昔に出会う旅

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北海道旅行No.45 オホーツク海にそびえ立つ聖地「北見神威岬」

2010年11月08日 | 北海道の旅
7/18 北海道旅行5日目の朝、稚内市のホテルを出発して、網走市までオホーツク海沿岸の約320Kmの旅に出発しました。

雨模様の日でしたが、北海道らしく起伏や、カーブの少ない道で、海を見ながらのゆったりとしたドライブでした。



オホーツク海沿岸の国道238号を南下していくと正面にトンネルの入口が見え、山が立ちふさがるようにそびえていました。

左手に見える岬が「北見神威岬[きたみ かむい みさき]」です。

稚内から宗谷岬の南のショートカットして走り、猿払村の「さるふつ公園」にも立寄りました。

「さるふつ公園」では、「ふるさと観光まつり」の開催中で、駐車場へ入る車の長い行列が誤算でしたが、「風雪の塔」と呼ばれるオランダ風の風車を見ることが出来ました。



全体が「北見神威岬」付近の地図で、左下の北海道全体の地図では赤い丸印付近になります。

「北見神威岬」への道は、国道238号の北オホーツクトンネルを迂回する道で、トンネルの出来る以前は、国道だったようです。

宗谷岬から平坦で、直線的な海岸が続いていますが、この辺りを境に海岸の地形が違っているように思え、地層について調べてみました。

南の「襟裳岬」から「日高山脈」「大雪山系」を通り、「北見神威岬」へ続く、「日高累層群※」が貫いていることが分かりました。(※累層群とは、複数の地層のまとまり)

