11/13 イタリア旅行5日目 11:30頃、天空の町チヴィタを出発、ローマで遅い食事を終え、15:00前から市内観光がスタートです。
バスの中程、通路側から撮ったため、少し見づらい写真になりました。
バスの窓から見えてきた共和国広場(地図-1)の「ナイアディの噴水」です。
共和国広場は、ローマの中央駅「テルミニ駅」から近い大きなロータリーの交差点で、丸い「ナイアディの噴水」は、その中央にあります。
中央の像は、ギリシア神話の海神グラウコスが抱え上げたイルカの口から勢いよく水が噴き上がる躍動感あふれるすばらしい石像でした。
周りにも特徴のある四つの像があり、20世紀初頭に造られた施設のようですが、なかなかの力作のようです。
広い円形のロータリーの外周に沿って回廊のある大きな建物が印象的でした。
(この写真にはありませんが・・・)
ローマ市内の地図です。
赤い字の番号順に観光をし、1~3の移動は、バスの車窓からの観光です。
トレビの泉(地図-4)や、スペイン広場(地図-5)では夜になり、写真で見る昼の風景とはまったく違うものでした。
バスの窓から「ヴェネツィア広場」が見えて来ました。
正面の白い壮大な建物は、1870年にイタリアを統一した「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」を讃える記念堂で、1911年に完成した建物です。
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」は、統一の過程で首都をトリノ、フィレンツェ、最期にローマへ遷都しました。
イタリアが統一された時期は、日本で明治維新による新たな国づくりが始まった頃で、親しみを感じます。
交通量の多い中、すぐ近くを前時代的な馬車が走っているのには驚きです。
又、横断歩道のない広い車道を平気で横断している人にも驚きました。
建物中央の柱の上にさっそうと馬に乗る「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」の巨大な銅像がそびえていました。
その下に杖のような棒を右手に持つ白い像は、「ローマの像」と呼ばれているようです。
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」に向かって左にそびえるこの群像は、観光案内では「労働の勝利」とされています。
バスが近づいた時、撮った写真で、像全体はよく分かりませんが古代ローマ時代の彫刻を彷彿とします。
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」に向かって左側にあるホテルの建物です。
建物の壁に翼のある獅子像は、ヴェネツィアの守護聖人「聖人マルコ」の象徴で、広場の名前ヴェネツィアにちなんだものと思われます。
サン・マルコ広場で見た有翼の獅子像をなつかしく思い出します。
その向かいには「ヴェネツィア宮殿」がありましたが、写真が撮れませんでした。
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」の前から東方向を見た風景です。
ヴェネツィア広場の東に面してクーポラ(円蓋)がある「サンタ・マリア・ディ・ロレート教会」があり、鐘楼の屋根も小さなクーポラになっています。
このクーポラの向こうにも同じ様なクーポラ(円蓋)が少しのぞいています。
東隣にある「サンティッシモ・ノーメ・ディ・マリア・アル・フォロ・トライアノ教会」のようです。
ファサード側の南から二つの教会を見ると、よく似た建物のようですが、由来など特筆する情報は見つかりませんでした。
この教会付近から右手(東南方向)は、古代ローマ帝国時代の諸皇帝が増設した公共広場「フォーリ・インペリアーリ」があり、地図-2から地図-3コロッセオまでの道は、「フォーリ・インペリアーリ通り」と呼ばれています。
サンタ・マリア・ディ・ロレート教会の前に大きな柱が立ち、その上に銅像が乗っていました。
この柱は、「トラヤヌスの記念柱」[CoIonna Traiana]で、古代ローマ帝国の黄金期の第13代皇帝トラヤヌス(在位:98-117年)のダキア戦争(ルーマニア・トランシルヴァニア地方)での勝利を讃え、113年に皇帝の墓として造られた施設とされます。
