妄想エクスカリバー

緊縮財政。

sacred terrorist

2005-11-15 00:04:58 | Weblog
今日はバイト休み。
書くような出来事も特に無し。

mixiでバトンやって、その中で腎臓病について触れたんで。
もう大分経つし、闘病生活について書いてみようかな。
グロい表現はしないつもりだけどイタい話なんで、苦手な人は読まないほうがいいかも。
読む人は…健康について感謝しやがれ!ってとこですか。

ではでは。
長いので、読む人は覚悟してくださいな。


自分が腎臓病になったのは、1浪した冬、要は2度目のセンター試験くらいです。
異変に気付いたのは、センター直後に母親と卓球した時。
母親がほとんど息があがってないのに、自分がもの凄く息あがってて、体が重い。
その時は「何か変だな?」くらいにしか思わなかったのですが。
2次試験に向けて、勉強していた2月中旬。
朝起きると、どうも視界がせまい。
鏡を見るとめっちゃむくんでる。
顔も、頭も、体も、手も、足も。
病院へ行った。
「風邪ですね。」
安心して寝る。
次の日、さらに悪化。
違う病院、今度は泌尿器科に行く。
「ネフローゼです、今すぐ入院してください。」
そこが小さな病院だったため、王子病院というとこに紹介状を書いてもらって行く。
「今すぐ入院してください。」
拒否。
だって二次試験あるじゃん。
「じゃあ、試験が終わったらすぐに入院してください。」
はぁ、二次試験終わったら次の日テニス部の飲み会だったのに…。
帰宅。
そこから二次試験までの一週間。
毎日1kg~2kgずつ体重が増えていく。
とりあえず、最高で75kg。
元々61kgだったから14kg増えた。
そのあと50kgまで減ったことを考えると…怖いね。
体は重く、横になるのも辛い状態になる。
そんな中、二次試験を受けに釧路へ。
眠れない、歩くの辛い、試験受けてるとむくみが下に来て何も見えなくなる。
半死状態で帰苫、入院。
荷物を担ぐ元気を出してみるが、病院側から怒られる。
「荷物なんか持っちゃダメ!」
入院して、色々先生から言われる。
「よく歩いてこれましたね、普通なら救急車ですよ」「一生テニスはできないですね」「もしかしたらずっと寝たきりかも…」etc...。
食事制限もかけられましたよ。
「たんぱく質と塩分だめだから」「たんぱく質って、何を摂っちゃダメなんですか?」「具体的に言うと、肉・魚・ご飯・パン・麺だね」
…何を食えと?
入院したその日に、飲み会で会うはずだったテニス部の同級生が見舞いに来てくれる。
2日くらいそれなりに点滴と鼻から酸素吸入と肺に穴あけて水出すことで何とかなったけど。
段々声も出せなくなって。
3月、確か2日か3日。
元ペアの湯澤と野田先輩が見舞いに来ている時、まさにその時。
「息できない…やべぇ…。」
ナースコール連打。
先生と看護婦さんがダッシュしてきて、カーテン閉めて、注射とか持ってきて。
「あぁ、死ぬのかな…。」
なんて朦朧とした意識の中で思ってた。
色々叫んだり、慌しく俺に点滴つけたり酸素マスクつけたり注射したりするのはわかったけど、すごく静かな世界で。
今思えばあの世の一歩手前じゃん。
そして…伝説になった。
…。
ではなくて。
助かりましたよ。
助かってなかったらこのブログ書けないって。
気付いたら両手に点滴だし、酸素マスクだし、体はまったく動かないし。
しゃべれないのはその前からだけど。
当然飯も食えないし。
ただ病室の天井だけ見てた。

その後はとりあえず回復。
1週間位して、肺から管が取れて(肺から出た水だけで2.5リットル!)、点滴も左腕だけになって。
「はい、立っていいよ!」って看護婦さんに言われた時はうれしかった。
でもさ、立てないんだよね。
支えてもらって立つのがやっと。
「まともに歩くまで結構時間かかる」って言われてさ。
2日後くらいに来た友達が、その話聞いてたんだけど。
普通にすたすた歩いてくる自分を見て本気で帰ろうとしてた。
回復は早かったね。
「半年は入院」って言われてたところを3ヶ月かかんないで退院したんだし。
元気になっていくにつれて、外の世界がすごく恋しくなる。
握りこぶしくらいしか開かない窓からさ、少しでも顔を出そうとして。
センチメンタルな気分になったり。
そして…脱走。
これは親にも話してないからさ~。
2回くらい脱走してます、自分。
ダイエーまで、立ち読みしに。
2回目の脱走の時、その帰り道。
ちょこっと足がもつれたんですよ。
人間、そしたら別の足を出して止まろうとするじゃん。
止まれない。
膝がゆるい、というかふにゃふにゃだから。
止まれなくて、次の足を出す(というか勝手に出る)、また止まれないから足を出す。
そして段々加速。
視界の左手にはセイコマ、右手奥には王子のスケートリンク、20m前は交通量の多い一般車道。
やべぇ。
…と思ったとき、すぐ左斜め前に「止まれ」の標識。
必死こいてしがみつきました。
…セーフ。
心臓ばくばくいってんの。
それから脱走はやめました。
命が惜しいから。
とりあえず、お友達は「クロスワード」。
人は、親はけっこう来てくれました。
でも面会時間8時までだし、平日は一人の時を過ごしてました。
さびしいものです、一人の時間。
ずーっと『ため息』(柴田淳)聞いてました。
エンドレスリピート。
テレビは有料だからあまり見なかった。
見てもMLBくらい。
このときはじめて「週刊少年ジャンプ」等の週刊誌を買いました。
ゴールデンウィークに仮退院。
家の階段往復するのがかなり辛かった。
テニス部を見に行ったら、5分も直立していられなかった。
5月10日に念願の退院。
長かったね。
名残惜しかったのはかわいい看護婦さんを別れることでした。
そこからも闘病生活は続くのですが…。


長い、長いすぎるよ。
誰が読むんだ?
じゃあ、この続きは第2部に回すということで。
いつか書く機会あるでしょ、きっと。
今だから笑ってられるけどね。
中身、一部微妙に脚色してあったりしますが、9割方そのままです。
ん~、重い!
重すぎるぜ!!


今日も頑張って行こう!
今日は体育だ!
Let's バドミントン!!!


今日のBGM→夢を信じて(徳永英明)

 恋することさえ
 恐れてた昨日に
 なくした涙を さがしてる
 夢を信じて
 生きてゆけばいいさと
 君は 叫んだだろう
 明日へ走れ
 破れた翼を
 胸に 抱きしめて