MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『女王陛下のお気に入り』

2019-03-21 00:56:28 | goo映画レビュー

原題:『The Favourite』
監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:デボラ・ディヴィス/トニー・マクナマラ
撮影:ロビー・ライアン
出演:オリヴィア・コールマン/エマ・ストーン/レイチェル・ワイズ/ニコラス・ホルト
2018年/アイルランド・アメリカ・イギリス

信頼で変わる関係の種類について

 1708年、イングランドがフランスと戦争をしていた頃、アン女王が君主として戦争を遂行させており、側近のマールバラ公爵夫人サラは幼なじみということもあり、絶大な信頼を寄せていたためにサラは夫のジョン・チャーチルを最高司令官にさせ戦争の継続を勧める。
 そこに現れたのがアビゲイル・メイシャムで、家族ぐるみの付き合いだったサラを頼りに最初はメイドとして宮廷に入ったのであるが、痛風で痛む足に塗ったアビゲイルが調合した薬草を気に入ったアン女王はアビゲイルも側室に迎える。
 まるでサラとアビゲイルに奪い合われることを楽しんでいたアン女王なのだが、アビゲイルの巧妙な策略によりサラは乗馬中に気を失って行方不明になっている間にアビゲイルはサミュエル・マシャム大佐と結婚し、確実に宮廷内の地位を確立させる。
 娼館に匿われていたサラは顔に傷を負いながら戻ってきたのであるが、既に宮廷はアビゲイルに支配されており、サラの反撃は却って裏目に出てしまい、最後の望みだったサラからアン女王への手紙はアビゲイルによって破り捨てられるのである。
 ラストシーンはとても印象的なもので、アン女王はアビゲイルが自分の亡くなった子供たちの代わりとして飼っている17羽のウサギを足で踏んでいるところを目撃し、立ったまま自分の足をマッサージさせるとアン女王はアビゲイルの髪の毛を上から鷲づかみにして、アン女王とアビゲイルとウサギたちがオーバーラップするのである。
 この意味深長なシーンは、アン女王と、サラとアビゲイルとのそれぞれの関係を暗示させるもので、最初はアン女王はサラもアビゲイルも対等な関係だと考えていたのだが、実は対等な関係だったのはサラだけで、信用できないアビゲイルとは「上下関係」だったと気がついたのである。


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『ROMA/ローマ』

2019-03-20 00:54:00 | goo映画レビュー

原題:『Roma』
監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:アルフォンソ・キュアロン
撮影:アルフォンソ・キュアロン
出演:ヤリッツァ・アパリシオ/マリーナ・デ・タビラ/ラテン・ラヴァー
2018年/メキシコ・アメリカ

カメラの位置を変えただけでドラマを作る映画監督について

 作品冒頭のシーンは主人公で家政婦のクレオが働いている家族の家の中庭で、敷き詰められている少々大きなタイルが映し出される。掃除をしているクレオがそこに水を撒くと、溜まった水に反射して空が映し出され、そこを右から左に飛行機が横切っていき、本作の雛形が提示されるのである。実際に、映像は部屋にしてもクルマにしても「四角さ」がやたらと目立ち、そのような四角に囲まれてストーリーが展開していき、特に前半はテレビや映画内の出来事が映し出される。
 ところがクレオがボーイフレンドのフェルミンに映画館内で映画を観ている際に、妊娠していることを告げてから様相が変わって来る。例えば、クレオが病院内で新生児室を覗いている時に大地震が起こり、家から外を見ていると火災が起こり、家具を買いに行った店から外を見ると暴動が起こって店内に逃げ込んできた男が銃殺され、家族と一緒に海岸に遊びに行って子供たちが遊んでいる様子を見ていたら、子供たちが酷い日焼けをしてしまうのである。
 ずっと傍観者だったクレオだったが、カメラの位置がクレオの背後から横に変わったとたんに行動を起こす。海岸で溺れそうになっていたペペとソフィを助けるためにクレオが大波を掻き分けて救出するまでをカメラは横からずっと追いかけるのである。カメラの位置を変えただけでこれだけのドラマを撮れる監督はそうそういないのではないだろうか。


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『グリーンブック』

2019-03-19 00:54:47 | goo映画レビュー

原題:『Green Book』
監督:ピーター・ファレリー
脚本:ピーター・ファレリー/ニック・バレロンガ/ブライアン・ヘインズ・クリー
撮影:ショーン・ポーター
出演:ヴィゴ・モーテンセン/ハーシャラ・アリ/リンダ・カーデリーニ/P・J・バーン
2018年/アメリカ

