一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

私が十代のときに胸をときめかせた女優・尾崎奈々について

2020年04月18日 | 映画
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4年前(2016年)に、このブログで、
「幻の女優・森和代について」
と題して、記事を書いた。(コチラを参照)
この森和代について書いた記事は今でもよく読まれていて、
当ブログへの訪問者数アップに貢献している。
私が十代の頃に胸をときめかせた女優は、もう一人いて、
その女優の名は、尾崎奈々。




尾崎奈々と聞いて、すぐに顔を思い浮かべることのできる人は、
おそらく60代半ば以上の方であろう。
10代から20代の方は、岡田奈々(AKB48)と間違え、
30代から40代の方は、尾崎菜々(旧尾崎ナナ・元グラビアアイドル)と間違え、
50代から60代前半くらいの方は、岡田奈々(女優)と間違えたりするのではないだろうか?

尾崎奈々(おざきなな)
1948年7月28日、大阪府池田市生まれ、豊中市育ち。
元女優。
本名は石原利子(旧姓は尾崎)。
三人姉妹の末っ子。
身長163cm、体重45kg(現役当時)。
1965年、在籍していた大阪成蹊女子高等学校の帰り道、
内田良平(俳優・1984年6月15日死去)の平田マネージャーよりスカウトされ、
勧められて同年夏に日活のカメラテストを受け合格するも決心が着かず、
翌1966年の夏に再び平田マネージャーの勧めで東映のカメラテストを受け合格、
そして最後に受けた松竹へ入社。
試験官だった野村芳太郎監督の映画『命果てる日まで』で同年11月にデビュー。
1967年秋より、
フジテレビ『お嫁さん』第3シリーズと、
それと並行して放送されたTBS『娘たちはいま』の両作品で注目され、
お茶の間での人気が急上昇。
スラリとした可憐な清純派女優として数々の映画、TVドラマ、舞台などで活躍。
1969年にはエランドール賞の新人賞を受賞。
1972年、京都の東映京都撮影所で、
テレビ東京『紫頭巾』撮影の折に石原興監督(当時は撮影技師、後に助監督)と知り合い、
フジテレビ『結婚許しません』を最後に、
1973年12月に結婚、引退した。
その後、1977年4月から12月にかけ放送されたフジテレビお昼のテレビ小説『みれん橋』で一時的に復帰した。



1966年~1973年(昭和41年~昭和48年)のわずか7年ほどで引退した女優で、
女優活動を約2年で引退した森和代ほど短くはないが、
50代以下の年代の人は、尾崎奈々をほとんど知らないのではないかと思って、
ここに彼女のことを書いておこうかという気になった。




尾崎奈々という女優を好きになったのは、
中学生のとき(1969年、昭和44年)に、
映画館で『海はふりむかない』を鑑賞したことに由る。



礼次(西郷輝彦)は、横浜でガイドをしながら、自由気ままな生活をしていた。


兄の高志(勝部演之)は、エリート・コースを歩き、
出世のために恋人美枝(尾崎奈々)と別れ、
社長令嬢真理子(夏圭子)と結婚しようとしていた。
美枝の兄・周吉(森次晃嗣)は、それを知り、何とか元の二人に戻って欲しいと願っていた。
やがて高志は、美枝に別れ話をした。
礼次は、そんな兄に反感を覚え、美枝に同情した。
そんなある日、偶然礼次は美枝と会った。


そして美枝の口から、突然に原爆症らしいと聞かされるが、
礼次は気にもとめず、美枝を慰めるために海へ行った。


その帰途、ふいに美枝が血を吐いて、入院した。
美枝をあまりに可哀そうに思った礼次は、高志に会い、見舞って欲しいと言うが、
逆に高志から、美枝への同情だけかと言われ、高志を殴ってしまった。
美枝は、短かい命と悟り、故郷の広島に帰った。
周吉から、それを聞いた礼次は、同情から愛に変わった自分の気持に気づき、美枝の後を追った。
そして、二人は広島でめぐり逢った。


