昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

北海道旅行No.36 北斗市「トラピスト修道院」

2011年11月26日 | 北海道の旅
北海道旅行6日目 6/8(水)は、函館を基点に渡島半島南西部の海岸線に残る中世からの歴史スポットを訪れるコースでした。

函館から北海道南端の「白神岬」を回り、江戸時代まで蝦夷地の和人の中心地「松前」、中世の勝山館跡・花沢館跡など史跡が多く残る「上ノ国」、江戸時代から交易や鰊漁で栄えた港町「江差」などを訪れました。


最初のスポット「トラピスト修道院」に近づくと、長い直線の並木道が続いていました。

7:30頃函館市のホテルを出発、海岸沿の国道228号を西へ約40分、「トラピスト修道院」へ立ち寄りました。

朝靄が薄く立ち込めた並木道の両側には青々とした牧草地が広がり、ヨーロッパを感じさせる風景です。

「トラピスト修道院」では古くから修道士たちによる酪農が行われ、名産品のバタークッキーもここで作られているようです。



直線の並木道の先にレンガ造りの「トラピスト修道院」の建物がそびえていました。

上にそびえる塔は、後方の修道院の建物、下の塔は、前方の門の建物で、塔が上下に重なる姿は、荘厳です。

神社仏閣なら神門や、山門の後方に神殿や、本堂がそびえている風景といったころでしょうか。

直線の道も長い階段の下で左に進んで行きますが、右に曲がると駐車場です。



「トラピスト修道院」付近の地図です。

「トラピスト修道院」は、函館の西北海道北斗市三ツ石の函館湾の西岸付近にあり、海岸から約1Kmの場所です。



建物に登る階段の途中から後方を見下ろした風景です。

誰もいない駐車場の向こうにレンガ造りの建物が並んでいましたが、教会だったようです。

写真にはありませんが、駐車場脇に八重桜があり、散り始めていたものの、まだ美しい花がたくさん残っていました。

■階段の上り口に町の絵地図と、下記の案内文がありました。
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トラピスト修道院の由来
正式名は、厳律シトー会 灯台の聖母大修道院という。
明治29年(1896年)フランスから数名の修道士たちが木造の修道院を建てた。
日本で最初の男子修道院であります。
トラピストの生活は、祈り、労働、読書(聖なる書物)で、その1日は、祈りにより始まり祈りによって終わります。
創立以来、畑の開拓、農耕、牧畜、酪農に力を入れ、ホルスタイン乳牛の輸入をし、その普及は北海道の酪農振興に多大な貢献をいたしました。
明治36年、木造の修道院は消失した。
現在の二階建て本館は、明治40年着手し翌年完成しております。また聖堂は昭和49年に建てられたものです。

トラピストでつくられるバタークッキーは今では北海道を代表する特産品として全国的に広がり、上磯町が誇る一村一品であります。
日々、たえることなく鳴りひびくアンシェラスの鐘、黙々と祈りと労働を持って神に仕える修道士の姿、ここには異国にみる聖地の情景があり訪れる人々の心を和らげます。
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登りきった階段の横から見た「トラピスト修道院」の風景です。

並木道から見えた建物の風景とは違い、門から後方の建物までに意外な奥行きを感じます。



そびえる門の塔のファサードにはキリスト像が安置され、訪れる人を静かに見下ろしていました。

慈悲深い表情で胸の高さまで両手を上げ、何か語りかけている姿にも見えます。



正面から見た門の風景です。

後方の鉄柵が閉まり、入れるのはここまでのようです。

門を入るとすぐ左側に展示室があります。



鉄柵の隙間から見た「トラピスト修道院」の建物です。

ファサードの高い場所にはマリア像が安置され、「トラピスト修道院」の正式名称「厳律シトー会 灯台の聖母大修道院」を象徴しているようです。

急な階段から一変し、建物への道は、芝生の坂道でした。

建物の左手から上る車道もあり、踏み跡の少ない芝生を見ると通る人は少ないようです。



門の左手にある展示室の風景です。

小さな部屋の壁には修道院の歴史などを案内する写真や、案内文が展示されていました。

■正面の壁にある案内文です。
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トラピスト修道院の沿革
明治29年(1896年)にフランスから数名の修道士が来日して、津軽海峡を眼下に臨む当地にトラピスト修道院を設立しましたが、トラピストの歴史は古く、その起源は11世紀にまでさかのぼります。
聖ロペルト(1018年~1111年)は、現在の フランス・シトーの地に新修道院を創設し(1098年)、ここからシトー修道会が生まれました。
そして、1664年、シトー修道会に属するトラップ修道院(フランス)で、より厳格な生活を望む改革運動が起こり、この流れを汲むものをトラピストと呼ぶようになりました。
トラピスト修道院はカトリック教会に属し、日本国内には七つの修道院(その内五つは女子でトラビスチヌとして知られています)を持ち、国外には137の修道院(その内、50は女子)があります。聖書の教えと、聖ベネディクト(480年へ547年)の修道戒律に従い、「祈り・労働・聖なる読書」を中心とした観想生活を送っています。
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「創立当時の修道院(1903年消失)」と案内された写真が展示されていました。

上り口の案内板の説明文に「明治36年、木造の修道院は消失した。」とあり、1896年(明治29年)の創立からわずか7年で消失した建物の写真と思われます。



「日本のトラピスト修道院」と書かれた案内パネルがあり、他の場所にある6ヶ所の施設が紹介されていました。

男子修道院は、ここ「灯台の聖母大修道院」の他に「お告げの聖母修道院」(大分県速見郡日出町)があるようです。

女子修道院は、「天使の聖母修道院」(北海道函館市上湯川町)、「西宮の聖母修道院」(兵庫県西宮市)、「伊万里の聖母修道院」(佐賀県伊万里市)、「那須の聖母修道院」(栃木県那須町)、「安心院の聖母修道院」(大分県宇佐市安心院町)があるようです。



2009年8月に訪れた函館市上湯川町にある女子修道院「天使の聖母修道院(トラビスチヌ修道院)」の風景です。

函館市街から東に約10Kmの場所にあり、西に約10Kmの「トラピスト修道院」とは対称の場所です。

厳格に入館が制限された男子修道院と違い、広い敷地内の散策が許され、たくさんのレンガ造りの建物や、美しく咲いた白バラを思い出します。