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トルコ旅行 11 ヒッタイト帝国の都ハットゥシャ-3

2015年01月11日 | 海外旅行
トルコ旅行3日目(10/1 )、ヒッタイト帝国の都「ハットゥシャ(トルコ語でハットゥシャシュ)遺跡」の大神殿の見学を終え、ライオン(獅子)門へ向かいました。


「ハットゥシャ」の概略地図です。

現地の案内板や、複数の観光案内の地図を参考に自作したもので、かつて城壁に囲まれていたと思われるエリアをピンク色に塗っています。

北の「下市」エリアの大神殿からツアーのバスに乗り、南の「上市」エリアへ地図に記載した矢印の順で回ります。



前回紹介した「ハットゥシャ」の大神殿を見下ろした風景です。

「ハットゥシャ遺跡」の見学を終えて、カッパドキアへ移動する山道から見えた風景で、写真右に見える白い塔の手前に復元された城壁が見え、写真左端の木立の辺りに大神殿の駐車場があります。

南の「上市」エリアへは、大神殿の駐車場から左手に進んで行きます。



上の写真の左に続く「ハットゥシャ遺跡」の風景です。

写真右端の赤い矢印の場所が大神殿の駐車場で、左の矢印の少し先にはライオン(獅子)門があります。

冒頭に掲載した遺跡の概略地図にある大城塞や、南城塞など、遺跡の東側は、岩山の陰で見えていませんが、左の矢印まで長い上り坂が続いている様子が分かります。



等高線が記載された「ハットゥシャ遺跡」の地図です。

遺跡の見学を終え、遺跡の北にあるレストランでの食事の時、店先に掲示されていた案内地図を撮ったものです。

北の大神殿付近の標高が1000m、南端の「スフィンクス門」付近が1237mと、ヒッタイト帝国の都は標高差237mにも及んでいたようです。

遺跡地図の道路に標高差50m毎のポイントを記していますが、次の見学スポット「ライオン門」から「スフィンクス門」までの傾斜が大きいことが分かります。



写真上段は、「ライオン門」へ向かう途中、上の地図の★印の場所を、南側から見下ろした風景で、写真下段は、写真右上部分を拡大したものです。

斜面に続く石積みは、大神殿から南東の大城塞を囲んでいた城壁と思われ、南の「上市」が拡張される以前のものと思われます。

道路から城壁前までの間は、急斜面になっており、城壁から迫る敵に安定した足場を与えないよう考慮されたものと思われます。

道路脇に駐車し、城壁まで歩いて見物する人が見られますが、ゆっくりと自由に見学できるのはうらやましい限りです。



写真上段は、「ライオン(獅子)門」を城壁の内側から見た風景で、写真下段は、ライオン像のある外側から見た風景です。

門の両脇に刻まれたライオン像にはタテガミが見られず、雌ライオンと思われますが、吠えるように口を開けた巨体には迫力がありました。



そばの案内板にあった「ライオン(獅子)門」の写真です。

上段は、現在の風景、下段はヒッタイト帝国時代の姿に復元されたものと思われます。

かつての門は、かなり高い石積みとなっており、ライオン像が刻まれた石柱も左右がアーチでつながっていたようです。

又、石積みの上には大神殿の北側に復元された城壁と同様、日乾レンガの建物がそびえていたと思われ、堂々たる姿が思い浮かびます。

入口の縦長のアーチは、古代ローマ遺跡などで見られる半円形のアーチ型とは違う独特のデザインで、アーチ構造の発展過程の形式だったのかも知れません。



左右のライオン像の画像を合わせたものです。

向かって左の像は、風化が激しく、最近レプリカに代えられたようで、かつての姿がよく復元されたものと思われます。

向かって右は、紀元前13世紀に上市が拡張された当時からのものと思われ、顔や足に破損が見られます。

ヒッタイト時代以前からアナトリアに大きな影響を及ぼしたメソポタミア北部のアッシリアでもライオンは、女神など様々な神の属獣とされ、門を守るライオン像は、やがてインド、中国、朝鮮半島を経由して日本にも伝わり、狛犬となったと思われます。

かつてアフリカからインドに及ぶエリアに生息したとされるライオンですが、有名な古代アッシリアのライオン狩りのレリーフ(大英博物館 )にもあるように当時は危険を冒してでも狩る必要がある恐ろしい猛獣だったようです。

しかし、百獣の王である雄ライオンの姿ではなく、雌のライオン像としたことが気になります。

2014年12月08日、このブログに掲載のヤズルカヤ遺跡のレリーフにも主神「テシュプ」と向き合う女神(配偶神)「へパト(アリンナ)」がパンサーの上に立って属獣としている姿が見られ、ライオンを雌としたことに関連があるのでしょうか。



向かって左のライオン像の上半身の拡大写真です。

キバがなく、長い舌を出した表情は、門の前に来る敵を威嚇するための表現とも思えず、顔の輪郭や、耳などに抽象化されたデザインが見られるのは門の守護神としての表現形式があったのでしょうか。

「世界歴史の旅トルコ」(大村幸弘著、山川出版社)によると、「左手の破損している獅子(レプリカに取り替えられる前の像)の頭部左上にはヒエログリフ(象形文字)が刻まれており,光線の具合によって読み取ることができる。」とあり写真を拡大して見ましたがよくわかりませんでした。

Webサイトwikipediaのハットゥシャのページにレプリカに代えられる前の顔が破損したライオンの門の写真が掲載されていましたが、やはり復元されたこの像が見ごたえがあります。



向かって右のライオン像の上半身の拡大写真です。



これは上市が建設された当初からの石像と思われ、三千年を超える歳月によく残ったことや、この像から左の像をよく復元したことに感心します。

明治時代以前の神社の狛犬がひどく風化している姿を見るにつけ、当時の石材の選定にしっかりしたノウハウがあったことがうかがえます。

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