「トラヤヌスの記念柱」は、高さ約40mの巨大な大理石19個を積み重ねたもので、円柱内部には、らせん階段を彫り、頂上の見晴らし台まで歩いて登れるようです。
トラヤヌス帝によるダキア戦争の勝利は、ローマ帝国へダキアから産出する多量の金銀をもたらし、ローマの繁栄は絶頂期になって行きます。
トラヤヌス帝の時代、ローマ帝国の支配地域は、地中海沿岸を中心にイギリスからカスピ海西岸に及び、史上最大となったとされています。
柱表面には下かららせん状に絵巻物を巻きつけたように2度に渡るダキア戦争の様子が浮彫りで描かれ、当時の様子が生々しく伝わってくるそうです。
(とは言え、実際に見ることが出来るのは、地面から眺める範囲と思われますが・・、作ることが目的でもないはずで、信仰的な理由でもあったのでしょうか・・・。謎の絵です。)
2世紀に造られた高さ40mの「トラヤヌスの記念柱」が現代まで残ったことは、奇跡的とも思えますが、頂上にあったトラヤヌス帝の像は、聖ビエトロ像に取り換えられています。
「ヴェネツィア広場」(地図-2)からフォーリ・インペリアーリ通りを「コロッセオ」(地図-3)へ走るバスの窓から風変りな建物が見えて来ます。
141年建造の「アントニヌスとファウスティーナの神殿」を11世紀に改築し、「サン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会」としているようです。
「アントニヌスとファウスティーナの神殿」は、第15代ローマ皇帝(在位:138~161年)が、亡くなった皇后ファウスティーナのために建造し、その後に皇帝も祀られたものです。
ファサード(建物正面)は、見えませんが、観光案内の写真を見ると、前面に高さ17mのコリント式の柱10本の古代神殿があり、後方に改築された教会が組合わされ、歴史の変遷を感じる建物です。
この辺りは、古代ローマの中心地「フォロ・ロマーノ」の遺跡が続く場所でした。
ガイドブックを見ながら、ゆっくりと歩いて見たかった場所です。
バスは、陽が傾き始めた「コロッセオ」へ向かいました。
バスの中程、通路側から撮ったため、少し見づらい写真になりました。
バスの窓から見えてきた共和国広場(地図-1)の「ナイアディの噴水」です。
共和国広場は、ローマの中央駅「テルミニ駅」から近い大きなロータリーの交差点で、丸い「ナイアディの噴水」は、その中央にあります。
中央の像は、ギリシア神話の海神グラウコスが抱え上げたイルカの口から勢いよく水が噴き上がる躍動感あふれるすばらしい石像でした。
周りにも特徴のある四つの像があり、20世紀初頭に造られた施設のようですが、なかなかの力作のようです。
広い円形のロータリーの外周に沿って回廊のある大きな建物が印象的でした。
(この写真にはありませんが・・・)
ローマ市内の地図です。
赤い字の番号順に観光をし、1~3の移動は、バスの車窓からの観光です。
トレビの泉(地図-4)や、スペイン広場(地図-5)では夜になり、写真で見る昼の風景とはまったく違うものでした。
バスの窓から「ヴェネツィア広場」が見えて来ました。
正面の白い壮大な建物は、1870年にイタリアを統一した「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」を讃える記念堂で、1911年に完成した建物です。
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」は、統一の過程で首都をトリノ、フィレンツェ、最期にローマへ遷都しました。
イタリアが統一された時期は、日本で明治維新による新たな国づくりが始まった頃で、親しみを感じます。
交通量の多い中、すぐ近くを前時代的な馬車が走っているのには驚きです。
又、横断歩道のない広い車道を平気で横断している人にも驚きました。
建物中央の柱の上にさっそうと馬に乗る「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」の巨大な銅像がそびえていました。
その下に杖のような棒を右手に持つ白い像は、「ローマの像」と呼ばれているようです。