夕暮れの平和公園で、礼次は、美枝に愛の告白を受けた。
二人に楽しいひとときが過ぎようとしている時、美枝が突然倒れてしまった……


美しい映像と、美しい尾崎奈々に魅せられ、
当時、怪獣映画や若大将シリーズに夢中になっていた私は、
大人への階段を一歩上がったような気分になった。
監督は、
尾崎奈々が出演した『小さなスナック』『落葉とくちづけ』『旅路 おふくろさんより』などを監督し、数年後には『約束』『旅の重さ』『津軽じょんがら節』などの傑作をものすることになる名匠、斎藤耕一。
脚本は、
後年(1989年)、最年長受賞記録(68歳2ヶ月)で直木賞を受賞することになる星川清司。
『海はふりむかない』が、単なる歌謡映画(歌謡曲やその時々の流行歌を題材にしたもの)になっていないのは、星川清司の優れた脚本と、斎藤耕一監督の演出力に由るところ大である。


『海はふりむかない』ですっかり尾崎奈々のファンになった私は、
彼女の出演作は、片っ端から見るようになった。
『海はふりむかない』以前の作品は、TVでの放映や、
大学生時代に東京の文芸座などのオールナイトの5本立てなどで見た。

『命果てる日まで』(1966年、松竹大船)高森みどり役




『女たちの庭』(1967年、松竹大船)真山みふゆ役




『また逢う日まで 恋人の泉』(1967年、松竹=ビクター)原田れい子役
『あゝ君が愛』1967年、松竹大船)栗林ミカ役

 
『嵐に立つ』(1968年、松竹大船)高山花絵役
『進め!ジャガーズ 敵前上陸』(1968年、松竹大船)雪子役
『思い出の指輪』 (1968年、松竹/ホリ・プロ)坂本京子役


『虹の中のレモン』(1968年、松竹大船)真山エミ役


『小さなスナック』(1968年、松竹大船)若松美樹役



『恋の乙女川』(1969年、ビクター/ワールド)吾妻八重子役


『永訣』(1969年、松竹大船)行友弓子役


『落葉とくちづけ』(1969年、松竹大船)田代信子役


『夕陽の恋人』(1969年、松竹大船)上条由紀役



『海はふりむかない』(1969年、松竹大船)美枝役


『栄光の黒豹』(1969年、松竹大船)ミス十日町役
『チンチン55号ぶっ飛ばせ! 出発進行』(1969年、松竹大船)岡本雪代役
『美空ひばり・森進一の花と涙と炎』(1970年、松竹大船)浜子役
『アッと驚く為五郎』(1970年、松竹大船)大岩はるみ役
『夕陽が呼んだ男』(1970年、松竹大船)浅井ルミ子役


『風の慕情』(1970年、松竹大船)八田則子役
『姿三四郎』(1970年、松竹大船)早乙美役


『暁の挑戦』(1971年、フジテレビジョン/国劇映画)文子役
『おんなの朝 あまから物語』(1971年、松竹大船)和美役
『人間標的』(1971年、松竹大船)斗志子役
『旅路 おふくろさんより』(1971年、松竹大船)洋子役


『冠婚葬祭入門 新婚心得の巻』(1971年、松竹大船)木村美子役


『喜劇 誘惑旅行』(1972年、松竹大船)和田清美役



尾崎奈々が活躍した1966年~1973年(昭和41年~昭和48年)は、
グループサウンズや歌謡曲が全盛の時期で、
彼女は歌謡映画に多く出演している。
ジャガーズ、ヴィレッジ・シンガーズ、ザ・スパイダース、パープルシャドーズなどのGS、


橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家はもちろん、


美空ひばり、森進一、ジュディ・オングなどの人気歌手や、
竹脇無我、藤岡弘、森田健作など、当時人気のあった男優とも共演している。


『小さなスナック』の予告編↓


青春スター時代の藤岡弘が新鮮だし、(笑)
恥ずかしくなるようなセリフ満載だし、(爆)
ジュディ・オングが可愛いし、歌(悲しみの十字架)も素晴らしい。

『虹の中のレモン』予告編↓


この映画の中の尾崎奈々は、
「奈々」と「菜奈」という「なな」繋がりもあるが、
スタイルが良く(昭和の女優とは思えない)
ファッションセンスにあふれており、
まさに昭和の小松菜奈だと思う。


横顔や、




笑顔が小松菜奈によく似ている。




小松菜奈は、映画『さよならくちびる』で歌声を披露し、門脇麦と一緒にCDも出したが、
尾崎奈々もレコードを数枚発売している。




尾崎奈々は、1948年7月28日生まれなので、
私より6歳年上の71歳。(2020年4月現在)
70代の尾崎奈々は想像すらできないが、
きっと、美しく年を重ねておられることだろう。
森和代と同様に、
尾崎奈々は、
我々、彼女に憧れた少年たちの胸に、
いつまでも消えずに残っている。
永遠に……

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