幸せに暮らしていた一家がアウシュビッツの収容所に入り、母と妹は焼却炉へ、少年と父は強制労働収容所へと送られた。
父は、ひからびたようになり汚物まみれの床で息絶えた。
1945年、生き残った少年は解放される。
15歳になった少年は、家族の者が煙とかした焼却炉の煙突を見上げつぶやいた。
「お父さん、お母さん、みんな、心配しないでください」
「ぼくは幸福になることはありませんから。けっしてしあわせになったりしませんから」
この思いは、やがて大陸を超え、ひとりの若者の心にこだまする。
アウシュビッツもホロコーストも戦争も知らないひとりの若者は「幸せにならない」生き方を自らの生き方として過疎の町に根を下ろす。
……というような衝撃的な導入部から語られるべてるの家のドキュメントである。
北海道にある精神障害者が共同生活を営むべてるの家。
そこには、妄想に苦しみながら生きる人たちが、降りていく生き方を実践していく場所だ。
その苦しみ方が尋常ではない。
ある患者が、他の患者が自分を殺そうとしているという妄想にとりつかれメッタ刺しにして殺してしまう。
大挙して押し寄せるマスコミ、警察や行政からの指導。
それでもべてるの家の営みは乱れることがない。
しあわせにならない、しあわせになろうとしない生き方というのは、どういうことなのか。
普通の書物に飽きたら、こういう本を読むのも一考でしょう。
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