日本協議会理事長 多久善郎 ブログ

日本協議会が推進する「日本会議の国民運動」と「青少年育成の教育事業」、熊本・東京・全国を巡る中での体験と思索を発信。

黒石原に魂を留めた棚橋眞作大佐

2009-03-28 14:00:24 | 【連載】 日本の誇り復活 その戦ひと精神
【連載】「日本の誇り」復活―その戦ひと精神(四十一回・最終回)

歴史顕彰・郷土の偉人の発掘顕彰を―

黒石原に魂を留めた棚橋眞作大佐
 
 私が居住する熊本県合志市(こうしし)黒石(くろいし)には、寛永13年(西暦1636年)に創建された黒石日吉神社が鎮座し、その境内には、昭和21年2月13日にこの地で自刃して亡くなられた「陸軍大佐 棚橋眞作(たなはししんさく)之(の)命(みこと)顕彰碑」標柱が建つてゐた。ところが、その標柱は数年前に忽然として姿を消した。昨年末、知人から棚橋大佐に縁ある神社の将来の事で大佐の娘さん達が困られて居り、力になつて欲しいとの依頼があり、即座に了解した。

棚橋大佐は極めて敬神崇祖の念篤い方で、赴任地には必ず神社を建立されてゐたといふ。昭和19年10月、西部軍管区教育隊長として熊本県西合志町黒石にあつた幹部候補生学校に赴任された大佐は、教育隊の境内に戦死者を祀る「雄叫神社」を建立された。敗戦後教育隊の敷地は開拓地となつた為に、神社は「稲穂神社」に改称され、土地の守り神となつた。その後、開拓地が「新開(しんかい)地区」と称されるに従ひ「新開神社」へと改称された。この神社は、大佐が自刃された黒石日吉神社から南東方向550m位離れた丘の上に位置してゐる。現在は合志市新開区の神社として年に二回春秋に祭典が行はれてゐる。
 
だが、この祭典では神事が行はれてゐない。かつては菊地神社から神主が来て神事が行はれてゐたが、その費用が負担出来ないとして、菊地神社に連絡しなくなつたさうだ。祭典は新開区が主催し、日常の清掃も区の老人会の方々が行はれてゐる。平成15年1月には社殿の横に「新開開拓記念碑」が建立されてゐる。しかし、棚橋大佐の娘さんの話によると、新開区では平成14年頃に、神社の土地も含めてその一帯を売却する事として、神社を取り壊す事になつたのださうだ。そこで、熊本市内に居住する娘さん達が神社の境内地の一部を購入して神社を守られたと言ふ。

娘さん達は、父親が建立したこの神社が未来永劫に存続できる様に、熊本県護国神社か菊地神社に寄進して末社にしてもらつて祭典も行はれる様にし、更には棚橋大佐の顕彰碑も建立したいと考えられてゐる。だが、地元の人々の理解が得られないといふ。新開区は現在では新興住宅地となつて新しい人々が多数住み、歴史をご存じの方々は理解を示されるが、区長は難色を示し、この区には極左セクト所属の市議迄住んで居る。幸い、昨年9月に日本会議熊本合志支部(支部長・美作(みまさか)博(ひろし)氏)が発足し、活発に活動されてゐるので、支部の方々と話し合つて、英霊顕彰・郷土の偉人発掘の為にも、この問題を打開せんと協議を進めてゐる。その一環として私が『棚橋眞作大佐小伝』を著して地元の方々に配布して、棚橋大佐の人間性(指導者・家庭人として)と地元との深い繋がりについて理解して戴きたいと考へてゐる。春には取材と執筆を終へ、夏迄には完成させたい。

歴史を喪つた者達は先人達の思ひを踏みにじるやうな事を平気で行う。棚橋大佐が創建された神社を取り潰(つぶ)したり、「神事」を放擲(ほうてき)して単なる「記念碑」神社にしてしまふといふ、瀆神(とくしん)の行為を見過ごす訳には行かない。先人の思ひを受け止めず、その願ひを踏み躙(にじ)るやうな者には必ず災ひが降り注ぐであらう。歴戦の勇士としてビルマ戦線の英軍に畏れられ、部下の篤い信頼を得られてゐた棚橋大佐、その大佐の強いリーダーシップ無くして、新開区の出発は無かつたのである。自らのルーツを切断せんとする現代人の浅はかさ、傲慢さは決して許してはならない。棚橋大佐の留(りゅう)魂(こん)は、決行日の早朝に記された遺書に明白である。

遺書 (昭和二十一年二月十三日)【棚橋本家のご遺族の申し出により平成26年3月12日に非公開にしました。】 


 大佐は國を護り、家を守り、そして黒石(くろいし)原(ばる)(新開区や私の居住する黒石区など)の守り神となられたのだ。その歴史を消し去る事は出来ない。

 日本協議会結成以来、運動随想とも言ふべき本連載を続けて参りましたが、次号から別の連載を始める事となり、残念ですが本号にて終了致します。この間御愛読戴きました皆様による「日本の誇り復活運動」の更なる前進を祈念致します。
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2 コメント

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Unknown (織田 直之)
2009-11-10 05:50:13
須屋に住んでいるものです。
今から、穂神社に参拝させていただきます。
棚橋部隊長 (ふくむすめ)
2018-07-23 18:18:49
幼い頃より、幾たびとなく、棚橋部隊長との思い出を父が話してくれました。

部隊長の当番兵になった時のエピソードの数々は、悲惨な戦争の中にあって、父の心のよりどころとなっていたようです。
大変信頼を置いて、可愛がってくださったと話しておりました。

家の床の間には、部隊長にお願いしておかき頂いた書を、掛け軸にして。
また、勲章をたくさん着けた軍服姿の部隊長のお写真も父が亡くなるまで飾られておりました。

部隊長の息子さんが家にいらしたこともあり、その時購入した壺も大切に飾られていました。

晩年、部隊長の最期を話してくれました。
衝撃的な出来事だっただけに、それまで話さなかったのでしょう。

試行錯誤の末、インターネットで部隊長のお名前が眞作様だと知ったのは父の死後でした。
部隊長が、大佐だった事も、検索して知った事です。

いろいろな記事を読み、何故父があれほどまで、棚橋部隊長に惹かれていたのか、良くわかりました。

お嬢様に、父のような人間もいたのだと、お伝えしたかった為、投稿致しました。
お目に留まる事はないと分かってはありますが、
私の生きた証を残したく。

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