昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「草戸山」ツツジが咲く散策道 と「中山城跡」

2012年04月23日 | 山歩き
4/21(土)10時頃、うららかな天気に誘われて妻と、福山市街地の西にそびえる草戸山付近を散策しました。

葉桜の季節になりましたが、昨年、草戸山付近の山道に、たくさんのツツジが咲いていたのを思い出して来たものです。



標高120mの草戸山に建つ展望台です。

らせん状の通路を上った屋上が展望台ですが、「明王台配水池」と呼ばれる水道関係のタンクを利用した展望台です。



草戸山付近の地図です。

展望台までは、国道2号の神島橋西岸の少し南から住宅団地「明王台」へ入り(赤い矢印の道)、公園の無料駐車場[P]へ車を置き、長い階段を登ってきました。

散歩は、駐車場から赤丸印の3地点を往復するコースです。

「三叉路」「中山城跡」の場所はデジカメで記録された誤差のある位置情報から推定して記したものです。

展望台から歩道を示す破線が南東に伸び、「半坂」地区まで続いていますが、「竈神社」や「番神社」へ続く道も案内表示されています。

「竈神社」は、山道の案内標識に「半坂カマド」と不思議な名前で案内された先にある神社で、半坂地区にある竈[かまど]神社を示す通称だと思われます。



フェンスで囲まれた展望台の内側の壁に福山市の観光イベント「鞆の鯛網」の風景が描かれていました。

らせん状の通路を登ると雪景色の明王院の絵に始まり、季節の順で阿伏兎観音、桜の咲く福山城、5月から始まる鞆の鯛網、お盆の花火大会、名勝鞆の浦、紅葉の猿鳴峡と福山市の名所が紹介されています。



展望台から北東方向、福山駅周辺の風景です。(空気が澄んでいた今年1月の写真です)

地図にもあるように眼下には芦田川、写真左端には福山城がありますが、よく見えていません。

写真左側にそびえる「蔵王山」からも福山市街地を見下ろす風景が見えますが、太陽を背にして見るこちらからの風景が美しく見えるようです。



南方向、新緑に染まる芦田川の河口方向の風景です。

河口の一番先に「河口堰」、その手前に「芦田川大橋」がありますが、春の霞で見えません。

散策の道は、左手の林の中を進んで行きます。



展望台から住宅団地の端を通る山道を進んで行きました。

花びらを散らしながらも遅咲きの桜がまだ咲いていました。

右手の住宅を過ぎると道は左にカーブし、林の中を進んで行きます。



散策道の各所に満開の美しいツツジ花が見られました。

花の色には、薄いピンクと、やや濃いピンクの2種類があるようです。



山道を進み、最初の坂を上りきった中に三叉路があり、直進「番神社」、右「半坂」の標識の下に新しく「草戸山城跡」の標識が右斜め手前方向を指しています。(写真右下は標識を拡大したものです)

又、白いプラスチック板の標識に「 ⇔中山城跡 福山山岳会」とあり、今年1月にここを歩いた時には無かった城跡の標識がありました。

確か、最近の新聞で城跡を見つけた記事があり、ここかも知れないと思い、行ってみることにしました。

山道を右折すると数メートルで道は二股に分かれ、「中山城跡」は右方向に行きます。(そこにも福山山岳会の白い標識あり)

写真には三叉路の先にもツツジが咲いていますが、この後に紹介する珍しいキノコが生えていたのはそのすぐ先にある松の木でした。



山道を1~2分歩いた「中山城跡」とされる場所です。

山頂一帯を平坦に整地してあるようですが、その広さは100坪位でしょうか。

途中の道や、この城跡には所々に細い木の切り株が見られ、新たに切り開かれたことがうかがえます。



城跡の西側にあった看板です。

「2012年(平成24年) 草戸山 城跡」とあり、やはり今年に作られたようです。

城跡の周囲は、立木で視界が遮られていますが、地形的には360度の展望が出来るものと思われます。

市街地から見上げると「草戸大橋」と、その上流の「法恩寺橋」の中間にそびえる山頂と思われます。

「中山城」に関する知識はまったくありませんが、中世に栄えた芦田川河畔の草戸千軒遺跡から見上げる場所にあり、興味がわいてきます。



道を引き返し、三叉路を少し進んだ道のすぐ脇にある松の木に珍しいキノコが生えていました。

直径約3センチの小さな栗饅頭のようなキノコで、初めて見る種類です。

キノコは、松の木の根元から這い上がるように、かなり上まで続いています。

ツヤのある栗色に食欲がそそられ、思わず手が出そうになりましたが、毒キノコかも知れないと思い自重した場面です。



芦田川を見下ろす尾根に沿った山道を進むと「番神社」にたどり着きます。

神社境内は、草戸大橋を見下ろす高い場所にあり、下の集落から長い階段が続いています。

小さな社殿内には「三十番神」と書かれた札や、「妙宗 三十番神 略縁起」の文章が書かれた額が掛けられていました。

この「妙宗」の文字から南の山にそびえる「妙見神社」との関連も想像されます。

かつて「中山城」は、「妙見神社」の場所が比定されていたようですが、次第に解明される中世の福山の歴史にも興味が湧いてきます。