昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「オホホ」のお面と、西表島の集落「干立」

2007年06月11日 | 沖縄の旅
浦内川から県道を西に行き、干立集落に立ち寄ってみました。



八重山民俗園に風変わりなお面が展示されていました。
園内に入ると正面に「旧牧志邸」があり、玄関に向かって左にあるガラス窓の中にこのお面が展示されています。
西表島のお祭りに登場する「オホホ」のお面だそうです。
「ダァトゥーダ」小浜島と説明された黒い顔のお面と並んで「オホホ 西表 干立」と説明されており、「干立(ほしだて)」に興味を持ちました。


干立と、祖納の地図です。
「干立(ほしだて)」は、西表島の北西部にあり、浦内川と、祖納に挟まれた位置にあり、約60世帯の集落です。
一番上の赤丸は、干立御嶽(フタデウガン)の場所です。
地名や、スポットの名に「干立」「星立」とあり、(ほしだて)と読ませているようですが、どうも地元では「フタデ」とよぶようです。


「干立」の海岸で、南北に走る海岸線の北を見た景色です。
二つの岩(小島)が見えますが、「トゥベラー石」と呼ぶ夫婦石だそうです。

こちらでは大きな石を「岩」と呼ばず、「石」と呼ぶようです。
平久保の「アイナマ石」も同様の例だと思います。
浦内川の「軍艦岩」は、例外のようですね。


海岸の様子です。
砂浜と、防風林の間にコンクリートの道が造られていますが、護岸の目的もあるようです。


コンクリートの道の脇に変わった碑がありました。
「国指定 干立の節祭 重要無形民族文化財の碑 平成3年2月21日」とあります。
祖納の節祭と合わせて重要無形民族文化財に指定を受けたようです。
又、碑の台が船の形で、船体に青・白・赤の波型の線の模様があります。
舟の模様は、パンフレットなどで八重山各地のものを目にしますが、地域により色や、並び順が少し違っているようです。


碑の隣が干立御嶽(フタデウガン)の門に入る参道になっています。
ここで、毎年旧暦の8~9月の己亥の日から3日間、集落をあげて「節祭」が行われるようです。
お祭りの1日目は、年の夜(トゥシヌユ)と言われ、大晦日と考えられているようです。
農業の一年のサイクルの終わりと、初めを一年の区切りとして、新暦の秋頃に行われていることを考えると、現在の暦の一年がなぜその時期に設定されたのか説明できない自分を発見します。


干立御嶽の右(南)から見た風景です。
八重山民俗園にあったお面、「オホホ」は、「節祭」で祭りを盛り上げる役割を演じているようです。
八重山毎日新聞の記事では、「ミルク行列の途中では、ユニークな面をかぶった「オホホ」が登場。奇声を発しながら、おかしなしぐさを繰り返し、集まった人たちを笑わせた。」とあり、他の資料によると無節操な外国人を演じて、ミルクの神聖さを引き立てる役回りのようです。
八重山では様々な奉納芸能が現在でも盛んに行われていますが、経済的な効率性を至上のものとする現代、村落のお祭りを守り続けることが、次第に困難な状況になっていくことが懸念されます。


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