MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

事件を“風化”させないために

2010-06-23 00:04:05 | Weblog

マツダ工場で車暴走、次々はね1人死亡 「くび恨み」(朝日新聞) - goo ニュース

 確か秋葉原通り魔事件が起きた日は2008年6月8日だったから、2年経ってから

また同様の事件が起きたことになる。秋葉原通り魔事件の容疑者は加藤智大という

25歳の関東自動車工場で勤務していた男であり、今回の容疑者はマツダの工場で

働いていた42歳の引寺利明であり、共に期間従業員である。秋葉原通り魔事件に

関しては当時様々な識者が意見を述べていてムック本まで出版されていたが、結局

そのような教訓が生かされる事はないまま、まるで逆の意味で事件を風化させない

かのように2年後の同じ6月に規模を縮小して事件が起こってしまった。でも恐らく

この事件に関してはムック本が出版されるような議論にはならないだろう。容疑者は

若くはないし、被害者の数も少ないし、場所も地方であり、携帯サイトの掲示板に

容疑者が書き込みをしている気配はないし、要するに“物語”になる素材が不足

しているために議論のし甲斐がないのである。そうなるとこのような事件は社会の

構造がもたらすようなものではなくあくまでも個人的な問題に帰結してしまうのだが、

そのことを識者と呼ばれている人がどのように考えているのか興味深い。ここで

言う“個人的”とは容疑者のみならず識者のことも指すのであるが。


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『ザ・ウォーカー』 0点

2010-06-22 00:34:10 | goo映画レビュー

ザ・ウォーカー

2010年/アメリカ

ネタバレ

‘ザ’という暗示

総合☆☆☆☆☆ 0

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 本にまつわる映画としてフランソワ・トリュフォー監督の『華氏451』(1966年)やジャン=ジャック・アノー監督の『薔薇の名前』(1986年)などがある。両作品ともに決して出来は悪くはないのであるが、傑作とはいえない。つまりそれほど映画で本を扱うことは難しいのではあるが、いくらなんでも『ザ・ウォーカー』の物語展開は酷すぎる。
 大規模な戦争で文明が崩壊した後の世界でイーライが西に向かって本を運んでいるのである。既に歩き続けて30年経っているらしい。いくら徒歩でも30年歩き続ければ地球を一周してしまいそうなのであるが、それはともかく問題なのはその本が聖書ということである。世界一のベストセラーである聖書ならばあらゆる本がなくなっても一番最後まで残るはずなのだが、何故かイーライしか所有しておらず、彼が持っている聖書を巡って争いが起こるというストーリーは受け入れにくい。表紙に‘BIBLE’とはっきり書かれているのであるが、表紙は変えて持ち歩かないと危険である。
 イーライがソラーラと老夫婦(彼らは何故か Anita Ward の「Ring My Bell」を聴いている)の家にいた時にカーネギーたちが襲ってくるのであるが、イーライが本としてカーネギーの方へ2階から投げたものが爆弾だと分かった時に何故イーライの方へ投げ返さなかったのか不自然であり、盲目のイーライが短時間でテレビ受像機の中に本を隠すことができたこともありえない。
 物語が‘壊れている’ことを一概に非難するつもりはないのであるが、物語を敢えて壊すのならば敢えて壊す理由がなければならないと思う。しかし『ザ・ウォーカー』のはその必然性が感じられないために失敗と見做さざるをえない。
 先日、モーガン・フリーマンとアントニオ・バンデラスが主演していた『ザ・エッグ』というポンコツ映画を観たばかりなのだが、今回もデンゼル・ワシントンとゲイリー・オールドマンが主演ということで名前につられて期待して懲りもせずにひょこひょこ観に行った私がバカだったというのならばその通りなのであろう。これからはタイトルに‘ザ’がつく作品には細心の注意を払いたいと思う。


