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「アメリカの原理主義」

2006年11月02日 22時35分26秒 | 携帯より
河野博子の「アメリカの原理主義」を読みました。アメリカが右傾化していった過程を、人工妊娠中絶や同性婚の制度についての議論から見ていく。ジャーナリストらしく、議論の主要人物へのインタビューが中心に構成されているため、こうした動きがアメリカ国内でどの程度の広がりを持つのかはイメージしにくい一方で、議論について「肉声」が刻まれているぶん、迫力がある。いずれにしろ、ブッシュ大統領を中心とするアメリカの連邦行政の中枢にも影響を与えていることは間違いないだろう。
同性婚についても、賛否両者が対立し、激しい論戦を展開した様子や否応なしに運動に駆り立てられていった人たちの描写は興味深い。
アメリカではあれかこれかの二者択一が議論のときに要求される。もちろん、個々の立場にはグラデーションがあり、たとえばシビル・ユニオンは認めるが同性婚は必要ないと考える人なども登場するが、おおまかに賛成か反対かの単純な議論に組み込まれてしまう。民主政治だから、その土俵で数の争いをするわけだ。
「同性婚賛成か反対か」「人工妊娠中絶賛成か反対か」「禁欲教育か包括的性教育か」などである。その二者択一の土俵の設定の中でどちらかを選べ、と要求される。両者ともに良し悪しがあるという立場がたいへん取りにくい議論に集約されているわけだ。
その中で、アメリカが少し前には金科玉条のごとく唱えてきた「多様性」すら攻撃の的になっているという。移民に反対し、西洋文明の復権を唱える。
こうして見ると、今の日本の政治は、主権者たる国民による議論はほとんどないまま、アメリカの流れをトップダウンで押しつけられているようにも見える。「郵政民営化、是か否か」という議論以外は、「障害者自立支援法」にしろ、「教育基本法」にしろ、国民の一握りにすぎない当事者の反対はあるものの、国民的な議論にはならない。アメリカならば、たとえば同性婚にしても大学を多く有し、リベラルな層が厚いマサチューセッツでは通るなど、少ないながら「多様性」は確保される。日本は単一民族に近い国であり、地方分権を言いながら、今回の高校の履修逃れにしても、政府が権限を発動しやすい条件がある。そのなかで、社会の多様性に対する寛容さをどうやって確保していくのかを考えなければならない。

本書ではアメリカが取った道のりが良いものか誤ったものかの判断は、慎重に避けられている。ここに取り上げられた論戦のなりゆきや発言は、なるほど宗教国家アメリカならではの在り方をしているに違いない。しかし、日本ではそうした議論が宗教という背骨を欠いた形で、情緒的に行われる。背骨がないぶん、あいまいに世間を背景に判断をする人が増えるはずだ。政治家や政党の勢いやマスコミの論調などに左右されるし、一定の「正義」が一定の範囲で共有されると、その方向だけで話が進む。「世間」の範囲で話がことで、いわゆる「マスゴミ」がのさばりやすい条件もそんなところにあるのかもしれません。
日本とアメリカの条件の違いはあれど、アメリカが通ってきた道と日本の昨今の風潮の動きは、どこか似ているようにも見えます。 日本の風潮を見るにも、本書はヒントを与えてくれるかもしれません。状況に曚い僕では役立たずです。詳しい人の解題を待ちましょう。

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