彼の人気に全く翳りは見えない。恐らく、今後も衰えないだろう。低迷した晩年であっても強固な人気を誇り、多くの人によって惜しまれながらこの世を去ったブロンソンと同じように、彼の地位は、揺らがない。
 拙者自身、あのなんとも言えない渋さが、非常に好きである。今後とも、彼の出演・監督作品を楽しみにし続けよう。
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