一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『君の名は。』……現代アニメと古(いにしえ)の文学エッセンスが融合した秀作……

2016年09月06日 | 映画


数年前、『言の葉の庭』というアニメ映画を見て、
とても感心したことを覚えている。
靴職人を目指す男子高校生と、
生徒の嫌がらせによって退職に追い込まれた女性教師の物語で、
その設定が一風変わっていて面白かったし、
約8割が雨のシーンというのも良かった。
雨の描写がとても美しく、
映画を監督した新海誠という名と共に、
強く印象に残ったのだった。


その新海誠監督の新作映画が公開された。
『君の名は。』である。
キャラクターデザインに、
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』シリーズなどの田中将賀、
作画監督に、
『もののけ姫』などの安藤雅司、
ボイスキャストに、
神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみ、市原悦子などが名を連ねている。


見たい、と思った。
そして、仕事帰りに映画館へ足を運んだのだった。

1,000年に1度のすい星来訪が、1か月後に迫る日本。
山々に囲まれた田舎町に住む女子高生の宮水三葉(声・上白石萌音)は、
町長である父の選挙運動や、家系の神社の風習などに鬱屈していた。


それゆえに都会への憧れを強く持っていたが、
ある日、自分が東京の男子高校生になった夢を見る。


一方、東京で暮らす男子高校生の立花瀧(声・神木隆之介)も、
行ったこともない山奥の町で自分が女子高生になっている奇妙な夢を見ていた。


繰り返される不思議な夢。
そして、明らかに抜け落ちている記憶と時間。


何度も入れ替わる身体とその生活に戸惑いながらも、
現実を少しずつ受け止めてゆく瀧と三葉。
残されたお互いのメモを通じ、
時にケンカし、時に相手の人生を楽しみながら状況を乗り切っていく。


だが、ある日突然、入れ替わりが起こらなくなってしまう。
三葉に直接会いに向かった瀧。
しかし、そこには、意外な真実が……



映画を見た感想はというと、
やはり、映像が美しかった。
これまでの新海誠監督の諸作品と変わらず、
空や水や光の描写が秀逸で、
緻密で繊細なビジュアルには圧倒された。
この映像美だけでも“見る価値あり”と言えるだろう。




本作の主人公・立花瀧の声を担当した神木隆之介も、


ヒロイン・宮水三葉の声を務めた上白石萌音も、


役柄にぴったりの声で素晴らしかった。
ことに、瀧と三葉が入れ替わった時の声の表現が秀逸であった。


瀧と三葉以外では、
瀧のアルバイト先の先輩・奥寺ミキの声を担当した長澤まさみが良かった。
声に艶があり、声だけで惚れてしまいそうであった。(笑)
ジブリ映画『コクリコ坂から』でヒロインの声を担当していたが、
その時とはまったく異なる声で、その表現力にも驚いた。


『君の名は』といえば、
高齢者の方々は、1952年のラジオドラマを思い浮かべられることだろう。
脚本家・菊田一夫の代表作で、
「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」
といわれるほどであったという。(虚構であるという説もある)
ラジオドラマの人気を受けて、
松竹で映画化(1953年9月15日公開)されると、大ヒットを記録。
主人公・氏家真知子(岸恵子)のストールの巻き方が、
「真知子巻き」と呼ばれて女性の間で流行し、


「会えそうで会えない」という、
後の恋愛ドラマでもよく見られるパターンの典型にして古典となった作品である。
雲仙の地獄めぐりをしたことのある人なら御存じだと思うが、
ここには「真知子岩」がある。
春樹(佐田啓二)と真知子(岸恵子)が二人の時間を楽しんだ場所として、
映画のワンシーンに登場するのだが、
この時、真知子が手をついた岩が「真知子岩」と名付けられ、
今も観光名所となっている。


ラジオドラマはもちろん、
映画公開時にも私は生まれていなかったが、
映画の方は、10年ほど前に佐賀の映画館で見たことがある。
『君の名は』は三部作となっているが、
『君の名は』(第一部)1953年9月15日公開・127分
『君の名は』(第二部)1953年12月1日公開・120分
『君の名は』(第三部)1954年4月27日公開・124分
この三部作を連続で一気上映する催しがあり、
楽しく見ることができた。




