たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

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渋民「宝徳寺」の啄木歌碑

2011-07-13 | 啄木歌碑
啄木は盛岡の隣村の日戸村の常光寺で生まれましたが、一年後、父一禎が隣村の渋民村の宝徳寺の住職になったため、ここに移住し、盛岡の中学を退学するまで、この寺で暮らしている。歌碑は昭和36年4月に建立された。







さわらの木と歌碑












啄木歌碑





ふるさとの寺の畔の
ひばの木の
いただきに来て啼きし閑古鳥

啄木(悲しき玩具)



この歌は、啄木歌ノート「一握の砂以後」(明治43年11月末日)にある歌で、雑誌「新日本」(明治44年7月号)に発表。「悲しき玩具」に掲載されている。啄木はさわらの木をひばの木と思ったのでしょう。





宝徳寺



宝徳寺の門の前から見た岩手山



宝徳寺の門を出ると真正面に岩手山が見えます。啄木は毎日この岩手山を眺めて育ったのでしょう。渋民村には綺麗な姫神山もありますが、啄木の歌には姫神山に関する歌はありません。啄木にとっては思い出の山はこの「岩手山」だったのでしょう。




昭和37年10月には啄木の詩「凌霄(のうぜん)花」の一節の碑が建立された。






           
                     君が墓あるこの寺に
                     時告げ法の声をつげ
                     君に胸なる笑みつげて
                     わかきいんちに鐘を撞く
                     君逝にたりと知るのみに
                     がんばせよも美しき
                     み霊の我にやどれと
                     人に知らねば身を呼びて
                     うつけの心の唖とぞ
                     あざける事よ可笑しけれ




啄木の間

啄木は寶徳寺において満一歳から十八歳まで生活をしました。特に盛岡中学時代は、この部屋を好んで使い読書や思索に、あるいは友との語らいに、時を忘れて熱中する場としました。また、静かなこの部屋で萬年山に響きわたる啄木鳥の木霊に境内の檜葉の木に鳴く閑古鳥の声に折々の気持ちを込めてじっと耳を傾けました。青春期のこうした体験からやがてペンネーム「啄木」を編むむだし、望郷の思いを託す次の歌を創ります。
「ふるさとの寺の畔のひばの木のいただきに来て啼きし閑古鳥」
この部屋は大事な啄木の間であります。したがいまして、当時のままに平成13年に復元し、石川啄木を偲ぶよりどころとして、永く保存に務めてまいります。また、寺の裏庭には白蘋の池があり、中学時代に用いた号、白蘋はこれに由来している。(案内板)








啄木の間の案内板



啄木の間



啄木の間から見える白蘋の池





宝徳寺から啄木が生まれた常光寺までの距離は10km、啄木が利用した好摩駅までは5kmほどあります。























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