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きちんとたちあがれ新党日本

2010-06-22 00:02:54 | Weblog

参院選、新党日本は擁立見送り 国民新候補を支援(共同通信) - goo ニュース

 2010年4月に結成された「たちあがれ日本」が略称を新党日本と同じ「日本」で

届け出て総務省が受理した時に新党日本代表の田中康夫に大いに同情したもの

だが、この記事を読んで「新党日本の国会議員は現在、衆院議員の田中氏1人」

と書かれてあり、確か前回の衆議院選挙で比例で平山誠が当選しているのに何故

1人しか国会議員がいないのか不思議に思ったのだが、何と平山誠は新党日本に

入っていないのである。比例で当選しているのに入らなくても構わないところが理解

しにくい上に、新党日本は余りにも離合集散が激しすぎてこれでは議席を与えても

結局どうなるのか分からないから票を入れることはありえないから、政党名を変えた

方が分かりやすくなると思う。アイロニーを込めて。


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『ばかのハコ船』 100点

2010-06-21 19:18:14 | goo映画レビュー

ばかのハコ船

2002年/日本

ネタバレ

ゲームの再開

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 (『狂い咲きサンダーロード』のレビューからの続き)‘ゲームの規則’という観点からここまでレビューしてきたのだが、ここにきて困ったことになった。『ばかのハコ船』には全くゲームが描かれていないからである。しかしよく考えてみれば『処刑の部屋』が制作された1956年は朝鮮戦争特需と言われた経済の高度成長期に入る頃で、『狂い咲きサンダーロード』が制作された1980年は‘バブル前夜’である。つまりゲームというものは元手があるからできるものであって、2002年という日本経済が停滞している中で撮られた『ばかのハコ船』の主人公である酒井大輔と島田久子は500万円の借金をして「あかじる」という健康飲料を造ったにもかかわらず東京では売れずに、親類縁者のコネを使って売るために酒井の田舎に帰ってくるという後がない苦境に陥っている。だからゲームらしきものと言えば2人が乗る、他人を必要としない一輪車なのである。
 しかしとにかくゲームが存在しないので他の2作品の主人公たちのような元気が酒井大輔にはない。‘ゲームの規則’がなければ必然的に主人公の生き方は刹那的になってしまう。なにしろ酒井も島田も「あかじる」をどのようにして売ればいいのか全く何の工夫をすることもなく、結局全てをある家族に全てただであげてしまうのだから。
 その帰り道、酒井と島田が、蓋が開いていたマンホールに落ちてしまった後のラストシーンが分かり難いのだが、2人にとって2つの選択が同時に描かれていたように見えた。1つは地元で新しい仕事を得て子どもを授かった2人が酒井の両親と一緒に仲良くピクニックをしているシーンで、もう1つは東京に住んでいる酒井の弟が銀行からお金を下ろして銀行から出てくると、これから銀行強盗をするために頭にパンティーストッキングを被っている酒井と島田に遭遇するシーンである。最後でようやく酒井と島田は‘ゲームの規則’を破ろうとするのであるが、2002年の作品は基本的に元気も先立つ物もないから、他の2作品においてはメインで描かれていた‘ゲームの規則’の逸脱を描こうとはしない。
 以上がアレクサンダー・ツァールテン(Alexander Zahlten)氏が選んでアテネ・フランセ文化センターで6月18日と19日に上映された3作品である。3作品とも私には初見であり、映画に関する相変らずの自分の知識の貧困さにがっかりしてしまった。


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情報の処理の仕方

2010-06-21 00:50:13 | Weblog

「ケータイ小説」を読んだことがあるユーザー、初めて3割台に(インターネットコム) - goo ニュース

 私は古い世代の人間のせいなのか“ケータイ小説”というものを読んだことがない。

それは携帯電話やパソコンで読んだ事がないというのみならず、書籍化されたもの

も含めて読んだことがない。しかし最近ではアマゾン・キンドルやiPadなどで既に

書籍化されているものを端末で読む逆転現象も起こっているために“ケータイ小説”

