えつこのマンマダイアリー

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最近の新聞記事より ~ジャーナリスト解放と自己責任論~

2018年11月02日 | 雑記

 最近シリアのテロリストから解放されたジャーナリストの安田純平氏と、それを巡る自己責任論に関連して、東京新聞の朝刊から2編のコラムと1編の読者投稿を引用します。

2018年10月25日付「筆洗*」より 
   * ブログ管理人注:朝日新聞の「天声人語」に当たるコラムです。

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 井伏鱒二の『山椒魚』はうかつにも川底の岩屋に閉じ込められてしまった山椒魚が主人公である。岩屋から出られなくなったのは自分の判断ミスのせいである▼2年間、岩屋の中で過ごしている間、自分の体の成長に気付かず、頭が出口につっかえて外に出られなくなった。「ああ神様! たった2年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、この窖(あなぐら)に私を閉じ込めてしまうとは横暴であります」▼あの山椒魚には幸福な結末を予感しなかったが、3年間、テロリストによって、とらわれの身となっていた人の朗報である。フリージャーナリストの安田純平さん。解放されたとの情報が政府によって発表された。本人はもちろん、家族の喜びはいかばかりか。心配で眠れぬ夜が続いていたはずである。良かった▼事件に関してジャーナリストとはいえ、行くなと言われた危険な地域へ赴き、悪者に拘束されたのは自分の責任だろうという意見があることは承知している▼理解できぬわけではない。が、その声はやはり、あの山椒魚に「あきらめなさい」とただ背を向けるに等しかろう。言葉を借りれば命の重さに見合わぬ「横暴」の部類である。自分や家族が岩屋の山椒魚になった時、同じことが言える自信は誰にもなかろう▼助けを求めていた人の命が救われた。救おうと取り組んだ人がいる。その事実を今はかみしめたい。

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2018年10月28日付「本音のコラム」より

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 責任のアンバランス  山口 二郎(法政大教授)

 24日の新聞に、原子力損害賠償法の改正案がまとまったが、基本的な骨格は現行法のままで、事故の際の政府の責任もあいまいにされたという記事があった。
 福島第一原発事故の教訓は忘れ去られ、政府と電力会社は事故の際の補償について展望のないままに、再稼働を進めようとしている。
 25日のテレビニュースは、森友学園に対する国有地売却をめぐる公文書の改ざんについて、現場の近畿財務局のOBが野党議員のヒアリングに応じ、実態を話したことを伝えた。改ざんに手を染めた職員は自殺し、それを指示した側はのうのうと生き延びている。

 日本は無責任国家である。公権力を行使する為政者とその近くで影響を持つ経済人などは、犯罪的なことをしでかしても、多くの人々を苦しめても、罪に問われることはなく、地位を失うこともまれである。
 折しも、安田純平氏が解放され、無事帰国した。案の定というべきか、一部からは「自己責任」という非難が吹き荒れている。そう、日本では責任という言葉は、貧困状態にある弱者や、政府の勧告を無視して取材を敢行した独立心に富むジャーナリストを攻撃する武器なのである。
 自己責任という意味不明な言葉で他人を攻撃する者は、権力者の無責任に目をつぶり、自己満足を求めているだけである。

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2018年11月1日付 読者投稿欄より

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 リスクなしに 真相に迫れぬ   無職 友野 博秋 (66)

 ジャーナリストの安田純平氏がシリアから無事帰国した。2015年1月に後藤健二氏の痛ましい事件があっただけに心配していたが、3年4ヶ月の想像を絶する苦しい拘束を克服されたことに心から喜ぶとともに敬意を表したい。
 「自己責任」の言葉で安田氏を責める論調はよもやあるまいと思っていたが、そうでもないらしい。もし自己責任を声高に叫ぶ方がいるとしたら、その方々はジャーナリストがリスクを冒して現地に行かなくとも、ニュースは天から無料で降ってくるものだと思っているのだろう。
 私は、その天からのニュースを無批判に受け入れてしまうことが、いかに自身の思考や、真実を見る大事な目を曇らせてしまうか、注意してもしすぎることはないと自覚して、ニュースに接するようにしたい

