MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『青いパパイヤの香り』 80点

2012-06-25 23:44:49 | goo映画レビュー

青いパパイヤの香り

1993年/フランス=ベトナム

ネタバレ

男女の微妙な‘構図’について

総合★★★★☆ 80

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 本作は冒頭のシーンによって観客に観方を示唆している。家事手伝いの使用人として雇われた先の家を探している、主人公で10歳の少女のムイが画面奥の左から姿をみせて、少しずつ正面に近づいてくる。彼女が歩いている通りが「ファン・チャウ・トアン通り」であることが明かされ、ムイは雇われた先の家の扉をノックする。カットが変わりムイが家に通される室内はドリーによる長い移動撮影で描かれるのであるが、このように本作は奥行きと横長を存分に使い、さらに次男で中学生のラムが指で戯れる蟻のアップや、あるいはムイが指で戯れるパパイヤの種のアップなどの‘構図’によって微妙な人間関係を描くことになる。
 クライマックスは10年後、不況でムイが隙を出され、長男のチェンの友人で新進作曲家のクェンの家で働くことになった時である。クェンのベッドを整えていた際に、枕の下から転がり出てきた口紅をムイが鏡を見ながら自分の唇にさしている。視線を感じてムイが振り向くと、奥からクェンが見ていた。慌ててムイは家の中に隠れ、クェンが彼女の後を追う。ここで不可思議なシーンが現れる。開いた扉の横に隠れているムイの真横にクェンが立っているように見えるのであるが、お互い気がつかない。やがてムイがクェンの前に飛び出してきて見つかることになるのであるが、それまで窓などを利用して正確に奥行きを描いてきたにも関わらず、ここで奥行きの正確さが崩れてしまうということは、演出ミスというよりも、お互いに好意を持っていながら気持ちを表に出さないムイとクェンの微妙な‘立ち位置’を表していると見做すべきであろう。クェンの髪の毛を触れるほどそばに居ることが出来たクェンの恋人はいち早く2人の関係に気づき去ってしまう。このように物語ることを極力排して流麗なカメラワークで描かれるものこそ映画と呼ばれなければならない。


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