人種問題に隠れていたLGBT問題について

 主人公のトニー・“リップ”・ヴァレロンガはカサブランカ・ナイトクラブで用心棒として働いているのであるが、そもそもこのトニーという男はなかなかの「香具師」で、ある大物の帽子を隠して、クラブのクロークに預けた帽子が無くなったことに激怒したその大物がクラブを閉鎖させたのであり、その後トニーはあたかも自分が見つけた振りをして小銭をせしめたのである。
 やがてトニーがアメリカ中西部のコンサートツアーの運転手を務めるアフリカ系アメリカ人ピアニストであるドン・シャーリーもただ黒人という以上に変わった人物で、大学で音楽の他に心理学の博士号を持っているほど優秀なのだが、1952年の暮れに結婚していたが離婚してトニーと出会った頃はカーネギーホールの上に一人で暮らしている上に、どうやらバイセクシャルなのである。
 香具師だったトニーはその後プロの俳優として活躍するようになり、ドンもミュージシャンとして一流なのだから、これだけお互い才能があるならば人種問題などは問題にならない尊敬をお互い得られるという典型的な物語であろう。


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『お米とおっぱい。』

2019-03-18 00:51:12 | goo映画レビュー

原題:『お米とおっぱい。』
監督:上田慎一郎
脚本:上田慎一郎
撮影:池浦新悟
出演:高木公佑/鐘築健二/大塩武/山口友和/中村だいぞう/リーマン・F・近藤/おくゆみ
2011年/日本

ブラックコーヒーという「美意識」について

 10万円の報酬を目的にとある集会所に集まった4人の男たちを前に大学で心理学を教えている男が議長となって「明日この世からどちらかが消えるとしたら、どちらを残すべきか?」という命題で「お米かおっぱい」のどちらかを全員一致になるまで議論することになる。
 しかしそもそもお米とおっぱいというのは食欲と性欲が違うように同じ土俵で議論できるものではないのだが、それは参加者の一人が指摘するように織り込み済みである。そうなるとお米とおっぱいは別の意味があるはずである。
 実際に、やがて敵対するようになるのは農家の出身で画家のたまごとして雑誌のイラストなどを描いている若者と、コンビニで働きながら今すぐにでもお金を必要としている高齢の店員であり、それは美を追求する者と腹を満たしたい者の違いなのである。議論に煮詰まった店員が辛子明太子のおにぎりを粗末に扱ったり、若者が自分が描いている絵の画用紙を折って紙飛行機にして飛ばすなど葛藤も丁寧に描かれている。
 「美」を巡っては他の参加者にもこだわりがあり、一人は服装倒錯者であり、もう一人のアイドル好きの英語の通訳者はかつらをかぶっている。最終的には「どっちも大好き」という結論で全員一致になる。
 ラストで議長だった男がコーヒーの話をする。若い頃は砂糖をたくさん入れて飲んでいたのに、いつの間にかブラックコーヒーを飲んでいたというエピソードである。つまりいつから人は腹を満たすことから生活に「美意識」を取り入れるのかというのが本作のテーマなのである。
 現在、学力を下げているものとして「マンガ、大衆雑誌、テレビ」を挙げているのだが、インターネットが抜けているのは、設定されている時代の問題なのだろうか。


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『サムライマラソン』

2019-03-17 00:58:52 | goo映画レビュー

原題:『サムライマラソン』
監督:バーナード・ローズ
脚本:バーナード・ローズ/斉藤ひろし/山岸きくみ
撮影:石坂拓郎
出演:佐藤健/小松菜奈/森山未來/染谷将太/青木崇高/竹中直人/門脇麦/豊川悦司/長谷川博己
2019年/日本

一貫して日本がアメリカと張り合えた競技について

 本作は1855年のペリー提督の来航から端を発し、幕府の命令で安中藩に「忍び」として正体を隠して暮らしていた主人公の唐沢甚内が安中藩主の板倉勝明が外国からの脅威に備え、藩士たちの心身を鍛えるために十五里の山道を走らせる企画「遠足(とおあし)」を板倉の謀反と誤って幕府に報告したことから起こる様々な諍いが描かれている。
 前半の時代劇から、幕府から送られてきた刺客たちがカウボーイのような衣装で現れてからは、「日本人」対「アメリカ人」のように見える。そして江戸時代の物語が終わった後に、現代の群馬県の安中市の主催による「安政遠足 侍マラソン」の様子が映され、そこに円谷幸吉、君原健二、谷口浩美、谷口浩美、有森裕子、高橋尚子などの写真がインサートされるのである。この演出意図を勘案するならば、開国以来、日本はアメリカの圧倒的な力に支配され、「遠足(とおあし)」も「遠足(えんそく)」と言い換えられて骨抜きにされながらも、マラソンだけは唯一当初からアメリカと張り合えたものだったという事実ではないだろうか。