という概念も変わりつつある。紙媒体ではないためにかさばらないなどの便利さは

侮れないのではあるが、どうしても電子端末で読むものはあくまでも情報の収集と

いう感覚が抜け切れない。メモなど直に書き込めるなど紙媒体だからできることも

たくさんあるような気がする。どのようにして私たちが大量の情報を有益に処理する

ようになるのかが、今後の私たちに課された問題だと思う。


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変わらない傲慢さ

2010-06-20 01:08:59 | Weblog

「NHKは必要」85% 5年前から回復 NHK調査(朝日新聞) - goo ニュース

 「NHKは必要」と考える人の割合が85%に達したという調査は本当の信用できる

ものなのだろうか? この結果を発表した機関がNHK放送文化研究所という点が

怪しい。私などは大河ドラマも朝の連ドラも年末のNHK紅白歌合戦も見ないので

NHKがなくなっても全く困らない。たまにNHKを見るとしてもそれはスポーツなど

NHKが直接制作にかかわっていないものに限る。だから私はNHKが映らないテレビ

が欲しいのである。NHKが映らなければ受信料を払わなくて済むからである。

17日の番組で女性アナウンサーが、衛星第1で19日に生中継する日本対オランダ

戦を告知する際に「コマーシャルはありませんからね」と発言するような相変らずの

傲慢さがとにかくNHKが好きになれない原因なのである。コマーシャルがない理由が

まるで自分の功績かのような言い草で国民が払う受信料のおかげである事を完全

に失念しているのである。


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『狂い咲きサンダーロード』 100点

2010-06-20 00:48:51 | goo映画レビュー

狂い咲きサンダーロード

1980年/日本

ネタバレ

魅惑のゲーム

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 (『処刑の部屋』のレビューからの続き)‘ゲームの規則’というキーワードを使って『狂い咲きサンダーロード』も考察してみたい。
 主人公である仁も『処刑の部屋』の主人公である克己のように‘ゲームの規則’に従っていられない性格である。しかし1956年に公開されている『処刑の部屋』と違い、『狂い咲きサンダーロード』が公開される1980年になると様々な魅力的な‘ゲーム’があるため、暴走族‘魔墓呂死’のリーダーだった健は暴走族の活動を自粛して付き合っている女性と幸せな日々を過ごすことにする。最初の2人の会話はまるで少女マンガのように字幕で描かれるし、2人で‘人生ゲーム’をするシーンもある。
 そのような甘さに我慢がならない特攻隊長の仁は新しいリーダーになるのであるが、彼が夢中になっているバイクでの暴走も1956年頃にはごく少数の裕福な家庭の子息にしかできなかった‘ゲーム’である。
 そのような仁のグループに興味を持った人物が暴走族‘魔墓呂死’の元リーダーの剛で、他の暴走族に殺されかけた仁たちを助けて、彼の極右団体に引き入れて右翼活動や同性愛までも教える。これらも‘ゲーム’であるのだが、仁と仲間たちは嫌気が差して脱退する。しかしチェーンソーで襲撃されて仲間の1人は‘植物人間’にされて仁も手足を負傷してバイクが乗れない体にされてしまう。
 バイクで暴走するという唯一の‘ゲーム’を奪われた仁は薬物中毒の少年の小太郎とマッドボンバーに武器を調達してもらい、剛が率いる連合軍と死闘を演じて‘ゲーム’に勝利する。ラストは仁がバイクに乗るのであるが、手足を負傷している仁はブレーキをかけることができないため小太郎に見送られながら一人で‘最後’の暴走に繰り出すことになる。
 もはやこの作品には『処刑の部屋』で描かれたような‘ゲームの規則’に関するアイロニーはない。仁も含めて全員が様々な魅惑の‘ゲーム’に魅了されてしまっているところが1980年という‘バブル前夜’の特徴である。小太郎と仁の顔がそっくりな理由はそのような‘夢’が受け継がれていくという暗示だったのだと思うが、そうならなかったことは何故か『ばかのハコ船』のレビューで書かれることになるだろう。
 小太郎が注射器を腕に打っているシーンがぼかされている理由が分からなかったが、使用されている音楽はどれも素晴しかった。


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生きた化石

2010-06-19 01:16:21 | Weblog

張本勲さんと対立?江川紹子さん出演見合わせ(読売新聞) - goo ニュース

張本勲がプロ野球の楽天、岩隈久志投手の途中降板について「喝ッ!」と一喝した

後に「最後までマウンドを守るのがエース」などと精神論を説き、これに対し、江川

紹子が「えーっ」「途中降板もありなのでは?」などと反論したことは間違っていない

はずなのだが、何故か江川の方まで番組“降板”させられるのはギャグなのか?

