一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『川っぺりムコリッタ』 ……満島ひかりの演技が凄い荻上直子監督の傑作……

2022年10月01日 | 映画


本作『川っぺりムコリッタ』に興味を持ったのは、
満島ひかりの出演作であるから。
満島ひかりについては、
このブログで何度も書いているので、新たに付け加えることはないが、
非凡な女優であり、
〈彼女の出演作ならば……〉
と、常日頃思っている。


監督は、荻上直子。
『バーバー吉野』(2003年)
『かもめ食堂』(2006年)
『めがね』(2007年)
『トイレット』(2010年)
『レンタネコ』(2012年)
などが評価されており、
(スローライフ的な)その独特の作風で、
女性から圧倒的な支持を得ているという印象が強い。
その分、男性からは、やや物足りなさを指摘する声もあり、
なんだか同じような映画ばかり……という印象を抱かれもしている。
私もそんな一人であったが、
『彼らが本気で編むときは、』(2017年)を見て、考えが一変した。
……生田斗真と柿原りんかの演技が秀逸な傑作……
とのサブタイトルを付してレビューを書いたのだが、
トランスジェンダーのシビアな現実を描いており、
荻上直子監督作品らしいゆったりとした空気感は残しつつも、
内容でかなり「攻めていた」し、
もう一段高い所に到達した作品だと思った。
生田斗真の演技も素晴らしく、
映画を見終わったとき、
私の目には涙が溢れていた。
そんな体験をしていたので、
荻上直子監督の新作も期待できると思った。


満島ひかりの他、
私の好きな女優、江口のり子や薬師丸ひろ子も名を連ねている。
で、ワクワクしながら映画館に駆けつけたのだった。



山田たけし(松山ケンイチ)は、
北陸の名もなき町にある「イカの塩辛」工場で働き始め、
社長(緒形直人)から紹介された「ハイツムコリッタ」という安アパートで暮らし始めた。


できるだけ人と関わらず生きていこうと決めていた山田のささやかな楽しみは、
風呂上がりの冷えた牛乳と、炊き立ての白いごはん。


山田は、念願の米を買い、
ホカホカ炊き立てご飯を茶碗によそい、イカの塩辛をご飯に乗せた瞬間、


部屋のドアがノックされる。
ドアを開けると、そこには、
隣の部屋の住人・島田幸三(ムロツヨシ)が「風呂を貸してほしい」と立っている。
ぼさぼさ頭で汗だくの男は、庭で野菜を育てているという。


以来、毎日のように山田の家にやってくるようになったことから、
山田の静かな日々は一変する。


このアパートの住人はみな、社会からは少しはみ出した感じの人たちばかりだった。
無論、みな貧乏だ。
夫を亡くした大家さんの南詩織(満島ひかり)は、なんだか訳アリの雰囲気だし、


墓石売りの溝口健一(吉岡秀隆)は、息子を連れて訪問販売しているし、


ひっそりと生きたいと思っていた山田だったが、
なぜだか住人たちと関わりを持ってしまっている。


ある日、子供のころに自分を捨てた父の孤独死の知らせが入る。
なぜ、とうに縁が切れた父親の死後の面倒をみなければならないのか?
反発しながらも、島田に説得され、山田は遺骨を引き取りに行く。
父が残した携帯電話には「いのちの電話」への着信履歴が残っていた。
自分を捨てたと思っていた父の死因は自殺だったのだろうか?
母に捨てられて以来、
〈自分なんか生まれてこなければよかった〉
という思いと戦ってきた山田は、腹立たしいような、
〈やっぱりそうだったのか……〉
と落胆するような複雑な感情にかられる。
そんな山田を、島田は不器用に、かつ優しく励ます。
少しずつ友情のような関係が芽生え始める山田と島田。


溝口の墓石が破格の値段で売れたときは、ハイツムコリッタの皆で食卓を囲む。


山田の心に光が灯り始めた頃、
山田が北陸の町にやってきた「秘密」が、島田に知られてしまう……




タイトルの「ムコリッタ(牟呼栗多)」は、
仏教の時間の単位のひとつを表す仏教用語で、
「ささやかな幸せ」などを意味する。
※ちなみに、1昼夜は30牟呼栗多(1/30日=48分)


主人公の山田が、
〈できるだけ人と関わらず生きていきたい……〉
という気持ちは私と同じだが、(笑)
山田がそう思う理由は、私とは違っていて、
山田が前科者であるからだ。
映画の冒頭、
「イカの塩辛」工場の社長(緒形直人)から「更生」という言葉が飛び出すので、
見る者にはそれと知れる。
だからネタバレではないし、
犯罪自体も「殺人」のような物騒なものではない。(お金の絡んだ詐欺事件に加担)
前科者の孤独な青年がアパートの住人との交流を通して社会との接点を見つけていく……
という、ほんわかとした物語(予告編もそんな作りになっている)と思いきや、
後半は意外な展開をみせる。
荻上直子監督の前作『彼らが本気で編むときは、』と同様に、
前半は、いつもの「ゆったり」とした空気感で経過するが、
後半は、かなり「攻めた」内容で、
特に、松山ケンイチと満島ひかりの演技は凄みがあり、圧倒された。



主人公の山田たけしを演じた松山ケンイチ。


荻上直子監督は松山ケンイチとは運命的な出会いをしたそうで、
脚本を書き終わって、主演は誰がいいだろうと考えていたとき、
イタリアのウディネ・ファーイースト映画祭(2017年)に出席した際に、
食事の席で松山ケンイチと一緒になり、
〈これは運命だ、松山さんしかいない!〉
と思ったそうだ。
一方、オファーを受けた松山ケンイチはどう思ったのか?