「日高累層群」は、「北見神威岬」から更に海底を北へサハリンまで続いているそうです。

標高が色で表現されている地図で、サハリンから襟裳岬に続く山地をながめていると、そこを貫く山脈の様なものが見えて来ます。

同じような累層群では、「四万十累層群」があり、房総半島から南アルプス、紀伊山地、四国山地、九州山地を通り、沖縄本島までつづいているそうです。

信仰の岬「北見神威岬」は、北海道を縦断する巨大な「日高累層群」がオホーツク海に沈む場所でもありました。



道路の分岐点に近い場所から見た「北見神威岬[きたみ かむい みさき]」です。

ゴジラの背を想わせる険しい峰が続き、迫力のある景色でした。

「北見神威岬」の名は、アイヌ語の「カムイ」=神、「エトウ」=鼻を合わせ、「神の鼻」を意味する地名が元になっているそうです。

上の「北見」は、北海道南部の積丹半島にある「神威岬」と識別するため、オホーツク海岸一帯に付けられた名称「北見国」を上に付けたようです。

「北見国」は、明治維新に続く箱館戦争が終結した直後に、稚内周辺から知床半島までのエリアを日本の古代から続く、地方の国名に加えられた名称です。



道の向こうに岬の先端が見えてきました。

右手の岩山は、上にいくほど人を寄せ付けない垂直の断崖になっています。

かつて、この岬を旧国鉄の「興浜北線」が走っていたそうで、山裾に並ぶ電信柱の列にその名残りを見ることができます。



岬の先端付近ににある小さな駐車場付近から見上げた「北見神威岬灯台」です。

岬の山上にそびえる灯台と違い、岩山の中腹に立つ「北見神威岬灯台」は、神の山を意識したような控えめなたたずまいです。

灯台の白と、黒の縞模様は、「北見神威岬」の神聖なイメージへの配慮だったのでしょうか。



「北見神威岬」先端の海岸です。

おだやかな海でしたが、冬には白い流氷の世界に変わってしまうのでしょうか。



「北見神威岬」の南にある「北見神威岬公園」に来ました。

広い駐車場もあり、ゆっくりと岬の景色を楽しませて頂きました。



この後に見学した枝幸町の「オホーツクミュージアムえさし」で頂いた町の新聞です。

「北見神威岬」が国の名勝となった記事があり、紹介させて頂きます。

この記事の他、「北見神威岬」の岩山に登った記事もあり興味深く読ませて頂きました。

■オホーツクミュージアムえさし通信の記事です。
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オホーツクミュージアムえさし通信
№1192009年11月20日発行
枝幸町・浜頓別町の「神威岬」が国の名勝に!
11月20日に開催された国の文化審議会(文化財分科会)で審議・議決された結果、枝幸町と浜頓別町の「神威岬」が、新たに国の名勝として指定されることがついに決まりました(写真左下,神威岬)。
「名勝」とは、日本を代表するような素晴らしい風景を国が指定し保護するもの。美術乍品で言えば「重要文化財」に該当する重みがあります。本州では松島(宮城県)や兼六園(石川県)、金閣寺庭園(京都府)などが同じ名勝です。
 枝幸町目梨泊から浜頓別町斜内に広がる神威岬は、アイヌ語で「神の・鼻」を意味する「カムイ・エトウ」が語源です。その名の通り、アイヌ民族にとって「神様」の宿る神聖な場所として大切にされてきました。また、この地に入植した開拓者は、神威岬に龍神が宿るとして厚く敬つてきました。
 北海道の屋根とも言われる日高山脈がオホーツク海へと沈む最北端でもあり、岬先端では初夏になると様々な高山植物が咲きほこります。アイヌ文化の聖地であり、北オホーツクを象徴するような素晴らしい景観です。
 枝幸町では浜頓別町と協力しながら、指定にむけて2年越しの準備を進めてさました。アイヌ民族の伝承を調べるため江戸時代の文献を調査したり、実際に神威岬に登って植生分布を記録したりしました。調査の結果、神威岬の自然や地質、歴史に関する様々な背景が明らかになり、貴重な情報を手写ることができました。
 今回の指定は「カムイ」にまつわるアイヌ民族の伝承を重視し、岬先端から背後の山々にかけての、実に1,247,000nてを名勝として指定いただきました(ほぼ写真上の範囲)。これで神威岬の全土或を文化財として保護する体制が整ったことになります。
 残念なことですが、神威岬周辺では、観光客のポイ捨てや不法投棄がいまだに見られます。たとえば京都や金沢の人たちが、金閣寺や兼六園に空き缶をポイ捨てするでしょうか。一部の心ない人々の行動は美しい神威岬の景観を台無しにしているのです。
 今後は、白本を代表する景勝地として私たらが大切に守っていかなければなりません。
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神威岬は古代のランドマーク
 上の記事でもご紹介しましたように、神威岬はアイヌ民族の聖地として厚く敬われてきました。一万、神威岬の南側にはオホーツク文化期最大の集落の一つ、目梨泊遺跡(8世紀頃)があります。目梨泊遺跡からは大陸や本州からもたらされた数々の装飾品、武器が見つかり、古代の「交易港」として一足琶注目を集めました。なぜ、この場所に古代北方世界で最大級の「交易港」が成立したのか・‥その鍵を握っているのが、実は「神威岬」だったのです。

 神威岬の名勝指定にあたり、洋上からの写真を提出してほしいとの文化庁の指示を受け、船外機で沖合に向かいました。洋上の神威岬は、はるか彼方からでもはっきりと見える格好の目印でした(写真上)。神威岬よりも北に行くと、なだらかな宗谷丘陵が広がるだけで山らしい山はなくなります。
 古代の航海者たらは日本海の荒波を越え、宗谷海峡をまわって自梨泊へとやって来ました。神威岬は古代人にとって航海に欠かせない大切なランドマークだったのです。神威岬は、北の交易路を切り開いた歴史的な場所でもあったのです。
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「北見神威岬公園」から見た「北見神威岬」先端の岩山です。

北から見る「北見神威岬」は、怒りさえ感じる荒々しい姿に見えましたが、南から見る岩山は、姿が整い、秩序のある力を感じます。



公園から見た「北見神威岬」の全景で、左手の峰は地図にもある「斜内山」です。

「北見神威岬公園」のすぐ南の丘陵に「北見神威岬」を望む「目梨泊遺跡」がありました。

古墳時代から平安時代の長い時代にサハリンからオホーツク海沿岸の地域に栄えた海洋狩猟民「オホーツク人」の遺跡だそうです。

アイヌの聖地「北見神威岬」は、「オホーツク人」から引き継がれ、長い時代に渡って崇められたものと思われます。

「目梨泊遺跡」から発掘されたたくさんの遺物は、この後行く「オホーツクミュージアムえさし」に展示されていました。

このオホーツク海沿岸で、大陸や、本州と広く交易をした幻の「オホーツク人」に強い興味をひかれました。


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