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天地人「義の戦士たち」

2009-05-03 | ドラマ
天地人「義の戦士たち」

1582年4月。
越中、魚津城は織田の軍勢に包囲されてました。
柴田勝家からの降伏を撥ね退け、景勝の援軍を待つ、吉江と安部。
景勝が魚津へ向かえば、信濃から織田勢が春日山に攻めてきます。
魚津が落ちれば、同じく北陸から雪崩の如く織田勢が攻めてきます…。
越後の背後も謀反が起きてるようだし、上野からは滝川一益が攻めて来るようだし…。
四方から攻められる越後。

魚津城は二の丸まで落とされ、本丸を残すのみとなりました。
粥ではなく、おにぎりをガッついてたので、兵糧はあるみたい…。
みんな戦死したからお米が余ったのか…。

景勝、兼続は魚津を救うため、出陣しました。
兵の数は5千。
魚津を包囲している織田勢は1万5千。
三倍の敵に立ち向かえるのでしょうか?

一方、信長は秀吉の要請を受けて毛利攻めに、援軍として向かうことにしました。
光秀を先に向かわせて、おそらく、毛利の次は九州も一気に攻めるつもりだったのでは?
光秀は、秀吉の下で働くことに、えらくプライドを傷つけられたようです。

景勝が、魚津城の四キロ先に辿り着いた時、信濃からは森が、上野からは滝川が越後へ攻めてきました。
兼続の策は、信濃の織田勢に越後に攻め込ませ、それを景勝軍が殲滅すること。
四キロ先まで来たのに、魚津は見捨てる作戦でした。
峠で滝川一益を食い止めるている間に、信濃から来た織田勢を殲滅し、その後、柴田勝家を春日山城で迎え撃つ作戦だったのでしょうか…。
…どの道、春日山城は敵に囲まれたような気がするが…。

織田の囲みをすり抜けて魚津城の本丸に辿り着いた兼続は、作戦を打ち明け、魚津城に立て篭もる家臣達に、降伏を勧めるのでした。
一人でも多く生きて帰ってもらいたい、という兼続の気持ちは伝わるも、吉江と安部らは死を覚悟しました。
兼続を逃がすため、最後の一戦かと思いきや、あっさりと景勝の陣に戻った兼続。
…というか、まだ居たのか景勝。
織田との戦はスピードが命、さっさと越後に戻るのだ景勝。
景勝「信長風情などに負けぬ…。」
魚津城に残った家臣に降伏を勧めるなら、景勝も信長に降伏した方が越後を戦場とせず、民のためになるんじゃね?

本能寺の変まで、あと5日。

次週、本能寺の変

結構、魚津で引っ張る…。
そして、謙信と信長の再会…。

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