鉄卓のブログ「きままに」

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「不知火海」に会う【JR九州新水俣駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-22】

2016-11-15 | JR九州ウォーキング
2016年11月12日(土)


(今日のマップ)

JR九州ウォーキング新水俣駅コースに参加。

八代駅でJR鹿児島本線から「肥薩おれんじ鉄道」に乗り換える。
2011年3月九州新幹線は全線開業したが、2004年に新八代 - 鹿児島中央間が先行して運行を始めていた。そのとき、鹿児島本線の熊本県の八代駅~鹿児島県の川内駅間がJR九州から鹿児島県、熊本県、それに沿線の自治体が出資した第三セクター「肥薩おれんじ鉄道」に移行した。熊本の肥後、鹿児島の薩摩そして柑橘類生産が盛んな沿線を走ることから鉄道名はつけられている。貨物列車が走る路線なのでJR貨物も出資している。

今日は、距離に関係なく1回の乗車が300円。通常運賃は1250円。ただし、熊本県内の駅間だけに限られている。おそらく、熊本県の事業なのだろう。二つの県にまたがる第三セクターの運営は日頃からいろいろと大変だろうと思う。


(今日は1回乗車300円)


(肥薩おれんじ鉄道)

運転台の横、車両の真ん前で写真を撮っていたら、運転手さんがワイパーで窓を拭いてくれた。
列車は直ぐに八代海沿いを走る。乗客の方が自分の座席から離れて、窓際に立って海を眺め「景色いいですね。」と話しかけてこられた。「夕方はもっといいですよ。」とお話したら、想像されている様子だった。


(車窓の不知火海)


(車窓の不知火海)


(車窓の不知火海)


(車窓の不知火海)


(車窓の不知火海)

佐敷を過ぎると海が見えなくなる。そして新幹線の高架と二度ほど会う。新幹線も曲がりくねって走っているのかなと思うが、新幹線はほぼ直線でおれんじ鉄道の方が曲りくねって走っている。そんなことを考えていると、新幹線と並行になり新水俣駅に着く。おれんじ鉄道の駅はホームだけで、駅舎も無く、駅員さんもいない。


(車窓)


(おれんじ鉄道の観光列車「おれんじ食堂」。線路は複線の所も単線の所もある。)


(新幹線の高架)


(新水俣駅)

新幹線の駅舎内で受付をすませ、ウォーキングのスタート。
坂を下って、「徳富蘇峰記念館」に着く。蘇峰は1863(文久3)年生まれ。明治から昭和にかけてのジャーナリスト、評論家として活躍した。小説「不如帰」で有名な徳富蘆花は弟。


(徳富蘇峰記念館)

蘇峰記念館は旧水俣市立図書館で、蘇峰の父・徳富一敬の雅号『淇水』から淇水文庫と呼ばれていた。昭和58年、新たな市立図書館が設立され移転したのに伴い、装いを新たに記念館として再出発している。生家は別の場所である。大江義塾で使用した教科書や・出欠簿、国民新聞、書などが展示してある。蘇峰や蘆花の出版本も展示されている。



(入口の蘇峰・蘆花兄弟の写真)


(蘇峰の出世作の原稿)

父・徳富一敬は横井小楠の高弟で、明治維新後、熊本の改革に貢献した。蘇峰は、その頃から住んでいた大江村(現在は熊本市)で「大江義塾」を開校した。1882 (明治15) 年、20歳の頃である。

11月3日のJR九州ウォーキングで荒尾市の「宮崎兄弟生家・記念館」を訪れたが、末弟で孫文を支援した「宮崎滔天」は16歳のとき、「大江義塾」の門を叩いた。

「大江義塾」の自由闊達で、自由放任の教育を、滔天は自由民権の理想郷にも思えたが、次第に幻滅を感じるようになる。滔天の長兄で自由民権の運動家宮崎八郎は西南戦争で薩軍に参加し官軍の攻撃で戦死した。父は残った兄弟に「官にはなるな。」と教えた。純粋な運動家を目指した滔天にとって、大江義塾は「名利の欲」の集まりに思えるようになって半年で退塾する。

蘇峰は1886(明治19)年に閉鎖し上京。その後、山形有朋や桂太郎など政府や政党、軍の要人たちと関係を作って行きながら、「国民新聞」を発行し、ジャーナリスト、評論家、思想家としての地位を築いて、日清、日露、第2次大戦の世論形成にも貢献して行く。戦後はA級戦犯容疑者に指名されるが裁判にかけられることはなかった。蘇峰の思想は、その振幅が大きく行動も多岐にわたって、全体像がつかみにくいともいわれている。

