不肖Tamayan.com駄弁録

「英雄は自分のできる事をした人だ。凡人はできる事をせずに、できもしない事を望む。」byロマン・ロラン

境界線

2006年10月18日 03時35分45秒 | 徒然駄弁-政治編
 過去に幾つかの記事で、大学学部ゼミの卒業旅行の一環で、板門店の休戦協定会議場を訪れたという話をした。かの地で過ごした時間は、たった数時間であり、見学を許可された範囲も狭い。しかし、それでも、色々と考えさせられた。一部は既に過去に記事にしたとはいえ、まだ全てを語りきれていない。というより、今も尚整理出来ていない。そこで、例によって昔話で、しかもあくまで個人的な欲求ではあるが、回想を一つ綴ろうかと思う。
 さて、JSA(Joint Security Area:共同警備区域)とも呼ばれるかの地は、韓国の首都ソウルからバスで二時間強ぐらいの場所にある。ソウル市街を出てしばらくすると、国連軍と韓国軍の作戦区域に入る。作戦区域を進むと、停戦監視団を構成する中立国の施設なども目立ってくる。さらに進むと、警備に立つ韓国兵や米兵の姿が目立つようになり、周囲の光景が対戦車障害や地雷原に埋め尽くされる。
 前に別の記事で書いたように、あまりにも非日常的な光景故に、全くもって実感が沸かなかった。明らかに、そこは戦場だった。その戦場をさらに奥深く進むと、南方限界線にぶつかる。南北朝鮮は、周知の通り、北緯三十八度を中心とするMDL(Military Demarcation Line:軍事境界線*1)によって分断されている。
 このMDLを境に南北それぞれ2kmのところに、二つの線がMDLと平行に伸びている。北朝鮮側の線が北方限界線であり、韓国側の線が南方限界線である。さらに、南北二つの限界線の間、MDLを中心に南北4kmに渡って伸びる帯が、DMZ(Demilitarized Zone:非武装地帯)と呼ばれている。つまり、南方限界線は、韓国側の「最前線」である。
 南北の最前線で挟まれた、朝鮮半島を分断する幅4kmの地雷原の中に、JSAは一つの点として存在している。JSAは、MDLを境に事実上二分割されている。「共同」警備区域とはいえ、MDL北側エリアを北朝鮮が警備し、南側を韓国と国連軍(停戦監視団)が警備している(*2)。そして、休戦協定会議場は、JSAを二分割するMDLの真上に置かれている。
 いよいよ休戦協定会議場に入ると、実に奇妙な感覚に襲われる。MDLに沿って横一列に並ぶ会議場の間は、貼付写真のようなコンクリートの帯で結ばれている。それが、MDLである。何の変哲もないただのコンクリートブロックであるが、言いようのない薄ら寒さを感じた。
 言わずもがな、不法越境は、どこの国でも厳しく処罰される。超える線が敵対する国家間のそれであれば、なおさらであり、命の保障すらない。JSAでも、ツアー客と言えど境界線を跨ぐことは出来ない。数回観光客がMDLを超え、激しい銃撃戦に発展した血生臭い過去がある。つまり、件のコンクリートブロックは、南北の境界線であり、生死の境界線でもある。
 ただ、一つだけ例外がある。休戦協定会議場内では、いとも簡単に越境出来る。無論、会議場の北朝鮮側出入り口には韓国兵が立ち塞がり、外へは出れない。しかし、会議場内では、南北自由に行き来出来る。ちなみに、貼付写真は、会議場内の北朝鮮側領域から撮影している。
 本来足を踏み入れてはならない領域から、超えてはならない一線を眺める。未だに整理出来ておらず、それ故、未だに上手く言葉にならない。たかだか数十人のツアー客で身動きが取れなくなるほど狭い会議場内で境界線を何度も往来しつつ、南北からどことなく感じる殺気に寒気を覚える。他方で、どことなく馬鹿馬鹿しくも思えてくる。
 南北を分かち生死を決めるコンクリート製境界線は、今も尚私に答を与えない。境界線以上の意味はないと言われればそれまでであり、実のところ、私自身かの地へ足を踏み入れるまではそう思っていた。しかし、実際境界線に立った時、途端に物事が複雑になった。それが、リアリティというものなのだろうか。
 何にせよ、あのコンクリートの塊は、明らかに私に何かをさせようとしているように思えて仕方がない。ただ、その答は、未だに見えない。

*1
 日本において、MDLは、一般的に「(北緯)三十八度線」と呼ばれている。しかし、実のところ、MDLは北緯三十八度に沿って伸びているわけではない。MDLは、朝鮮戦争休戦時の南(韓国及び国連)北(北朝鮮及び中国義勇軍)両軍の停止位置を基準に設定されている。つまり、北緯三十八度線付近に設定されているのは事実だが、三十八度線自体がそのままMDLを意味するわけではない。

*2
 ガイド曰く、1960年代前半ぐらいまでは、JSAは字義通りの意味だった。つまり、JSA内のMDL北側エリアでも韓国兵が警備していたし、南側エリアにも北朝鮮兵がいた。しかし、ある事件(たしか、「ポプラの木事件」だったか。)により、JSA内の警備は、現行の体制に変更された。
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