MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ハラがコレなんで』 80点

2012-01-23 23:43:34 | goo映画レビュー

ハラがコレなんで

2011年/日本

ネタバレ

難解な‘粋’の精神

総合★★★★☆ 80

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 再び、『マイウェイ 12,000キロの真実』(カン・ジェギュ監督 2011年)と比較考察してみたい。主人公の長谷川辰雄が全く共感出来ないキャラクターだったように、本作の主人公である原光子もなかなか共感しづらいキャラクターであるが、この2人に対する共感のしづらさは似て非なるものである。前者は既に書いたように演出上の問題であるのに対して、後者は確信犯だからである。
 それは作品冒頭で、光子の隣に引っ越してきた女性に対する光子の態度から想像出来る。それぞれの玄関先で遭遇した際に、光子は自分の沢庵を相手に勧めるのであるが断られてしまう。その後、光子は勝手に相手の部屋に入って再び沢庵を勧めるのであるが、断られるだけではなく相手を怒らせてしまう。ここでポイントとなるところは光子の相手に対する態度である。光子は全く親しくなろうという素振りを見せない。ただ何かの縁でたまたま自分の隣に越してきた女性のために出来ることがあれば何でもしたいという思いと、もしかしたら恩を受けることを恥ずかしがっているのかもしれないという予測に基づく‘一押し’と、そのような思いを断られても、最初から自分も過多に親切にするつもりは無かったように見せて、出来るだけ相手の気に障らないようにする‘粋’の精神で行動するだけである。
 そのような‘粋’の精神は幼少の頃に両親と暮らしていた長屋の大家である清から受け継いでいる。清も大家でありながらぶっきらぼうな態度で、親切心を住人たちに押しつけることはない。長屋の下には不発弾が埋まっていると吹聴して、生活に余裕が出てきたらいつでも出て行けるような口実を住人たちに与えていたため、雲の流れに誘われて久しぶりに光子が訪れた時には、陽一と彼の叔父である次郎以外の住人は長屋を引き払っていた。
 光子の一期一会をベースにした‘粋’の精神はなかなか理解されにくい。目の前に現れる問題を解決しようとし、他のことをかまい始めると、それまでのことが疎かになってしまい、上手くいかないと昼寝をしてしまうために、運任せ(=雲任せ)のいい加減な人間に見えてしまうのであるが、あくまでも親切心を相手に押しつけないようにする光子の態度は徹底しており、それはこれから生まれてこようとする自分の子供に対しても適用され、生まれてくるまではお腹の中にいる赤ん坊も放ったらかしで、生まれた後に考えようという有り様で、‘身内’ということで区別することはない。
 ‘粋’の精神を描こうとするとアキ・カウリスマキ監督のような作風になるところが興味深く、このような共感されにくいキャラクターを敢えて主人公に据えた石井裕也監督を「粋だね!」と評価したい。


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