8月9日は長崎に原爆が投下されてから66年が経つ。
広島、長崎と3日の間隔をおいてアメリカ軍が日本の2か所に原爆を投下した。この原爆、最初は小倉市に投下予定だったということだが、天候の関係で第2の候補地長崎市に変更された。
多くの死傷者を出す原爆は、この世から廃絶しなければならないというのはごくごく当たり前のことであるが、核実験がこの地球上で密かに続けられているのは大変残念なことである。
1945年8月9日、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」が長崎市上空で投下したプルトニウム型原子爆弾。ファットマンと呼ばれる。午前11時2分、同市松山町の上空約500メートルで爆発し、同年末までに約7万4千人が死亡、約7万5千人が重軽傷を負ったと推計される。熱線や爆風に加えて放射線を浴び、現在も健康被害に苦しむ被爆者が多い。(47NEWS)
66年で被爆者が高齢化し、当時の“語り部が”少なくなってしまった現在、広島、長崎に投下された原爆の怖さを絶対に風化させないように、われわれ年代が語り継いでいかなければならないのではないだろうか。
ビキニ環礁で、核実験の灰を浴びた第5福竜丸事件から57年、無線長をしていた久保山愛吉さんは「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を残して亡くなったが、わが国は原爆と水爆の核実験の犠牲になっているわけで、当時、あの海域で操業していた漁船の乗組員で、数十年後静かに息を引き取った方も多いと聴く。
世界で原水爆の被害に遭っている国は、日本だけではないだろうか。核の平和利用とはいうものの、福島原発事故の影響の大きさを考えると、大声で『脱原発』を叫んでいくのが普通だと思うのだが、今後どのようにエネルギーを作り出していくのか真正面から取り組んでいかないといけないのではないだろうか。