昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「日清講和記念館」を見学

2007年10月02日 | 山陽地方の旅

下関市山口県下関市阿弥陀寺町の「日清講和記念館」を見学しました。
国道9号線から坂道を上がった正面が割烹旅館「春帆楼」、右手の建物が「日清講和記念館」です。
その東隣は、源平合戦の最後、「壇之浦の戦い」で破れ、8歳で入水された「安徳天皇」を祀る「赤間神宮」があります。
阿弥陀寺町の名は、「赤間神宮」が「阿弥陀寺」と呼ばれていた頃の地名のようです。



「日清講和記念館」の中に展示されていた「春帆楼」の全景と思われる絵です。
小高い場所に建つ「春帆楼」の周辺に桜が咲き、壇ノ浦には帆かけ舟が行きかっています。文字通り「春帆楼」の絵です。


割烹旅館「春帆楼」の玄関です。
瀬戸内の海が見渡せる大きな建物で、かって天皇・皇后両陛下も宿泊されたようです。



「春帆楼」の玄関に向かって右側の庭に二人の銅像がありました。
日清戦争の講和会議の交渉に立った、時の内閣総理大臣「伊藤博文」(向って左)と、外務大臣「陸奥宗光」(向って右)です。
千円札の「伊藤博文」の顔といささかイメージが違うようで、清国との交渉で疲労こんぱいの表情にも見えました。



「日清講和記念館」の玄関前にあった案内板です。



日清戦争講和会議の様子を描いた絵です。
講和会議は1895年(明治28)3月下旬から月中旬に渡り、絵の左下に火鉢、その右手前にストーブが見えます。
ストーブの右が清国側の全権「李鴻章」、その向かいに日本国の全権「伊藤博文」が座っています。



上の絵の横にあった案内文です。



再現された会議場の写真です。
椅子にひじ掛がなく、長時間の交渉は少しつらそうです。
手前にストーブがありますが、フランスから輸入されたそうです。



日本側の席に座った人の名が書かれてあります。



こちらの席、清国側です。



館内に清国の全権「李鴻章」の写真がありました。
ラストエンペラーでおなじみの「西太后」の厚い信任を得て、清国の最高為政者として活躍した人です。



李鴻章は、「春帆楼」の正面に向かって左にある「引接寺」を宿舎としていました。現在、「李鴻章道」と名付けられています。
1895年(明治28年)3月24日、李鴻章は、暴漢に狙撃され、顔面を負傷する事件が起こったそうですが、講和条約は無事締結にこぎ着けたそうです。