大江義塾を去った滔天は、欧米からのアジア開放をめざして、孫文たちの支援を続け、辛亥革命で清朝を倒し、共和制国家をめざす政府を樹立する。蘇峰は、共和制を目指した辛亥革命がわが国に影響を及ぼさないか危惧を表明している。

熊本県の北端・荒尾に生まれた滔天、南端・水俣に生まれた蘇峰、少年期に自由民権運動の中にいた二人はそれぞれの道を歩む。

意識されていたかどうかは分からないが、11月の3日と12日に、二人の記念館を巡るウォーキングは味のある企画であったと思う。

熊本市大江にある「大江義塾」の建物は今も残り、「徳富記念館」が併設されている。そこの庭に蘇峰が敬愛していた新島襄がアメリカから持ってきて、もう何代目かになるカタルパの木がある。そこから分けてもらったカタルパの木がこの蘇峰記念館の庭に植わっている。


(カタルパの木)


(徳富蘇峰像)

蘇峰記念館を後にして、水俣と亀との関係は???と思いながら水俣川沿いを歩くと、「奈良時代この地から時の朝廷にめでたい白亀が献上されました。光仁天皇は大変よろこばれ、肥後の国の税を免除し、元号を「宝亀」と改められたと云う故事があります。」との説明があった。


(水俣川沿い歩道)


(水俣川沿い歩道)


(水俣川沿い歩道)


(水俣川沿い歩道)


(水俣川沿い歩道)


(水俣川沿い歩道)

しはらく歩いて、上りにかかる。2つほど曲がりながら上ると、先に歩いている人が沈んでいく、とんとん峠。


(上り道で)


(上り道で)


(上り道で)


(上り道で)


(上り道で)


(上り道から)


(とんとん峠)

峠を少しだけ下ったら不知火海がぅわーっと目の前に。しばし、見惚れる。


(不知火海)


(不知火海)

福田農場への道を上る。途中、「史跡踏鞴跡」の碑があったが、詳しいことは分からない。


(福田農場へ上る)


(福田農場へ上る)


(福田農場へ上る)


(福田農場へ上る)


(福田農場へ上る)

ようやく「湯の児スペイン村福田農場」に着く。お昼前だったがお腹すいたのでパンを買った。多目的スペース「バテオ」ではフラメンコがあっていたので甘夏ソフトクリームを食べながら観る。ここまで上ってきて汗をかいた体に甘夏の香りが口の中にひろがり冷たさが喉をうるおす、疲れも吹き飛ぶ。パンを食べようと思ったが、ここに来たらやはり「パエリア」を食べなきゃと思い直し、パンは夕食に持って帰った。後ゴールまでが3K程あるのでビールは諦める。


(バテオでフラメンコ)


(パン工房グラシアでパンを買う)


(やはりパエリア)


(この風景を観ながらパエリア)

しばらく写真を撮って廻る。


(スペイン村から)


(バレンシア館)


(セビリア館)


(パテオ館横)


(スペイン村から)

みかん畑の中を下る。


(みかん畑の中を下る)


(みかん畑の中を下る)


(みかん畑の中を下る)

途中、 高速道路の工事中のところも見えた。高速道路が延びてくると、「肥薩おれんじ鉄道」の経営環境もますます厳しくなるだろう。


(高速道路の工事中)

新水俣駅にゴール。


(新幹線が見えてきた)


(新水俣駅)


(新水俣駅裏から)

「肥薩おれんじ鉄道」で帰路。また、前に陣取って写真を撮っていると運転手さんがいろいろと話してくれた。


(肥薩おれんじ鉄道「新水俣駅」)


(帰りの車窓)


(帰りの車窓)


(帰りの車窓)

日奈久温泉駅で300円払って途中下車。山頭火が迎えてくれる。日奈久温泉は山頭火で町興しをしている。「九月は日奈久で山頭火」で九月には盛りだくさんのイベントが行われる。山頭火は「種田山頭火」。尾崎放哉と自由律俳句の代表。「分け入つても分け入つても青い山」「うしろすがたのしぐれてゆくか」「どうしようもない私が歩いている」などの句がある。


(日奈久温泉駅)


(日奈久温泉で)


(日奈久温泉広場)

日奈久温泉の湯に浸かり、あがって、ようやくビール。ほっと一息ついて、ちくわを買って日奈久温泉駅に戻り今日のウォーキングを終える。


(日奈久温泉駅)