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『フォルトゥナの瞳』

2019-03-16 00:40:30 | goo映画レビュー

原題:『フォルトゥナの瞳』
監督:三木孝浩
脚本:三木孝浩/坂口理子
撮影:山田康介
出演:神木隆之介/有村架純/志尊淳/DAIGO/松井愛莉/北村有起哉/斉藤由貴/時任三郎
2019年/日本

SF作品であっても無理強いな「ドラマ」について

 近年まれに見る駄作だと思う。ツッコミどころは満載なのだが、基本的に無理に「ドラマ」を作っている感が拭えない。
 主人公の木山慎一郎は死期が近づいている人が透けて見える「フォルトゥナの瞳」を持っているのであるが、その「死期」が2、3時間後なのか2、3日後なのかはっきりしない。極論を言うならば人はいつか死ぬのだから「死期」の定義が曖昧だと全員透けて見えてしまうのではないのか。
 木山は恋人の桐生葵や幼稚園児たちが乗車する朝7時半発の列車が事故に遭遇する可能性を見出し、葵には沖縄旅行へ一緒に行くことで、幼稚園児たちは幼稚園に電話をかけて列車に乗ることを阻止しようと試みるも失敗してしまい、幼稚園から通報を受けた警察に追われる立場になってしまい、逃走中のタクシー内で奪った発煙筒をたいて線路内に下りて駅に到着する直前の列車の前に立ちふさがることで事故を事前に防止することには成功するのであるが、冷静に考えれば、木山はその列車に一緒に乗って事故が起こる寸前に車内の非常用停止ボタンを押せばいいだけの話しで大袈裟に立ち回る必要はないのである。その後の、桐生葵のモノローグも謎で木山に生きて欲しかったのなら何故助けようとしなかったのだろうか。
 脚本が酷いのか原作が酷いのか分からないが、演出も酷くて、例えば、木山に呼ばれてカフェを訪れた葵の体が透けていないことを確認すると、木山は何も言わずにカフェを出ていってしまうのであるが、外で立ちすくんでいる木山を葵が目で追っていないのは不自然であろう。三木孝浩の青春映画はかなり評価しているのだが、以上のことから本作は救いようのない駄作としか言いようがない。


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『翔んで埼玉』

2019-03-15 00:57:21 | goo映画レビュー

原題:『翔んで埼玉』
監督:武内英樹
脚本:徳永友一
撮影:谷川創平
出演:二階堂ふみ/GACKT/伊勢谷友介/ブラザートム/麻生久美子/島崎遥香/中尾彬
2019年/日本

画面の色彩の「白っぽさ」の原因について

 『あの日のオルガン』(平松恵美子監督 2019年)同様に本作は埼玉県を主な舞台としているが、当然実話ではない。
 コメディー作品としては優れているのだが、どうも気になるのが「画質」である。例えば、同じフジテレビが製作に関わっている『マスカレード・ホテル』(鈴木雅之監督 2019年)の色彩の艶やかさと比較するならば、本作の露光過多の白っぽい画面をどのように捉えればいいのだろうか? それが演出意図だとするのならば「伝説パート」と「現代パート」の露出比を区分して撮影するべきで、色彩を艶やかにすることで「伝説パート」をよりまがい物に見せることができたように思うのである。あるいはそれほど期待されていなかった作品に課せられた低予算によるものなのか、あるいは東宝と東映という映画会社の作風の違いによるものなのか興味が尽きない。


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『きばいやんせ!私』

2019-03-14 00:56:28 | goo映画レビュー

原題:『きばいやんせ!私』
監督:武正晴
脚本:足立紳/山口智之
撮影:西村博光
出演:夏帆/太賀/岡山天音/坂田聡/眼鏡太郎/鶴見辰吾/徳井優/愛華みれ/榎木孝明/伊吹吾郎
2018年/日本

