昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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下関市「土井が浜遺跡」№3 「弥生人の顔」

2007年09月06日 | 山陽地方の旅
「土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアム」に旧石器時代から現代までの人の顔の変遷がパネル展示されていました。
以前から、雑誌などで、あなたは「縄文人顔」「弥生人顔」? などと顔の特徴からタレントなどを例に分類する遊びを見かけます。
弥生時代から次第に混血が進んでいますが、縄文・弥生それぞれの特徴は現代でも引き継がれているようです。
しかし、最近では世界各地から日本で暮らす外国人が増加し、新たな渡来人との混血児により日本人の顔の変化は極めて不透明になっていくようです。



土井ヶ浜遺跡で見つかった人骨から推定された顔のようです。
長い顔が特徴のようです。



弥生人の顔をその特徴から以下の4エリア別分類した地図です。
①九州・山口エリア、②西九州エリア、③南九州・離島エリア、④関東エリア
この地図は、東日本も描かれていましたが、カットしています。



部九州・山口の弥生人がこのエリアに渡来してきたことがうかがわれます。
どこから来たかは別として、地理的に朝鮮半島を経由していることがうかがえます。

■展示パネルの説明文
<北部九州・山口の弥生人>
頭型は中頭型で顔面の高さは高く、眉の上の隆起は弱い。鼻が低いのでホリは浅く、身長は高い。歯の咬み合わせは鋏状咬合[きょうじょうこうごう](上の前の歯が下の前の歯の前にかぶさる形式)。



西北九州の弥生人の顔は、縄文人と、弥生人の中間型のように思えます。
比較的早い時期に混血が進んでいた地域ではないかと思われます。

■展示パネルの説明文
<西北九州の弥生人>
頭型は中頭型で、顔面の高さは低く、幅が広い。眉の上が隆起し、鼻が高くホリが深い。身長は低い。



縄文人の特徴が強く、弥生文化を受け入れた縄文人のように思えます。

■展示パネルの説明文
<南九州・離島の弥生人>
短頭型で西北九州の弥生人よりも、顔面の高さは低く、幅は広い。身長も低い。



南九州・離島の弥生人と同様に縄文人の特徴が強いようです。

■展示パネルの説明文
<関東の弥生人>
この地域で鼻根部の形態から、縄文人に近い弥生人、古墳時代に近い弥生人、両者の中間的な弥生人が見られます。



旧石器時代人の顔だそうですが、日本で発掘された骨がほとんどなく、沖縄県の港川から発見された骨を参考に書かれているようです。
沖縄は、地理的に東南アジアと近く、港川人から日本本土の旧石器時代人の顔を推察するの少しムリがあるのかも知れません。

■展示パネルの説明文
<旧石器時代人>
旧石器時代人の出土例は少なく、頭蓋(とうがい)の特徴を知ることができるのは沖縄県の港川人のみです。骨は厚く、顔は幅が広く、高さは低い。眉の上のの隆起は強く、鼻は高かったようです。身長は低い。



■展示パネルの説明文
<縄文時代人>
前期頃の縄文人はきゃしゃでしたが、後期になると頑丈になります。後期の骨は固くて、頭蓋(とうがい)は身長に比べて大きく、顔面は幅広く高さは低い。眉の上が隆起し、鼻が高いので鼻のつけ根(鼻根部=びこんぶ)がくぼみ、ホリの深い容貌をしています。身長は低い。




■展示パネルの説明文
<古墳時代人>
地域や身分によって差が見られますが、一般的に頭型は長頭型に近づいています。面長で高身長の人と、顔面の高さが低く、低身長の人がいます。全体として次第に鎌倉・室町時代に近づいていきます。


この時期になると全国的に混血が進行し、これ以降の時代の顔の変化は、鼻から下が主となるようです。

■展示パネルの説明文
<鎌倉・室町時代人>
頭型は著しい長頭型で、顔面の高さは低く、幅が広く鼻の付け根が扁平で、鼻も低くなっています。上顎は前歯(切歯)が前へ突き出し、「そっぱ」になります。身長は低い。


■展示パネルの説明文
<江戸時代人>
頭型は長頭型に近い中頭型です。階層によって差が認められ、一般に顔面の高さは低く、幅が広く、低身長ですが、なかには浮世絵などに描かれているような顔の長い人々も現われ始めました。徳川将軍などの上層階級の人々は著しく面長で、きゃしゃでした。