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」に向かって左にそびえるこの群像は、観光案内では「労働の勝利」とされています。
バスが近づいた時、撮った写真で、像全体はよく分かりませんが古代ローマ時代の彫刻を彷彿とします。
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」に向かって左側にあるホテルの建物です。
建物の壁に翼のある獅子像は、ヴェネツィアの守護聖人「聖人マルコ」の象徴で、広場の名前ヴェネツィアにちなんだものと思われます。
サン・マルコ広場で見た有翼の獅子像をなつかしく思い出します。
その向かいには「ヴェネツィア宮殿」がありましたが、写真が撮れませんでした。
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」の前から東方向を見た風景です。
ヴェネツィア広場の東に面してクーポラ(円蓋)がある「サンタ・マリア・ディ・ロレート教会」があり、鐘楼の屋根も小さなクーポラになっています。
このクーポラの向こうにも同じ様なクーポラ(円蓋)が少しのぞいています。
東隣にある「サンティッシモ・ノーメ・ディ・マリア・アル・フォロ・トライアノ教会」のようです。
ファサード側の南から二つの教会を見ると、よく似た建物のようですが、由来など特筆する情報は見つかりませんでした。
この教会付近から右手(東南方向)は、古代ローマ帝国時代の諸皇帝が増設した公共広場「フォーリ・インペリアーリ」があり、地図-2から地図-3コロッセオまでの道は、「フォーリ・インペリアーリ通り」と呼ばれています。
サンタ・マリア・ディ・ロレート教会の前に大きな柱が立ち、その上に銅像が乗っていました。
この柱は、「トラヤヌスの記念柱」[CoIonna Traiana]で、古代ローマ帝国の黄金期の第13代皇帝トラヤヌス(在位:98-117年)のダキア戦争(ルーマニア・トランシルヴァニア地方)での勝利を讃え、113年に皇帝の墓として造られた施設とされます。
「トラヤヌスの記念柱」は、高さ約40mの巨大な大理石19個を積み重ねたもので、円柱内部には、らせん階段を彫り、頂上の見晴らし台まで歩いて登れるようです。
トラヤヌス帝によるダキア戦争の勝利は、ローマ帝国へダキアから産出する多量の金銀をもたらし、ローマの繁栄は絶頂期になって行きます。
トラヤヌス帝の時代、ローマ帝国の支配地域は、地中海沿岸を中心にイギリスからカスピ海西岸に及び、史上最大となったとされています。
柱表面には下かららせん状に絵巻物を巻きつけたように2度に渡るダキア戦争の様子が浮彫りで描かれ、当時の様子が生々しく伝わってくるそうです。
(とは言え、実際に見ることが出来るのは、地面から眺める範囲と思われますが・・、作ることが目的でもないはずで、信仰的な理由でもあったのでしょうか・・・。謎の絵です。)
2世紀に造られた高さ40mの「トラヤヌスの記念柱」が現代まで残ったことは、奇跡的とも思えますが、頂上にあったトラヤヌス帝の像は、聖ビエトロ像に取り換えられています。
「ヴェネツィア広場」(地図-2)からフォーリ・インペリアーリ通りを「コロッセオ」(地図-3)へ走るバスの窓から風変りな建物が見えて来ます。
141年建造の「アントニヌスとファウスティーナの神殿」を11世紀に改築し、「サン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会」としているようです。
「アントニヌスとファウスティーナの神殿」は、第15代ローマ皇帝(在位:138~161年)が、亡くなった皇后ファウスティーナのために建造し、その後に皇帝も祀られたものです。
ファサード(建物正面)は、見えませんが、観光案内の写真を見ると、前面に高さ17mのコリント式の柱10本の古代神殿があり、後方に改築された教会が組合わされ、歴史の変遷を感じる建物です。
この辺りは、古代ローマの中心地「フォロ・ロマーノ」の遺跡が続く場所でした。
ガイドブックを見ながら、ゆっくりと歩いて見たかった場所です。
バスは、陽が傾き始めた「コロッセオ」へ向かいました。