脚本を初めて読んだ時、僕は東京で暮らしていたんですけど、これは東京で生きていたら絶対に理解できない部分があると思いました。目の前に畑があって、誰かと一緒に作物を栽培する作業を共有して、隣近所の人とご飯を食べるとかしないと山田役はとても無理だと思ったんです。この感覚を習得するためには、自分が田舎に行かなきゃいけないって思ったんですよ。まあ、田舎で暮らす生活を選んだのにはいろいろな理由があるんですけど、この映画のオファーもきっかけのひとつになりました。(「LEE」インタビューより)

主人公の山田を演じる松山ケンイチが、見る者に違和感なく自然に受け入れられたのには、
こういう理由があったからなのだ。
それにしても、
松山ケンイチが配偶者の小雪と共に田舎暮らしをしていることは有名だが、
この映画のオファーも(田舎暮らしの)きっかけのひとつになっていたとは知らなかった。

松山ケンイチの俳優としての本領が最も発揮されたのは、
(松山ケンイチが演じる)山田たけしが亡き父親の遺骨を砕くシーン。
怒りや悲しみがビシバシ伝わってくるような凄みのある演技で、
傍にいた大家さんの南詩織(満島ひかり)が山田を抱きしめるのだが、
見る者も思わず(松山ケンイチを)抱きしめたくなるような圧巻の演技であった。
本作のレビューのサブタイトルを、(字数の関係で)
……満島ひかりの演技が凄い荻上直子監督の傑作……
としているが、本当は、
……松山ケンイチと満島ひかりの演技が凄い荻上直子監督の傑作……
としたかった。
それほどの演技であった。



夫を亡くした大家さんの南詩織を演じた満島ひかり。


「亡き夫を深く愛していた」という前振りはあったのだが、
ちょっととぼけたような雰囲気が(特に前半は)それをあまり感じさせなかったのであるが、
夫の遺骨との性愛シーン(これはちょっと言葉にはできないほど凄い)には仰天したし、
感心させられた。
荻上直子監督は、

骨に触れるだけでなく、もう一歩進みたかった感じがしたので。

と語っていたが、
女性監督ならではの演出であったと思う。
あのシーンが演じられる女優は満島ひかり以外思いつかないし、
満島ひかりだからこそ演じられたシーンであったと思う。
山田(松山ケンイチ)が亡き父親の遺骨を砕くシーンもそうだが、
この映画における満島ひかりの果たした役割は限りなく大きい。



山田の隣の部屋の住人・島田幸三を演じたムロツヨシ。


予告編ではいつものムロツヨシのような感じだったので、
演技に関してはそれほど期待していなかったのであるが、


本編を見ると、これまでのムロツヨシとは異なっていて、
明るさの中に(裏に)悲しみが潜んでおり、驚かされた。


荻上直子監督によると、
当初、なかなか自分が思うような島田のキャラクターにはならず、
現場では厳しくしていたとか。(笑)


その甲斐あってか、これまであまり見たことのないムロツヨシを見ることができたと思う。
特に、山田がお金の絡んだ詐欺事件に加担していたことを知り、
自分がお金の絡んだ詐欺事件で被害に遭った過去があることを告白するシーンは秀逸であった。



墓石売りの営業マン・溝口健一を演じた吉岡秀隆。


淡々とした演技なのだが、そこに可笑しみや哀しみがあり、
ベテラン俳優ならではの素晴らしい演技で作品を支えていた。
アパートの住民みんなで、すき焼き鍋を囲むシーンでは、
荻上直子監督や撮影監督から、
「このシーンは寅さんの、家族で食卓を囲むシーンみたいなイメージにしたいんですけど、どういう風に撮っていたんですか?」
と質問されるほど信頼されていたそうで、
このシーンを思い浮かべた私は、
〈なるほど、そんな思いで撮られていたのか……〉
と、感心しきりであった。



イカの塩辛工場での先輩社員・中島を演じた江口のりこは作業着姿で、
顔がほとんど見られなかったし、


命の電話相談員役の薬師丸ひろ子は声だけの出演だったので、
顔を見ることができなかったのが、ちょっと残念であったが、
声が聴けただけでも良かったと思い直したことであった。



その他、
柄本佑、


田中美佐子、


緒形直人が、
出演シーンは少ないものの、存在感のある演技で作品を質の高いものにしていた。



ああ、それから、ミュージシャン(元たま)の知久寿焼が楽曲を提供し、(素敵な曲だ)
出演もしているので、見逃さないように。



ああ、それから、山羊も好い演技をしていたな~(笑)




ああ、それから、ロケ地である富山の風景も素敵だった。




ああ、それから、炊き立てのホカホカごはんがあれば、
それだけで幸せなのだと気づかされたことであった。


本作を見て、
松山ケンイチと満島ひかりの演技に凄みを感じさせられたし、
荻上直子監督が素晴らしい監督であることを再認識させられた。
見て良かった……と思った。

この記事についてブログを書く
« 秋の花が咲き揃った「天山」... | トップ | 紅葉が始まった作礼山…センブ... »