ラジオドラマや映画は知らなくても、
1991年4月1日から1992年4月4日まで、
NHK連続テレビ小説30周年記念作品(第46作)として放送された『君の名は』の方は、
御存じの方も多いのではないかと思う。
鈴木京香主演で、高視聴率が期待されたが、
最高視聴率34.6%、期間平均視聴率29.1%とも、
本ドラマ終了時点での当時の歴代最低を記録。
やや残念な結果に終わったのだが、
現在の朝ドラの視聴率に比べれば遙かに高い。
鈴木京香もこのドラマで一躍有名になった。


このラジオドラマや映画やTVドラマの『君の名は』において、
基調となっているのは、
主人公二人の“すれ違い”である。
今回紹介しているアニメ映画『君の名は。』でも、
その“すれ違い”が活かされているのは面白い現象だ。


スマホなどの連絡手段のない昔ならいざしらず、
いろんな連絡手段のある現代で、この“すれ違い”を行うことは、
逆に困難なことに思われる。


それを、新海誠監督は、SF的に、意外なカタチで魅せる。
すれ違う想いを、精神的・物理的な距離や時間で描くのだ。
ことに、距離感が秀逸。
心の距離、
物理的な距離、
生きている速度の距離の描き方が絶妙。




かつて大ヒットした『君の名は』が、
新海誠監督作品『君の名は。』として新しく生まれ変わったような気がした。


脚本も担当している新海誠監督は、
瀧と三葉をどのように出逢わせるか……と考えた時、
古今和歌集で詠まれている小野小町の歌、

「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」

からヒントを得たという。

あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを。

といったような意味だが、
この和歌に、映画1本を見るくらいのスペクタクルを感じたのだそうだ。
この和歌から、「夢の中で入れ替わる」というストーリーが生まれたというのだ。

三葉の家系が神社であることや、
劇中でカギとなる“カタワレ時”の語源も万葉集から採られているし、
斬新で、現代的なアニメ映画『君の名は。』ではあるが、
その根幹となっているのが、案外、
60年以上前のラジオドラマや映画の『君の名は』や、
古今和歌集や万葉集にあるというのが面白い。
私のような中高年世代でも、
違和感なく見ることができたり、
懐かしさや、深い余韻を感じたりできるのは、
そういった古(いにしえ)の文学エッセンスが練り込まれているからなのではないかと思った。


すべての思春期の若者と、
思春期の残滓を抱えた大人のための映画です。


と、新海誠監督は語っていたが、
若者だけでなく、中高年世代が見ても楽しめる内容になっているのが嬉しい。


音楽を担当しているのは、若者に人気があるRADWIMPS(ラッドウィンプス)。

(左から新海誠、RADWIMPSの野田洋次郎、桑原彰、武田祐介)

「曲を聴いた上で作りたいシーンがいくつかある」
という新海の要望を受けて制作初期から作品に携わり、20曲以上を作り上げ、
そのうち、
「前前前世」
「スパークル」
「夢灯籠」
「なんでもないや」
の4曲が主題歌として採用された。

恥ずかしさからストレートな表現を避けてしまうことがあります。それを見逃さなかった監督から、「物語が貫こうとするど真ん中を全力で歌ってほしい」との言葉があった。だからこそ今回、正面から“恋”を歌うことができました。

とは、RADWIMPSの野田洋次郎の弁。
驚いたのは、映画の冒頭からRADWIMPSの主題歌が流れること。
まるで、TVアニメのオープニングのような感じなのだ。
それだけではなく、
映画の途中でも歌詞つきの曲が随所に流れる。
音楽を題材にした映画ならともかく、
そうではない作品で、これほど歌詞付きの曲が流れるのは珍しい。
ここは賛否が分かれるところだと思うが、
中高年世代の私には、やや煩(うるさ)く感じた。
言葉が必要ではない場面でも、
しつこく主題歌の歌詞が追いかけてくる。
これほど言葉や曲に頼らなくても、見る者に十分に伝わるのではないか……と思った。
そこだけはちょっと残念な気がした。

新海誠監督のマイナーな部分を愛してきた私だが、
スケールアップしたメジャーなエンターテインメント作品を制作するうえで、
これまでの新海誠監督作品にはなかったものが、
主題歌を含め、今回の『君の名は。』には少なからずあった。
そこに、違和感をおぼえたりもしたが、
こういったことは、これからの監督にとって必要不可欠なことだったのであろう。
新海ワールドが、今後、どのように変化していくのか、
楽しみに待ちたいと思うし、
見届けたいと思っている。


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