昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「楽音寺縁起絵巻」第6場面

2007年02月18日 | 山陽地方の旅
藤原倫実(ともざね)は、藤原純友の頸(くび)を取り、天皇に献上してご覧に入れました。
倫実は、天皇から褒められ、「左馬允(さまのじょう)」[朝廷の馬の管理をする役]に任じられると共に、「安芸国沼田七郷」を賜りました。

倫実は、釜が島の宿願を果し遂げるため、当寺に一堂を建立させ、髪の中の像をその中に安置しました。
一寸二分(約3.65cm)の像は小さいため、丈六(4.84m)の像をお造りし、その中に籠(こ)めたのがご本尊です。

いわゆる「薬師如来丈六の像」が一体、「日光月光、二菩薩の像」「多聞持国等八天の像」「金剛力士二天の像」があります。

第10画は、倫実が誇らしげに馬に乗り、先頭には捕虜を追いたて、薙刀(なぎなた)に純友の頸をぶら下げて京を凱旋する場面です。

第11画は、建物の中はお坊さんが多く、楽音寺の建立の落成式の場面のようです。
又、第12画の左の門は楽音寺の「仁王門」のようでもあり、絵の上に赤い布を持った人物がおり、倫実のようにも思えます。

第13画は、倫実が屋敷に帰った場面です。

以上が「楽音寺縁起絵巻」の物語です。

前にも書きましたが、この物語は「藤原純友の乱」の史実とは違います。
しかし、楽音寺が、その後長い時代にわたりこの地方で強い影響力を持ち続けたことは「楽音寺文書」からもうかがえます。
下記の資料は、福山市中央図書館にもあります。

参考資料 広島県立歴史博物館展示図録第十六冊
     「安芸国 楽音寺 楽音寺縁起絵巻と楽音寺文書の全貌」