森人 もりと

森では人も生きものも ゆっくり流れる時間を生きています

風のまち

2022-05-21 | 日記


 毎年、この時季になると日本海まで車を走らせます。
 それは大切な仕事のひとつである、鉱石採取のためです。
 鉱石採取といえば聞こえはいいのですが、つまりは河川や海岸での石拾いです。
 このところ気温は徐々に上昇して、晴てくれれば日中は15℃を下ることはない
 ので、長い時間野外にいても冷えこむことはありません。
 また山の雪もほぼ消えて、雪解け水で河川が荒れたり水面上昇することもなく
 なりました。
 いよいよその時季がやってきたのです。
 ただ、最近しょっちゅう出没しているクマには気を付けなければなりません。
 
 先日はお天気にも恵まれ快適なドライブでした。
 道南は逆T字形の半島で東は噴火湾(太平洋)で西は日本海です。
 一番細いところでは双方の距離は、わずか30kmしかありません。
 自分の小屋は、逆T字の根元あたりの噴火湾に近い場所にありますが、それでも
 100kmも走れば日本海に到達します。
 日本海を南下して目的地にいくのですが、途中にやたらと風の強い地域を通ります。
 それが風のまちです。プロペラのあるまちです。



 かってこの海からはニシンやタラが豊富に獲れ、海岸は漁師たちの舟や漁具で溢れ
 かえっていました。
 獲れたものは乾燥させて、それぞれ身欠きニシンと棒ダラになり、北前船で本州に
 運ばれていきました。
 とくに京都では、コンブと共に貴重な食材として扱われたようです。
 我々は正直いって、どこでどんなふうに使われているのか、あまり関心がありません
 でした。
 しかし、京都でニシンそばを食べたときにはビックリ仰天しました。と同時に関西人
 の料理の凄さを感じました。
 また福岡で初めて辛子明太子を食べたときも、ショックを受けたものです。
 しかし、ニシンの大半は乾燥粉砕して、当時海外から持ち込まれた綿花の栽培の肥料
 として使われたそうです。
 特に江戸期の綿花栽培は、このニシン肥料がなかったら成功しなかったといっても
 過言ではないそうです。
 なにしろ、日本に綿が持ち込まれる前は絹と麻しかなかったのですから、画期的な
 ことだったのでしょう。
 
 そのニシンもタラも今ではほとんど獲れません。
 とくにニシンは100年ほど前にパッタリいなくなってしまいました。
 人々は悲嘆にに暮れました。
 そして今、ニシン代わってこの白いプロペラが現れました。
 やっと新しい道が開けたのです。
 しかし、年寄りたちは100年前の悲惨なニシン漁のことが頭をよぎります。
 この風もある日を境に、パッタリと吹かなくなるのではないかと。
 そのいちばんの不安要素は地球の温暖化による気候変動です。
 
 いやしかし、悪いことばかりではないと思います。
 逆にもっと強くて止まない風が吹くようになるかもしれません。
 そうしたらもっともっとプロペラを増やして、安定した豊かな生活ができるので
 すから。
 今は風の神に祈りましょう。

 遠くにユーラップ岳がまだ雪を被っていました。
 その昔アイヌさんたちに神山として崇められた山です。
 今またお願いいたします。
 麓ではモコモコした八重の桜が満開でした。