「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」と口癖にように言っていたのは確か

TBSのテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演していたえなりかずきだったと思う

が、何でも精神論で片付けてしまう時代はとうの昔に終わっているのに何故いまだに

偉そうに張本や関口宏などが番組を仕切っているのか理解に苦しむ。


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『処刑の部屋』 100点

2010-06-19 00:49:05 | goo映画レビュー

処刑の部屋

1956年/日本

ネタバレ

ゲームの規則からの逸脱

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 冒頭から六大学野球の試合に声援を送っている観客たちの様子で始まるように、この作品は‘ゲームの規則’に関する考察である。ドイツの社会学者であるマックス・ヴェーバーの理論が引き合いに出されているように、社会的現象や集団の行為によって人々は社会の‘規則’を学んでいく。しかしそのような規則に従っているだけでは人生は面白くなくなると思っている人物がこの作品の主人公である大学生の島田克己である。克己はうだつが上がらないながらも真面目に働いている銀行員の父親を疎ましく思っている。仲間の伊藤や良治を誘ってダンスパーティーを開いて金儲けをし、さらに他大学の学生たちと派手に喧嘩をしたりするのである。そのうちに卒業間近になり就職先を決めなければならない頃になるとバカなことをしていられないと仲間たちは考えるようになるが、克己はそのような考え方に納得できない。しかし吉村の好きな女子学生である顕子を襲うと克己が吉村に言っても吉村は何も行動を起こさない。克己が顕子を襲っても、顕子は克己を訴えたりせずに、逆に交際するようになってしまう。ダンスパーティーで大儲けした良治を襲うように他大学の竹島にけしかけるのであるが、良治は竹島と争うことなく素直に言われた金額を払ってしまう。克己の担任の教授は克己にいきなり殴られても何もしてこない。
 克己が何をしようとも‘ゲームの規則’は遵守されたままであるため、ついに克己は竹島たちがいるアジトに乗り込んで良治から奪った金を全部返せと暴論を吐いて‘ゲームの規則’を壊そうとする。しかし誰もなかなか本気で克己を殴ろうとはしなかったのであるが、「女なんか‘恋愛ごっこ’ばかりしたがる」という克己の言葉に激怒した彼の元恋人であった顕子によってナイフで刺されてしまう。克己は刺されて出血している脚を引きずりながら、みんな逃げてしまった後のアジトから一人で這って出て行くのであるが、このラストシーンが冒頭の克己の父親の胃潰瘍を患って腹部を手で押さえているシーンに重なる。つまり人生において‘ゲームの規則’通りに真面目に生きていても‘ゲームの規則’を逸脱して生きていても‘致命傷’を負う点においては変わらないというアイロニーが示されるのである。(このレビューは何故か『狂い咲きサンダーロード』に続く)


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新たな賭博

2010-06-18 08:12:44 | Weblog

大嶽親方、賭博へのかかわり認める 警視庁が事情聴取(朝日新聞) - goo ニュース

 日本相撲協会の調査に野球賭博などをしていたと認めた65人の力士のしこ名は

明かされないまま処分も厳重注意にとどめることにしているが、日本相撲協会の

代わりにこのようの週刊新潮が毎週名前を公表するたびに警察庁や文部科学省が

動いていたのでは切りがないどころか、本当に別の意味で国の認可を得ている

“暴力団”というイメージが根付いてしまうだろうし、暴力団との関係断絶に取り組む

といっても相撲界が“暴力団”である以上、関係の断絶もなにもない。こんなことを

続けていては来週は誰が警察庁に事情聴取されるのかという“事情聴取賭博”を

始めてしまう力士が出てしまい、収拾がつかなくなるだろう。


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