タイトル通りに声をかけたくなる作品について

 テレビ局の花形アナウンサーだった児島貴子は上司との不倫を週刊誌にすっぱ抜かれたために情報番組のメインキャスターを降板させられ、25歳にしてディレクターとカメラマンの3人でカミツキガメやオオサンショウウオなど巷で話題になっている映像を撮ってくるという「閑職」に追いやられてしまったのであるが、浮気相手は何事もなかったかのようにキャリアを積み上げている。
 そんな時に、画家だった父親に連れられて幼少の頃の一時期住んでいた鹿児島県南大隅町の「佐多の御崎祭り」の取材をすることになり、最初はいやいややっていたのであるが、だんだんと地元愛がよみがえり、自分の仕事に真剣に取り組むようになるのであるが、これはいわゆる「自分探し」の物語であろう。
 主人公の児島貴子のエキセントリックさに共感しにくいのではあるが、貴子が自転車の後ろに乗せられて町内を駆けまわるシーンと、貴子の幼少の頃に父親とたどったシーンがオーバーラップするシーンは魅力的だし、クライマックスで描かれる2018年2月に催された「御崎祭り」のセミドキュメンタリー的な演出は見応えがあると思う。
 しかし女人禁制だった祭りに貴子が途中で参加してしまう伏線が回収されることなくスル―されてしまうし、鶴見辰吾が演じた鏑木のキャラクターが活きていないし、元気を取り戻して「閑職」に励む貴子を描くラストのオチも雑すぎるのではないだろうか。


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『あの日のオルガン』

2019-03-13 00:56:01 | goo映画レビュー

原題:『あの日のオルガン』
監督:平松恵美子
脚本:平松恵美子
撮影:近森眞史
出演:戸田恵梨香/大原櫻子/佐久間由衣/三浦透子/堀田真由/福地桃子/田中直樹/橋爪功
2018年/日本

実話を描くことで精一杯の作品について

 東京から埼玉県へ疎開した戸越保育所を巡る実話を基にした物語なのだが、例えば、『月光の夏』(神山征二郎監督 1993年)も同様に実話を基にしたもので、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」が重要なモチーフになっているのだが、本作においてオルガンがタイトルに冠するほど重要な要素になってはいないし、仕方がないことだが主人公を演じた大原櫻子が歌う「この道」は最近公開された『この道』(佐々部清監督 2019年)と被ってしまっており、やはり「本家」の方が強い。
 あるいはストーリーの細かな点を見るならば、例えば、主人公の野々宮光枝が行方不明になったと児童たちが泣いて帰ってくるのであるが、枯葉に埋められて疲れも手伝って眠り込んでしまった光枝を枯葉で覆ったのは児童たちなのだから矛盾しているのである。
 「疎開保育園」の実話を知る機会にはなるものの、映画としてのスリリングさには欠けているのではないだろうか。


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『洗骨』

2019-03-12 00:47:00 | goo映画レビュー

原題:『洗骨』
監督:照屋年之
脚本:照屋年之
撮影:今井孝博
出演:奥田瑛二/筒井道隆/水崎綾女/大島蓉子/坂本あきら/鈴木Q太郎/福田加奈子/筒井真理子
2018年/日本

特異な風習を描くことで精一杯の作品について

 冒頭のシーンは沖縄県の離島である粟国島・粟国村の新城家で執り行われている葬儀である。新城信綱の妻の恵美子が亡くなり、東京で働く息子の剛や名古屋で美容師をしている優子など親戚が集まっているのだが、それから4年後、「洗骨」という風習を行なうために再び家族が集うのであるが、妻が亡くなった後、信綱は酒浸りとなり部屋もろくに掃除をしていない状態なのである。しかし4年も経過している中で、信綱はどのように生活していたのかよく分からない。息子の剛も唐突に離婚したことを告げるのであるが、その理由も具体的に描かれてはおらず、優子が臨月で帰郷してきたことが唯一の具体的なサブエピソードで、全体的なストーリーは単調である。
 例えば、冒頭で信綱が持つグラス越しに家に入って来る剛が映るカメラワークなどは良かったのだが、その後目を見張るようなカットはラストくらいで、ギャグは全体的にスベリ気味で「洗骨」という儀式を具体的に描いたところが唯一本作が制作された意義であろう。
 因みに韓国にも「洗骨葬」というものがあって、これは三年後に行われるらしい(『朝鮮民族を読み解く』 古田博司著 ちくま学芸文庫 2005.3.10 p.90)のだが、その顛末の方が本作よりも面白いと思う。


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