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 ( ※いずれも、文章のブロック分けと太字化はブログ管理人によります。)

 

 この類の事件が起こる度に、自己責任論派とそれを否定する派との間で論争が起こりますね。もちろん、人が行動するとき、自分で危機管理をしなければならないことは当然のことです。でも、後者に当たるこれら3編の意見を私が引用したのは、自ら太字化して強調した部分に同意するからです。

 そして、「自己責任なのだから、窮地に陥ったからといって、助けを求めるな」という自己責任論を主張する方々に私が投げかけたい問いは、「それでは翻って、あなたは、今までの人生で窮地に陥ったときに、すべて自己責任でそれを解決してきたのですか? いかなる助けも誰の助けも借りずに、窮地から脱してきたのですか?」ということ…。そんなあなたでも、病気になったり怪我をしたりしたら、医者に行くのではないですか? 「それとこれとは別」? そうじゃないでしょう、同じことだと私は思います。極論すれば、この文明社会において、すべてのことを自己責任で自己完結して生活している人なんて、一人もいないはずですよね。独りで、何もかも独力で生きている人が、あなたの周りにいますか? あなたはそういう人なのですか? そうじゃないでしょう、安田氏を非難できる人は、ロビンソン・クルーソーくらいじゃないでしょうかね(^^; 

 少し話が飛びますが…精神科医の神谷美恵子氏(1914-1979)が、その著書『生きがいについて』の中で、こんなことを言っているそうです(私は直接読んではおりません。NHKの「100分で名著」からの引用です):
 「人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われる。自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力をそそいで歩いているひと―いいかえれば使命感に生きるひとではないであろうか。」
 (因みに、神谷氏は、社会的弱者であるハンセン病患者の生きざまに触れるうちに、自分の生きがいと向き合うようになり、7年かけてこの書を著わしたそうです。)

 私は、安田純平氏の業績や人柄など、詳しいことは存じ上げません。でも、拘束中の地獄のような日々を垣間見たとき、よくぞ心身を健全に保っていられたものだと、少なくとも感銘を受けました。私なら早期に体か心かに支障をきたし、生きながらえることなどできなかったでしょう。
 安田氏を神谷氏のこの言葉に照らしてみると、まさにこれに当てはまる人物ではないかと私は感じます。ジャーナリストとしての使命感に燃え、リスクを承知の上で、自分の目標にむかって全力を注いだ結果、不本意にも拘束されてしまった人…それでも、自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、生きようと努力した結果、生きながらえた人……。
 そこで、改めて自己責任論派の方々に問いたいです。あなたは、安田氏のような、あるいはそれ以上の使命感を持って生きていると、胸を張って安田氏に言えますか? 同じような窮地に陥ったとき、安田氏のように果敢に生きながらえる自信がありますか? 安田氏を責める前に、まず自らを振り返ってみてください。

 さらに、神谷氏は、人間が生きがいを考えるときに導きとなる四つの問いを記しているそうです:
  1.自分の生存は何かのため、または誰かのために必要であるか。
  2.自分固有の生きていく目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているか。
  3.以上、あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。
  4.一般に人生というものは生きるのに値するものであるか。

 最後に、自己責任論派の方々にお願いしたいです。あなたも、これら四つの問いを自らに質してみてください。果たしてどんな答えが出てくるでしょう? どんな答えを出せますか? 
 そして、皆さんにこう問いかけながら、私自身もこの問いを自らに投げかけております……。

 

 長らくご高覧くださり、誠にありがとうございましたm(__)m

 「国民に自己責任(自助)論者が増えれば増えるほど、為政者の政治家としての自己責任(公助)レンジが減るので、為政者が喜ぶことになる=自己責任論を唱えれば唱えるほど、国民は自分の首を絞めることになる」と考えているtakuetsu@管理人でした。

 

 

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